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自分の生活が何を中心に回っているか。そんなものは人それぞれだろうが、多くの者は俺と同じだろう。
俺の生活は仕事を中心に回っていた。いや、中心と言うよりも、仕事一色と言った方が正しいのかもしれない。私生活の中も仕事に染められていたのだから。
だが、仕事一筋と言うほど真面目にしているわけではなく、多くの場合は面白楽しく遊んでやっていると言った感じなのだが、それでも嫌なものもそれなりに我慢してやっていた。それは、こんな自分についてきてくれる者への誠意でもあるし、負けず嫌いな性格もあるのかもしれない。
俺の事を仕事人間だと言っていた青年だが、きっと彼も社会に出れば、そんな人間になっていたのだろう。俺とは違う意味で、彼は仕事に打ち込むタイプに思える。それを拠り所とするような、そんな人間だ。
だが、果して俺が見ていた青年が、一体何処まで本当の彼なのか、わからない。もしかすれば、仕事以外の何かを求めるような、そんな人間だったのかもしれない。
俺は、彼の一部しか見ていなかった。彼は、俺にその一面しか見せなかった。
ならば。
彼は一体、俺のどんなところを、どんな風に見ていたのだろうか。
俺から仕事が消えれば、他には何もなくなる。
自分は何とも味気ない人間だと、初めて気付く。
思いに捕らわれながら過ごす一日は、短くて、長い。
秋の薫りがし始めた頃、堂元は俺を部屋から連れ出すようになった。
街を連れまわす事はなく、会社の一室に放り込んでおくだけだが、俺にとってはまだ鬱陶しい限りの事だった。社長室やら何やらに入れられると、堂元がくるまで俺はそこを動かない。ただ、青年の薫りがないと言うだけで、部屋にいるのと変わりはしない。
だが、それが最大の効果を発しているのだろう。俺はそうして、自分が生きる現実の匂いを嗅ぐのだから。
堂元が何を考えているのか、どうでも良く追求する気はない。彼は彼なりに俺の事を考え、最善の方法を選択して行動しているので、俺が反対をしようと何をしようと、無意味に終わるだろう。
だから、俺はただ、今までそう座り続けたことはない椅子に腰を降ろし、ぼんやりと一日を過ごした。時折、廊下を歩く者など、扉の向うの気配を感じるくらいで、後は静かなものだった。
そんな日々が、少しずつ、少しずつ以前の日々に戻っていった。
堂元は、部屋でぼんやりとする俺のところへ、思い出したかのようにやって来ては、やる気のない俺を気にする事もなく仕事の話をした。その回数が少しずつ増えていき、その度俺もかける言葉を増やしていっていた。
長い間、子供の頃から俺を知っている堂元だから出来た事だろう。さり気なくだが着実に俺に刺激を与え、俺を元に戻そうとした。
だが、元になど、戻るわけがない。
俺は時をかけ青年と関係を持ち、それを一瞬で失ったのだ。その事実を消す事も、時計の針を戻す事も出来ない。
あの頃と同じように俺がなるとしたら、それは成長だ。青年の死を乗り切った、思い出にしたということだ。忘れたのでは、何にもならない。元では、意味がない。
その違いを、堂元は読み違えたのか、それとも、それでも俺を元に戻したいのか。
成長させる自信があるのだろうか。
俺は、仕事を始めた。
だが、あの頃のように心血を注げるものではなかった。単なる日常の一部の動作に過ぎず、関心を持つものではなかった。
「大池氏の方には、直ぐに田端を行かせます」
「必要はない」
「駄目です。今ここで彼を切るのは、こちらも危険です」
「俺は、必要ないと言っている」
椅子に浅く腰掛けて座り、組んだ脚を入れ替えながら返事をする俺に、堂元は溜息を落とした。
「…強引過ぎます」
「そうか。なら、この件はお前が全てこの後引き継げばいい」
俺のその言葉に、堂元は眉を寄せる。
仕事をするようになった俺は、けれどもやる気のなさは相変わらずなので、淡々とそれをこなしていた。人間相手のものだ、そんな事をしているといつか駄目になるかもしれないとわかりつつも、手っ取り早い方法ばかりを選び仕事を押し進めていた。
初めはそれをフォローしていた堂元だが、そろそろ限界に近付いてきたようで、最近では文句を言う事の方が多くなった。
先程、俺は親父の代から付き合っていた者を切り捨ててきた。不況の煽りを受け苦しくなったところを抱えるような、そんな慈善活動を自分はしているわけではないのだと。この世界、一度潰れたらそれで終わりなのだと、自分の事を棚に上げ笑ってきた。あなたが潰れても誰も嘆きはしない、社会にとってはゴミが消えるのは喜ばしい事だと。
堂元が怒るのは当然だ。それもわかっていて、俺はそうしてきたのだから。
だが、全てが間違っているわけではない。そう、一度潰れたら、直に立ち上がれるほど、簡単な世の中ではないのだ…。
「いい加減にしてください」
「…何がだ」
「あなたは、何もかもをわかっていてこんな事をしているんでしょう。何をしたいんですか。愛想をつかされるのを待っているんですか」
「俺は、俺がそうするべきだと思うことをしているまでだ」
荻原の言葉にそう返しながらも、確かにこの男の言葉にも一理あるのかもしれないと思いもする。呆れられ、放っておかれようとしているのかもしれない、俺は。
「やる気のない人間が、大きな口を叩くものだ」
堂元は、忌々しげに俺を見、軽く鼻を鳴らしてその言葉を吐き捨てた。久し振りにそんな、俺を挑発するような顔を見せた。だが、俺はそれに乗りはしない。
「初めから言っている、やる気はないと」
「そんなものが通用しますか。いい加減にしなさい」
「仕方がないだろう、こればかりはな」
テーブル越しに肩を竦める俺に手を伸ばし、堂元は俺の頬を軽く張った。それでも、パシリという音とともに、痺れる痛みが頬に広がる。
「しっかりして下さい」
40近くの男が、苦しげに眉を寄せる。その顔を見つめ、俺は打たれた頬を軽く上げて笑った。
「その仕方がわからないんだ、堂元。どうすれば、そう出来るんだ? そう言うのなら、教えろよ」
「仁さん…」
「まさか、だよ。ホント、まさか、だ。…まさか自分がこうなるとは、俺だって信じられないぜ。
…直せる方法があるのなら、俺も知りたいさ」
そう、立ち直れるのであれば、この喪失感が消せるのであれば、俺だってそうしたい。この2ヶ月、狂った時の中に身を委ね続け、正直疲れた。いい加減、終わらせたくもなる。
だが、そんな方法は、未だ欠片さえ見つからないのだ。
忘れる事も、思い出とする事も出来ない。
他の何かを、変わりとなるものを見つける事も出来ない。
心は変わらず、時だけが過ぎていく現実に、俺は戸惑うばかりだ。
席を立ち、一人で部屋を出ようとする俺に、堂元は声をかけてきた。
「このままで、いいんですか」
「さあな…わからない」
「俺は、間違っていたのでしょうか」
「…そんなことはないさ」
振り返ると、堂元は真っ直ぐ俺を見ていた。
その行動は俺にすれば鬱陶しいものだが、堂元の意思を否定する気はない。だから、これは本心だと、俺も堂元を見返し、言う。
「お前は、いつも俺の側にいる。感謝している」
「…約束ですからね」
一緒にいるのは。
少し肩を竦め、小さく笑う堂元の姿に、不意に青年の言葉を思い出した。
――約束は出来ない。
来年の誕生日もプレゼントをくれるかとねだった俺に、彼はそう言った。知っていたのだ、もうその日に自分がいないことを。知っていて、そう答えたのだ、あの青年は。
「約束、か…」
「…彼とも、約束をしました。あなたがあの事故にあった時、病院で」
堂元は目を伏せ、大きく息を吐き、そうぽつりと零した。
「……どんな」
「あなたの前から消えて欲しいと。離れて下さいと」
「…それで?」
「もう少し待って欲しい、近いうちにそうすると…約束をしてくれました」
初めて俺は見た。青年の死をあっさりと受け入れていたような、全く気にしていなかった風な堂元の顔が歪む姿を。それは、何とも言えないものだった。俺も堂元に、いつもこんな姿を見せているのだろうか…。
堂元があの青年とそんな会話をしていたとしても、後悔をしてはいないだろう、この男なら。だが、それでも俺に言いたかったのか、必要だと思ったのか。これは、懺悔なのだろうか。
「そうか…」
俺は言葉とともに、短い溜息を落とした。
「俺を、怒りますか」
「いや」
今更知ったからといって、何とも思わない。もし、その約束が交わされた日に知っていたのなら、余計な事をと堂元を詰ったかもしれない。何を頷いているんだと、青年に溜息を吐いたかもしれない。
だが、それをするには時間が経ちすぎている。状況が変わりすぎている。
「その約束も、守られたわけだな」
俺はそう言い残し、部屋を後にした。
ビルの外に出ると、夏の名残の強い陽射しの中を吹く風に、はっきりと秋の薫りが混じっていた。
移ろい易い秋の空を見上げ、俺は大きく息を吐く。
彼と過ごした季節が、去っていく。
マサキ。
お前は、ホント凄い奴だ。
沢山の人の中に、お前は残っている。色んな形で。
井原は目を真っ赤にしてもなお泣き続けていた。未だに、俺の姿を見るだけで泣きそうになる。樋口は、淡々としているが、多分色々と悔やんでいる。あいつは人の痛みには敏感だから、井原に刺激されまくっているだろう。そして、堂元も。
堂元は、今でも正しかったと信じているだろう。後悔はしていないだろう。だが、それでも何処かで考えているはずだ。正しかったが、間違ってもいたのかもしれないと。そういう奴だよ。
他にも、沢山の奴等が、お前を覚えている。思い出しては、それぞれ色々と思っているのだろう。
多分、それには、俺の今の姿がかなり影響しているのだろう。
そう、自分でもわかっている。俺一人ではなく、周りにも迷惑をかけているのだということは。
だが、どうにもならないんだ。
未だに、俺はお前から一歩も離れられない。
それなのに、もう、更に近付く事も出来ないのだ……。
何がなのかわからないのに、とても苦しいんだ。
お前も、こんな風に苦しんだんだろうか。死という恐怖に。
不安定なお前に気付きながらも何もしなかった俺を、お前はどう思っていたのだろう。最近そんな事を考える。他人の事がわかるといいながら、側にいたお前の心に気付かずにいた俺は、口先ばかりの駄目な奴にしか映っていなかったのだろう。
それなのに、何故…。何故、お前はあの部屋にいたんだろう…?
何も言わず、何も残さず、ただあの生活の中で一瞬にして消えたお前は、一体何を考えていたのだろうか。
それが少しでもわかれば、俺は今でもお前に近づけるのだろうか。
お前の時はもう止まってしまったが、俺はまだ、流れるそれに身をのせているのだから…。
もっと…。もっと怖がらずに、お前に手をのばせていればよかったよ、マサキ。
そう出来ていたのなら、俺はこんなにも苦しむ事はなかっただろう。
思い出として、お前と過ごした日々を綺麗に記憶に刻む事が出来たのだろう。
だが、もう、それも無理そうだ。
苦しくて、空しくて。何もかもが、色褪せてしまう。
そう、自分を詰るだけではもう、この悲しさを埋める事は出来ず、俺はお前まで汚してしまいそうだ。
――なあ、マサキ。
これは、お前から家族を奪った俺への復讐だったのだろうか。
お前は俺を、やはり何処かで憎んでいたのだろうか。
俺は、今…お前が憎いよ。
この感情を、お前も持っていたのだろうか。
俺はもう、それがただの夢だとしても、お前の夢を見たくはない。
どんな夢だとしても、もう、見たくはない――
+ END +
2003/04/03
Special Thanks to Rei_sama