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小学校を卒業する時、学年の皆で記念樹の下にタイムカプセルを埋めた。中に入れたのは、「十年後の自分への手紙」である。だが、美弥が書いたのは、両親へのものだった。卒業記念イベントであるそれは、普段の作文のように教師に添削される事もなく、そのまま土の中でその時が来るのを待っている。
もし、あれを書き直せるとしたら。今の自分だったら何と書くだろうと思いながら、美弥は白い便箋にペンを走らせた。
『千束大和様へ』
書いたその文字を眺めて見るが、しっくりこず、新しい紙に『ヤマトへ』と書き直し満足したところで、病室の扉が静かに開いた。
「寝ていなくても大丈夫なの?」
足を踏み入れた途端、ベッドの上で体を起こしていた息子を見咎めた母親が気遣わしげに言った。美弥は手元に落としていた視線を上げ、近付く母親に笑いかける。
「平気、今日はとっても身体が軽いんだよ」
「本当に?」
「本当だよ」
「そう、良かったわ。あら、何を書いているの?」
「大和に、手紙をね」
美弥があの少年と仲良くなって一番喜んだのは、母親だ。
「ちゃんと丁寧な字で書くのよ」
「わかってるよ」
唇を尖らせ返事をした息子を見て、母親は軽やかな笑い声を立てた。美弥もつられて喉を鳴らす。
美弥が直ぐには名前を覚えきれないような病気になったのは、十二歳の誕生日を迎える前の事だった。
無事、中学校に入学はしたが、結局ひと月も通わなかった。病状の悪化に伴い、県内の大学病院に移ったからだ。だが、そこでも治療は限られており、半年後には東京の病院への転院話が出た。
正直、美弥はその時点でもう疲れていた。それは、両親もであった。実家が田舎にあるので、美弥が入院する病院までは高速道路を利用しても片道二時間近くかかる。それでも、両親は毎日、仕事が終わってから駆けつけてくれて。精神的にも肉体的にも限界であった。
それでも、美弥はひと月、転院を迷った。迷って、決めた。東京へ行こうと。
病が治るとの希望を持ったからではない。諦めない両親に、少しでも夢を与えたかったのだ。転院した先で治療に効果があったとしても、最早、幾ばくかの命を延ばすだけであるのを美弥は知っていた。それは両親も知るところであったが、それでも彼らは一日でも息子がこの世にいる事を望んでいた。その手助けが出来るのは僕だけだとの意地が、美弥が縋れる全てだった。
流石に東京へ毎日来れる訳もなく、積み重なる治療費に仕事を辞める事も出来ず、両親が転院した美弥のもとにくるのは週末だけとなった。後どれくらい一緒にいられるのだろうか。それを考えれば、減った接触時間が少し空しくもあったが、美弥にとってはそうであるからこそ踏ん張れもした。転院前よりも、彼らは休息を取れているだろう。自分のちょっとした我慢が、彼らの癒しになるのならば、悲しさも寂しさも許容出来た。
だが。そんな理由で転院したが。施した治療が辛うじて現状維持を保てる程度でしか効果を出さなかった事実を知った時は、悔しくて悔しくて大泣きした。どこかで期待していた自分に気付きたくなどなかった。どうして僕は病気になったのだろうと、随分前に諦めて手放したそんな思いまで蘇ってきて、両親は勿論、病院スタッフにまで当り散らした。
そうして、挫ける美弥を待っていたように、病状が悪化した。皮肉にも、苦しさと辛さのなかでは怒りを維持し続けるのは難しく、気付けば心が空っぽになっていた。病状が落ち着いたところで、地元に帰らないかとの打診が主治医から齎された。ここでも、打つ手はなくなったという事だ。
最期は慣れた土地でと、そう思わない事もなかったが。美弥は意地でそれを突っぱねた。今更、両親のところに帰れはしないと。帰ったら、泣いて泣いて泣きまくって、それだけで終わってしまいそうだった。
そんな時、美弥はひとりの少年と出会った。千束大和だ。一歳年下で、時折大人びた顔を見せるちょっと生意気そうな彼は、喋ってみれば案外子供で、思春期の一年の差は大きいと美弥に教えた。何より、死に晒され大人にならざるを得なかった美弥にとっては、家族との付き合いに悩む少年は子供でしかなかった。だが、それは決してバカに感じるものではなく。むしろ、眩しくさえ見える葛藤だった。
美弥は、大和に自分の病状を詳しく教えなかった。時間が合った時、裏口で少し会うだけの関係にそんな物は必要ないからだ。だが、だからこそ、意地になって会いに行った。他の誰かに「あの子の病は重いのよ」なんて説明をされたくはなく、少しの熱程度ならばベッドを抜け出した。彼の目の前で笑う自分は病人ではない。そう自分に言い聞かせ、馴染みのスタッフに緘口令まで美弥は布いた。
それは、誰が見ても虚勢だった。だが、いつの間にかプライドとなったそれは、美弥の病状を止めた。大和と付き合うようになりハリが出たのか、それは精神的に落ち着きもした美弥が勝ち得た幸福だった。
だから、充分だと思った。もう帰ろうと、気付けば美弥は思えるようになっていた。諦めだとか、意地だとか、そんな感情ではなく。そこに残りの人生があればいいなと、全然悪くはないじゃないかと、美弥は田舎の風景を、空気を思った。
戦わずにして逃げるのは負けだと、そう思っていた。最期まで病気に向き合おうと。疲れきっていても、その意地は捨てられなかった。だけど、大和と出会って、忘れていた笑いを取り戻して。今まで頑張ったからこそ、もう我儘を言ってもいいんじゃないかと思えるようになった。病なんかじゃなく、自分が最期に見たいのは、自分を慈しんでくれた両親だ。
もう、病気なんてどうでもいいよと。諦めではなく前向きな考えで、そう思えた。
梅雨が明けるのを待たずに東京を出るきっかけとなったその静かな思いもまた、確かに幸福の中にあった。
「書き終わったら言いなさいね、出してあげるから」
「うん、ありがとう。頼むよ」
でも、全く急がないんだよとの言葉を飲み込み、美弥は母親の言葉に頷きながらペンを滑らせる。
この手紙が、彼に届く時。
彼が幸せでありますように。
『ヤマトへ
これを読んでいるキミは、今どこでなにをしているのかな?
医者になるために勉強をしている? もしかしたら、全然別の勉強かな?
それとも、23才なら社会人1年目? 大学へ行かずに、もう何年もスーツを着ているのだったりして?
なんだか、変な感じです。
ボクは先日、キミにウソをついたばかりで。
けれども、これを読んでいるキミはもうそんなことはとっくに忘れてしまっているのだろうに。
でも、だからって、ボクのウソはなかったことにはならないから、謝らせて下さい。
ボクは、何度何回、いついかなる時でも、キミについたウソに後悔はしないといいきれるから。
だから、謝るのは、ウソをついたことを謝れないことに対して。
ごめんなさい。
そして。これはボクの勘でしかないけど。
キミはたぶん、ボクのウソに気付いていたよね?
気付いていて、ボクのウソに付き合ってくれたキミに、ボクは感謝しています。
ありがとう。
謝罪も、感謝も、ホントいえばもっともっとあるのだけど。
いい始めたらキリがないので止めておくよ。
あんまりおもしろくない手紙を長々と書くのもなんだしね。
だから。最後に、これだけ。
ヤマト。
キミが今どんな道を進んでいようと、たぶんそこで一生懸命ガンバっているのだろうね。
キミ自身はあまり気付いていないようだったけど、13才のキミはクソがつくほどとてもマジメだったよ。
純真だと、こっちが恥ずかしく思うくらいに真っ直ぐだった。
きっと、それは変わっていないんじゃないかな?
キミは誰にいわれなくとも、無自覚にガンバっているのだろうから。
ガンバレ!とはいわずに、あんまりムリをするなといわせてもらうよ。
一生懸命もいいけどさ。そんなにガンバらなくても、たぶん人生は上手くいくし楽しいんじゃないかな?
思うほども、大変なものじゃないよ。きっと。
肩の力を抜いてこそ、見えるものもあるんだよ。
なんか、お前がいうな!っていわれそうだけど。
ボクだからこそいうんだと、キミならわかってくれるよね?
ま、とにかく、そういことだから。
っていうか、せっかく手紙を書くんだし、ちょっとエラぶってみました。
でも、ホント。
ガンバるのはテキトーにね。
じゃ。
十年前の友人から、十年後の友人への手紙は、これで終わりです。
追伸
なんだかんだいってもね。
ホントは、この手紙でキミがボクを思い出してくれたら、それだけで大成功なんだよ。
忘れるなって、言っただろ?
ボクはこれで約束を守ったことになるのかな? ミヤより』
+ END +
2009/02/16
Special Thanks to Akemi_sama