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「聖殿へ行く」
与えられた部屋の中、まんじりとせず。
ただ、時にオレを貫き通り過ぎる『声』に辟易して。
神官達が謁見を望んでいるのだと伝えてきたそれに、オレは即座に応じて腰を上げた。
伝言係の役人の男が慌てて、御使い自ら出向くことはないだとかなんだとか言うが。
いい加減、飽きることなく続く侍従達の姦しい『声』を振り払いたかった。
離れたところで、また別な声に晒されようとも、だ。
それこそ、オレの行動に慄く『声』は一際であったが。
それでも、オレは自ら扉を開けて、この世界に来て初めての外への一歩を踏み出す。
本気でこのまま向かうオレを認識して声なく叫んだ後、役人の男は伝達が何だの用意は出来るかなどと頭で算段を始めるが。
それを待つつもりはなく、オレは無言で先を促す。
そもそも、出来ないのならば伝えてくるなというもので。
一応御使いの耳に入れとかねばとだけのことで、何も整えずにオレの前に立ったヤツが悪い。
「……では、ご案内します」
覚悟を決めたのか、諦めたのか。
それでも内心で動揺気味に騒ぐ男の『声』を意識して流し、オレはひやりと冷たい廊下へ踏み出した。
初めての外に、ほんの少し気持ちが高ぶる。
予想に違わず石で造られた城は、ヨーロッパなどにあるようなそれで。
こんなところまで飾られている華美な階段を降り、恐ろしく高い天井をもつ回廊を、委縮する役人と兵士と侍従と共に抜ける。
城からみれば、聖殿は湖を挟んだ対岸にあるらしく。一度城を出て、その湖を回っていくようだ。
道すがらそれを訊き、案内をする役人男の焦っていた『声』の理由を知る。
つまり、御使いさまにそんなに歩かせられないと、馬車の用意を考えていたわけだ。
「徒歩では今日中に着かないくらいに遠いのか?」
オレはあくまでも、相手の考えが聞こえるのであって、記憶を探れるわけではない。
結局は、聞かねばわからないことも多い。
「いえ、半刻程でございますが…」
「なら、このまま行く。歩いていけば、向こうにとっても都合がいいだろう。先触れから間を置かずに到着したら、準備が整っていないかもしれない」
招くヤツらにも面子があるだろう、と。
そう言ったのはひとえに、御使いを取り込むための工作時間を与えてやろうという、オレなりの嫌味だったが。
オレの言葉のその意味に気付いていないのだろう役人男は、渋々といった感じに頷いた。どうやら、聖殿の思惑よりも、単純にオレの身を案じているらしい。今なお、馬車を手配するべきかと、どうでもいいことを考えている。
まあ、オレの身に何かあれば、この場で一番咎を受けるのはこの男なのだろう。
当然といえば当然なのだろう考えだ。
しかし、それを慮ってやる必要はなく。また、折角閉鎖空間から抜け出したのに馬車に乗るのも嬉しくはないので。
オレは、『声』が聞こえなくともわかるくらいに、誰もがこの状況に戸惑っているのを知りながら、強引に足を運んでやる。
もっとも。
どこからか飛んでくる、今の会話を盗み聞いたヤツらの中には。
聖殿のことを思いやる御使いだと勘違いし、素晴らしいと感嘆しているのだが。
詐欺としかいえないような宗教の話題は、日本には溢れていたが。
騙されるヤツはバカでしかないが、騙されている間は幸せなのだろうと。
オレなんかに嬉々となっている『声』を流しながら、そんなことを思ったとき。
ふいに、まっすぐとオレを呼ぶ『声』が、オレをあっさり貫いた。
流すことも、遮断することもかなわぬ様な、問答無用のそれは不快ではなく。ただただ、一直線にオレへと向かい、意識を向けさす。
これはなんだろうか?と考えているうちに、今度は、本物の声が聞こえる。
城を出る直前で呼びかけに振り返れば、見知らぬ男が近づいて来るところだった。
周囲の面々が頭を下げる中、オレは、オレを値踏みするような視線を向ける男を見据える。
先程の『声』の主ではなさそうだ。『声』はもっと若い感じだった。
脱色した銀髪頭のオレが言うのもなんだが。
男の短い髪は白に近いほどの金色で、本物であるのだろうが、黒髪人種の中で育ったオレにはなんだか人工的に思える色合いだ。
「正式にお会いするのは初めてですね、御使い殿」
「アンタを見かけた記憶はないが」
「ええ、そうでしょう。私は貴方が降臨した際、その場に居た者です」
慇懃さはないが、無礼でもない。洗練された仕草で軽く礼を取った男が、オレを見て表情を緩めた。
だが、幾分か上にあるその眼は、一切変わらず硬質だ。
「体調が戻られたようでなによりです」
「何のことだ」
「御使い殿ならばもう、あの時の傷は完治されているのでしょう? こうしてお出になられていることですし」
「…アンタも、オレを御使いというのか」
オレの言葉に、男は虚を突かれたような顔を見せた。
想定外のものだったらしい。
「貴方は御使いでしょう?」
態度はどこか誂えた姿勢を見せ、表情は観察しているようなそれを隠さないが。向かってくる男の内面は、オレを御使いとして見ているものではなく、オレ自身を見定めようとするかのようなものである。
誰もが、御使いだと、感嘆したり畏怖したり唾棄したりする中で。この男は、オレ自身を問うかのように、オレを見てくる。
御使いであるのなど、知らないと。関係ないというように。
だから、つい。
興味を持ったほどでもないが、その違いに対して疑問を口にしただけのことである。
実際には、男がオレをどう捉えていようが、どうでもいい話だ。
空から降ってきたのを実際に見ているのならば、人間外にされたところで当然ですらある。
「それとも、御使いではないと…?」
「さあな。オレ自身、自分が何者であるのかなど、この世界に来て失くしてしまったから何でもいい。勝手にしてくれ」
「…予想と違うようですね。御使いとはもっと、繊細な生き物だと思っていましたが――これはこれは、いや、参った」
「繊細でも何でも、それも好きに思っていろ」
過去の御使いが狂うことなくこの地で生きたのならば、とてもじゃないが、そいつらが繊細だったとはオレには到底思えない。
相手の言葉と己の存在を疑うことなく、神の使いとして過ごしきったのならば、図太い神経の持ち主であったことは間違いないだろう。か弱ければ、御使いなんかやってはいまい。
見知らぬ世界に放り込まれたら誰だって、心細さに震える。周囲の全てに、怯えるものだ。
言い伝えとは、良いように脚色され、美化されるものだ。
周囲はそう捉えていたのだとしても、実際のところは。処理しきれぬ事態に精神が不安定となり、繊細ぽっく見えただけだとかだろう。
そう言う意味では確かに、ふてぶてしい態度を貫くオレは、今までの御使いとは違うのかもしれない。
この世界など滅びればいいと、最初から吠えたヤツなど今まで居なかったのだろうから。この世界のヤツらには衝撃を与えたのだろう。
兎に角、繊細とはかけ離れている。
オレはいわば、死んだ身だ。死へのダイブが、ここに繋がった。
だが、過去の御使いは、そうではなかったのだろう。
この世の滅亡を望まなかったのは、自分もまた生きていたからだ。
代々の御使いと、オレとの違いは、性格だとかなんだとかよりも、そこに根本がある。
オレは、死を望み。その後に、この世界があったのだ。
ここがあの世でないのならば、新たに再度の死を望んで当然だろう。
その時を待っている身に、世界の破滅などどうでもいいものだ。
嗚呼。こんなオレに、縋るこの世界は。
なんて愚かなのだろう。
2011/07/10