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上原が俺を好きだと…?
何を馬鹿な事を言っているのかと、結城の真意を探ろうとしていた橋本だが、結城はさっさと自分の意見を言い終えると帰ってしまった。何が何だかわからないうちに、橋本は残されてしまった。
そもそも、一緒に帰るはずだったのに、何故こうなっているのか。
待たせているからと慌てて降りてきたというのにロビーには恋人の姿はなく、探してみると、件の男とキスをしている。カッと頭に血が上り、次の瞬間にはサッと血の気が引くという現象に頭も身体も固まってしまい、その間にわけのわからない事を並べ立てられ、最後には上原と二人で残された。
初めて会った時から、一体何を考えているのかその思考回路についていけないと思ってはいたが、まさかこんな形でそれを爆発展開するとは…。やはり、訳のわからない男だと、橋本はその認識を再確認した。一体何度目の事なのか。
だが、今はそれにばかり気をとられているわけにはいかないのだろう。
わからない恋人だという結城だけの事ではなく、彼が語った言葉を理解しなければならない。何故あんな誤解をしたのだろうか。
何処からどう飛ぶのか、結城の発想は並大抵の事ものではない。そう考えると、早くも理解など出来ない気がして、橋本は長い溜息を吐いた。その息に、「畜生っ…」と上原の声が重なる。
そうだ、こいつがいたのだと橋本が振り返ると、上原は苦虫を噛み潰したかのような表情をしていた。
「…おい」
橋本が声を掛けると、ハッと顔をあげ、何故か珍しく気まずげに視線を逸らす。ふと、結城が以前この男の事を可愛いと言っていた事を思い出した。何処が可愛いのかと橋本はその時思ったのだが、今の一瞬は、そう言えない事もないような気がした。
だが、しかし。
「何だって、こんな事に…」
「知るかよ、そんなの」
橋本の嘆きに、上原が厳しい声が続いた。小さな舌打ちをして口を閉ざした男は、いつものムカツク男だった。
「ああ、そうかよ。じゃあな」
そのまま沈黙に入りだしそうな雰囲気をさけ、橋本はさっさと結城の後を追おうと動きかけた。だが、意外な言葉によってそれは止められる。
「――答え、くれないんですか。橋本さん」
踵をしかけた体の向きを戻すと、上原が真っ直ぐと自分を見ていた。そのいつになく真剣な目に、橋本は眉を寄せる。
「…何のことだ?」
「彼が言っていたでしょう、答え、くださいよ」
「……。…今、お前に構う気はない」
何を言っているのか意味がわからないが、多分いつものようにからみにきているのだろうと橋本はそれを避けた。事実、結城と何があったのかは知らないが、上原のご機嫌をとる義務は自分にはない。
橋本の言葉に、上原は軽い笑いを漏らした。そして、からかいの次は煽る事にしたのか、ふざけた事を口にする。
「酷いな。言っておきますが、キスをしてきたのは彼からですよ」
「…黙れっ」
「食われたのは俺の方ですから、間違えないで下さいよ」
「煩いっ!」
「あなたの恋人があんな人だとは、意外です。もっと大人しそうな、初心な奴が好みですよね、橋本さんは。
だが、実に結城さんらしくもある。俺以上に自己中ですね、彼は。自信家で、そして、策士だ」
上原の声が、何故か段々と固いものに変わっていった。そして。
「あんたには似合わない男だ」
静かな怒りをたたえ、そう口にする。
「…お前に、あいつの事はとやかく言われたくない。良く知りもしないくせに」
「それなら、俺もあの人に色々言われたくないですよ。良く知らないくせに…」
「……上原?」
何か、おかしい。
いつものように突っ掛かってくるその態度は、けれどもどこかがおかしいと橋本は漸く感じた。何だろうかと考え、気付く。あの、腹立たしい、嫌な視線を向けてこないのだ。いつも自分を見る目と違い、そこには敵意のような鋭さがなかった。
だが、それが何故なのかまではわからない。
「お前、どうかしたのか?」
結城を追おうと思うのに、何故か目の前の男がとても気になり、橋本はそう訊ねた。
「どうもしませんよ。へえ、俺の事気にかけてくれるんだ?」
「そんなんじゃない」
「でしょうね。あんたが好きなのは、彼だ。他の人間なんて興味がないもんな」
上原は溜息交じりにそう言い、髪をかきあげた。そして。
「もう、俺もいい加減にしないといけないのかも。って、そんな事ずっと前からわかっていたけど…。けど、まさか、こんな風になるとは…。
でも、今のを見ていたら、絶対勝てない気がしましたよ。やってくれますよ、ったく…」
「何を、言っているんだ…?」
一人で納得して肩を竦める上原に、橋本は首を傾げた。憎たらしい男の事など放っておけばいいのだろうが、何だかそれが出来る状況ではない。
「お前、頭がおかしくなったんじゃないだろうな」
「おかしいのは、あんたですよ、橋本さん」
人が少しだが心配してやっているというのに何て言い方なのかと。呆れながらそう口にする上原に、橋本は顔を顰めた。
しかし、次の言葉に、その皺を一気に伸ばす。顎が外れるほどに驚くというのはこう言うことなのだろう。
「ホント、あんたは鈍感だよ。彼の、結城さんの言うとおりですよ、全て。
俺はあんたの事がずっと好きだった。他人のことなんて気にしないあんたに少しでも感情を向けてもらえるのなら、それが嫌悪だろうと何だろうと良いと思えるほどにね」
真っ直ぐと自分を見つめ、上原はそう言った。
全てが悪夢だと思うほど、橋本は衝撃を受けた。
何て言ったのか。
理解出来ないそれは、けれども訊き返すことも出来ない。
「何て顔してんだよ、いい男が勿体無い」
そんな言葉すら、頭で処理するのに長い時を有する。そして。
「……今、お前の冗談に付き合う気はない」
漸く橋本がその一言を言えたのは、一体上原の告白からどれくらいの時間が経ってからだろうか。その間上原が大人しく答え待っていた事に気付くと、何だか妙な気分になった。
「本気だと言っている。…あんたがそうだと納得したなら、俺と付き合ってくれますか?」
「……。…いや、無理だ」
俺は、あいつが好きだから。
橋本の答えに、「知っていますよ、そんなの」と上原は小さく笑った。どこか、悲しそうなその笑いは、何故か橋本の胸を痛くした。
「どうせ、俺があんたのタイプじゃないのは初めから知っていたし、叶う事がないのはわかっていた。だから、嫌われる方を選んだというのに――それも終わりにするしかないようだ」
結城さんがああくるとは、とんだ誤算でした。
そう言って笑う上原の姿に、本気で自分を好きだったのだろうかと橋本はその可能生を見た。まさか、本当にあの頃から、大学時代から自分を想っていたと言うのだろうか。
「上原。お前、本当に…」
「……じゃあ、先輩。遅くまでお疲れ様でした」
自分の事が好きなのかと口にすることは出来なかったが、濁した言葉はくみ取ったのだろう。上原が呆れたように、けれども満足するように小さく笑うのを橋本は見た。自分を労う言葉を、素直に受け取る事が出来た。
卑怯なのかもしれないが、橋本はそれで充分だと思った。
今更好きだったと本気で言われても、それこそ縋られても、自分にはもう上原と言う男の像は出来てしまっていて、その思いを性格にくみ取る事は出来ないだろう。誠意を持って対処する事は出来ないだろう。
だからこれでいいのだ、と橋本は去って行く上原の足音を訊きながらそう思った。
今はただ、無性に恋人に会いたかった。
「よっ、お帰り」
橋本が部屋に帰りつくと、結城が缶ビール片手に玄関で出迎えてくれた。ずっと待っていたのだろうか、こんなところでは暑いのだろうに、狭い廊下に座り込んでいる。
もしかしたら、結城は部屋に来ているのかもしれない。そんな小さな期待を胸に抱いての帰宅は、けれども外から見た部屋に明かりが灯っていない事で打ち砕かれた。なので、不意打ちとも言えるこの状況に、橋本はただ呆然と立ち尽くした。
「……結城」
「ん、なんだ? ま、入れよ」
「…ああ」
促され、開けたままのドアを閉める。だが、橋本は直ぐにまた動くことを忘れてしまった。そんな自分を恋人が笑うのを、ぼんやりと眺める。
「おかしな奴だな。っで、どうなったんだ? 俺はこれで帰った方がいいのか?」
グイッと飲み干した缶を両手で潰し、よいしょと声をかけながら結城は立ち上がった。
「それとも、泊まっても良いのかな? 今なら終電に間に合うんだが」
「…泊まっていけよ」
「何で?」
橋本の言葉に、少し真剣な表情で首を傾げる結城は、ふざけているつもりはないらしい。
「お前は俺の恋人だろう」
「へえ、そうなのか。何だ、怖い顔をしているからさ、捨てられるのかと思ったぜ」
そう言いながらも返事を予想していたのだろう、結城はくるりと体の向きを変えると、さっさと中へと進んでいった。その後ろ姿に、漸く橋本は軽く喉を鳴らす。
橋本が結城に続きリビングへと入ると、冷たい空気が迎えてくれた。どうやら、電気はついていなかったが、クーラーはつけていたようだ。部屋の明かりを消していたのは、結城の演出なのかもしれない。
「っでさ、橋本。俺が恋人なら、上原は愛人とか?」
「…何を言っているんだ」
結城のふざけた言葉に溜息を落としながら、橋本はソファに身を預けた。今夜はとても疲れた。既に、疲労はピークに達しているのだろう。自分でも、無事に帰って来れた事に奇跡を覚える。
そんな状態で、結城の会話に耳を傾けるのはとても難しい事だった。確かに、少しばかりは面白くない事なのだろうが、それ以上に結城はあの状況を楽しんでいたように思えるのだ。恋人である自分にとってはそれだけで堪えるというもの。
そう、帰り道に色々考えてみたのだが、今回の件で結城に先に言われていた事や、今夜の発言を考えると、全ての事がわかっていて自分や上原をからかったように思える。
橋本は、ネクタイを首から引き抜きながら、嫌な笑いを浮かべる結城に溜息を落とした。上原が策士と言っていたのは、外れていない事もないのかもしれない。だが、この男がそこまで深く考えるタイプにも思えないのだが。
一体、恋人は何を考えているのか。一生付き合っても理解出来そうにないものであるなと、橋本は軽く頭を振る。
「何だよ、その態度は」
ニヤニヤと笑う結城は、再び冷蔵庫から取り出してきたビールのプルトップに指をかけた。パキンと小気味よい音が上がる。
「疲れているんだ」
「俺には関係ないよ、そんなの。っで、上原はどうしたんだよ? 俺に対してあんな事をしたのはむかつくけどさ、可愛くもあるよな。どう、ほだされたか?」
「お前と一緒にするな。――って、何をされたんだっ!」
結城の意味深な発言に気付き、橋本はガバリとソファから身を起こした。キスだけではない何かをされたというのだろうか。
「結城!」
「お前ってさ、馬鹿だよな」
橋本の慌てぶりに呆れた表情を作り、結城はしれっと、仮にも恋人である人間をそう評価した。
「どうなんだっ」
「そうだな。された事と言えば、お前への恋心の捌け口というか、嫉妬というか、そんなものを向けられただけだな。実害はない。逆にその気持ちを利用して、俺は楽しんでいたし」
「お前は、…知っていたんだな」
「当たり前じゃん。一緒にいたならわかるって」
「なら、何故…。お前は、それでも良かったのか?」
「良い悪いって、俺が決める事じゃないだろう」
確かに、そうなのかもしれない。だが、恋人同士の関係なのだ。単なる友人が男に好意をもたれているわけではないのだ。同じフィールドに立ったのを知っていたのなら、もっと意識してもいいはずではないか。
自分は、そうだった。上原の存在が気がきではなかったというのに…。
橋本は、ぐっと両手を握り締め、そこに額を置いた。丸めた背中に冷房の風が当たる。だが、怒りにより生まれる熱は冷めそうにない。
「あいつが、好きだからか…?」
「ああ、そうだな」
「だから…、あいつの想いを叶えたかった?」
「いや、別に」
「えっ…!?」
さらりとした返答。だが、結城のそれは、橋本を驚かせるのに充分な力を持っていた。
「お前、馬鹿すぎるぞ。俺はさ、お前の恋人なんだろう? 俺がお前を好きだって忘れていないか、おい」
「でも…、上原を…」
「ああ、好きだよ。だけどな、俺はホモじゃないんだから、その言葉だけで恋愛にくっつけるなよ。お前は俺がホイホイ男に惚れるような奴だと思っているのかよ」
「――お前、いい男に弱いだろう…」
「勝手に男だけに限定するなよ、いい女にも弱いよ、俺は。だがそんなの、人並みの美的感覚があれば、誰だってそうだろう。お前、自分がライン越えだからって、平凡な外見の俺を馬鹿なしているのかよ、おい」
論点がずれかかっているような気もするが、そんなことはない、とまずは今の発言を否定しなければならないのだろう。決して自分は自分の外見に自惚れてはいないし、結城を平凡だとも思っていない。むしろ、お前は自分の魅力を知らなさ過ぎるのだと橋本は言葉を紡いだ。
しかし、結城は「あ、そう」と素っ気ない返事をする。
「俺の事はいいよ。今は、俺はホイホイと男に惚れはしないって言ってんだ」
「ああ、そうだな。…だが、懐かれていい気にはなっていただろう」
「鼻を伸ばしていたつもりはないが、喜んでいたのは、ま、事実だな。だから、俺はあいつを気に入ったんだからさ、懐かれたら嬉しいに決まっているだろう。いい気になって何が悪い。男前の人間に好かれても、自分のレベルが上がるわけじゃないのはわかっているけどさ、ちょっとばかりの優越感は味わえるじゃん。俺はそれが好きなの。この俺も捨てたもんじゃないなと思えるの。好きになった奴に好きになられたら、人間自信がもてるもんだ。俺がそれを味わっちゃいけないというのかよ」
「けど…。…あいつは、お前の事…」
「ああそうだな、利用出来ないかと思ったんだろうな。そんな事はわかっているさ。でも、俺は好きなんだからどうでもいいだろう。ま、確かに腹が立ったから、あんな大人気ないことしちゃったけどさ…。ま、アレでチャラだな。俺はもう気にしていないし」
結城はそう言うと、「でも、向こうはわかんないよな。嫌われてなきゃ良いけど」と苦笑した。
何故こうもあっさりしているのか。
橋本はその笑顔に嫉妬を感じる。自分はこんなにも悩んでいるのに、何故簡単に処理しているのだろう。
上原が自分に対して持った感情を否定しろとは言わないが、少しは嫉妬をして欲しかった。応援をしたわけではないが、その気持ちを受け入れ納得していたのが腹立たしい。
今までも同じような事があったが、女と男では違うというもの。事実、女性に対しては、態度は変わらないが一応嫉妬をしているのだと本人の口から聞いた事がある。それなのに、今回は違う。それは、それ程までに上原を気にいっていると言うことなのだろう。
橋本が胸の苦しみに顔を顰めると、結城はふと真面目な顔で名前を読んできた。
「橋本…、お前さ。俺が怒ってるの、わかっているのか?」
「…怒る、……誰が?」
怒っているのは自分だけではないのか、と橋本は眉を寄せる。だが、結城は首を振りながら、「お前より、俺の方が怒ってると思うけど。っていうか、俺の方こそ怒るもんだろう、普通。何、お前怒ってんだよ、自業自得なのに」と肩を竦めた。
「俺、怒ってるから、お前を苛めているんだけど」
「……」
苛める…?
何だと思っていたんだと苦笑する結城に、橋本の頭の中で次から次へと疑問符だけが増えていく。確かに、こんなにも苦しまされているが、苛めているとはどう言う意味なのか。
「お前って、頭が固いから、苛められている事にすら気付かないのか? 馬鹿すぎるぜ」
「…バカバカ言うな」
「だって、馬鹿なんだもん。事実だろう。
あのな、俺はお前が上原に思うままいいように扱われたのに腹が立ったんだよ。あいつが好きなのは自分だと気付かずに、俺に気をつけろだの、危ないだの言いやがってさ。お前の行動ひとつで俺は部外者になるのに、態々引っ張り込みやがって。馬鹿といわずに何ていうんだよ、この馬鹿っ」
「だが、危なかったのも事実だろう!」
「別に危なくなんてなかったさ、全然っ!
自分を嫌っているから腹いせに恋人の俺を誘惑する? そんな事考えるなら、もっと根本的に何故そんな事をされるのか考えろって言うんだよ。突き詰めろよ、餓鬼じゃないんだから。何より、心配は無用なんだよ。俺が男に誘惑されるわけが無いだろう!」
「だがなっ!」
いきり立った橋本に、結城がふと「おい、これじゃ堂堂巡りになるじゃんか」と待ったをかけた。
「いいか。俺は何せ、お前の鈍さとその想像力の豊かさと言うか、特異な思考に腹が立ったんだよ。だから、お前が落ち込むような展開に持っていってやったの。上原にも腹が立ったから、あいつの隠し続けていた気持ちを暴露してやったの。効果があっただろう? お前は上原の気持ちに戸惑い悩んだ。あいつは失恋した。
っで、すっきりしたって言うのにさ、まだウダウダ言うのかよ、おい。もう終わった事だろう」
「……」
確かに、蒸し返して面白い話ではない。だが、終わりだという一言であっさり終れるものでもない。
「大人気なかったとはわかっているが…、根に持つなよ、橋本。俺だって腹が立ったんだからさ。お前は自分の行いが悪いんだと反省しろ。上原だって、お前がもっと愛想がよければ、あそこまでひねくれなかったんだろうしな」
俺はホントに巻き込まれただけなんだぞ、わかっているのかと結城は頭を振り、ビールを呷った。
先程から反省しろとか、自分が悪いとか言っているが、橋本にはそれが納得出来ない。更に、ここに来てなお上原の方を理解しているような結城に苛立ちが募る。
「…やけに肩を持つじゃないか」
「言っているだろう、好きだもん、あいつの事。面白いじゃん、かっこいいし」
長いものには巻かれなきゃな、と訳のわからない事をいい、橋本の苛立ちを前に結城は笑った。そして。
「ま、お前に好意をもっているからこそ、好きなのかもしんないけど」
「…どう言う事だ?」
「内面は知らないがさ、外面は飛び切りいい男に俺はお前の事に関しては勝ってんだよな。だから、優越感を噛み締めてるんだよ、あいつを見る度。悔しげな視線に余裕の表情で笑ったりさ、あいつの前でわざとお前とじゃれたりさ。気持ちいいんだよな、これが」
そんな考えを持っていたとは思ってもみなかった橋本は、ただ驚愕した。だが、良く考えずっとも、それはかなり嫌な奴なのではないか…。
「お前、…根性悪くないか、それ」
上原とタメを張れるのではないか。橋本は咄嗟に二人のバトルを想像する。
絶対にそれには巻き込まれたくないものだ。
「そうか? ちょっとした悪戯だろう。でも、俺の事なんて別に誰も気にかけないと思ってたけど、上原は違ったのかも。だって、好きだとは知っていたが、恋愛だとは思わなかったしさ。ノーマルの俺にはその発想がないんだよな」
何故か今夜はやけに、橋本の性癖を避難するような発言をよくしている。結城はまだ自分を苛めているのだろうか。
そう考えてしまった橋本は、一瞬結城が語った真実を見失いかけた。
「……」
「悪い事したのかな、やっぱ。ま、やってしまったものは仕方がないか。――って、おい。どうした?」
「お前、今、何て言った? 恋愛だとは、思わなかった…?」
「ん? ああ、上原の事? 当たり前じゃん、思うわけないだろう。好きだというのは知っていたけどさ、憧れって言うか、格好いい先輩を慕っていますってなものだとな。あんなに切羽詰った色恋だってわかってたら、遊ばないぜ、流石の俺でも。だってさ、ゲイの修羅場っていやじゃん。関わり合いたくねーよ」
酷い言い方だと思いながらも、橋本は漸く誤解が生じている事に気付き、納得した。結城の中では、上原の思いは好意以上ではなかったらしい。だからこそ、安心して見ていたのだろう。
上原がバイだと知っていたら、関わらなかったという言う理由が少しばかり胸に刺さるが、それは仕方がない事なのだと橋本は無理やり納得させる。結城は、自分と性的関係を持ってはいるが、至極ノーマル思考の持ち主だ。
女に対して、結城は可愛いだとか何だとか思うので、少しばかりは嫉妬をする。だが、男に対しては、そうは思わないので嫉妬をしない。つまり、自分という男と恋愛をしていても、それでも他の男同士の恋愛は理解出来ない、わからないということなのだろう。結城本人が言うように、その発想が欠落しているという事なのだ。
焼餅を焼き、毎度毎度何に対しても嫉妬しているのは自分の方であり、その点で言えば結城の方が理解力がないにしろ、真っ当な人間関係を見ているということなのだろう。それは少しばかり冷めたもののようでもあるが、一人の人間との深い関係よりも、より多くの者と仲良くする方を好む結城にあったものだ。
反省するのは、心の余裕を直ぐに無くしてしまう自分なのだ、と橋本は自嘲気味に笑った。
「ったく、何で世の中っていうか、俺の周りにホモがこうもいるんだ」
だから、理解出来ない事が多くてややこしい事態になるんじゃないか、と怒る結城に橋本は一応訂正を入れる。
「上原は、バイだ。女もいける」
「どうでもいいよ、そんなの。俺はノーマルなの。ホモでもバイでも、その考えは一生わかんないんだから、同じ事だ」
そう言い顔を顰めた結城の腕をとり、橋本はその身体を抱き寄せた。
「それでも、俺の事は好きなんだよな?」
「…今更な質問をするなよ」
結城は顔を顰めながら溜息を吐き、「好きじゃなきゃ、こんなことしないだろう」とキスをしてくる。アルコールのせいばかりではない、酔ってしまいそうなそのくちづけに満足しかけた橋本は、けれどもある事を思い出す。
「……でも、お前、…上原にもしただろう」
「ん…? ああ、そういえばしたな」
鼻にかかった声で答えた結城は、喉を鳴らして笑った。
「たかがキスひとつ、気にするな」
言っていることが全然違うではないか。
不機嫌に眉を寄せた橋本に、結城は仕方のない奴だというように肩を竦め、言葉を続ける。
「あのな。俺は真面目で堅物なお前と違って、それなりに遊んでいるわけ。馬鹿な学生合コンじゃ、酒飲んで盛り上がればふざけた事もするわけでだな、…ま、早い話が、慣れている」
「…慣れてる…?」
「そっ。そりゃ、気持ち悪いとか思わない事もないけど、男だとか知らない女だとか関係ないんだよ、ああいう場はノリだからさ。だから、出来なくはないので嫌がらせで上原にキスしてやったってだけで、他意はない。
ってことでさ。これで終わりか、続きはしないの?」
キスだけでお前は満足するのか?
結城はそう言いながら小首を傾げ、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
橋本に断る術は、勝つ術はない。誤魔化そうとしているのでも何でも、今は従うしかない。
いや、結城を好きでい続ける限り、これは絶対変わらない事なのだろう。
結城が結城である以上、彼は常に勝者であり、自分は敗者であるのだ。
だが、それに不満を覚えはしない。むしろ満足だと思いながら、橋本は恭しく微笑む恋人の手に唇を落とした。
+ END +
2003/07/01
Special Thanks to Michiaki_sama