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「貴方は…少し危険なようだな」
男が僅かに苦々しい表情でもって、そう言った。
だが、直ぐに重なった視線で、オレに小さく笑いかけてくる。
そこで漸く、この男は誰なのかと気になった。
何やら耐えるようにしている傍らの騒がしい『声』に意識を少し向け、向かい合う男が隣国の王子であると知る。
だが。
聖殿も、クルブ国も。昨日のオレの発言を、あえて隣国の王子に伝えていると思えないのだが…?
この男は知っているのかどうなのか。探るよう集中するが、『声』はない。
口を開かずにいると、再び評された。
「無謀に見える」
それは、オレがこの世界を滅ぼすのに力不足だと。
オレの死だけで滅亡が訪れるわけじゃないのに死を選ぶのかと。
そういう指摘かと思ったが。
男が口にしたのは、ま逆のことだった。
「貴方は自分がいかに尊き存在かわかっていないようだ。今や、世界中が貴方を手に入れようとしている」
危ないと、オレの身を案じているらしい。
危険なのは、オレが害するからではなく、害されるかもしれないことへの注意らしい。
だが。
だったら、それは、この男にも言える話だ。
「なら、アンタとこうして向かい合うのも危険だと言うわけか」
「そうですよ、御使い殿。貴方はもっと警戒するべきです。それでなくとも、その容姿だ。世界を抜きにしても、奪いたいと願う輩は多いでしょう。今の御使い殿には、残念ながら安全な場所などないのです。契約がなされない限りは、この国とて危険だと忘れないで下さい」
咄嗟にだろうが。
流石の物言いに、傍らの役人男が隣国王子を諌める声を上げた。
だが、オレはそれを聞き流し。目前の男を改めて見る。
つまり、これは。
ただ単純に、みなが恩恵を受けようと縋り付いて来るだけではなく。好き勝手な振る舞いをし、差し出される手を拒み続けていれば、強行に打って出られて奪い取られるだけだとの忠告なのだろう。
この男もまた、それは確かな方法ではないと知りつつも。身体を強要するのはひとつの手段だと考えているのだろう。いや、この男はともかく、多くがそう考えるのだとの指摘か。
どこにいようと、どうしていようと、お前は安全ではないんだと言うそれに。
オレは小さく眉を寄せる。
この男はこんなことをオレに言って、何をしたいのだろうか。
「だが、少なくともこの国は、オレを無理に奪う気はないようだが?」
むしろ、国のブレーンであるあの三人は、さほど欲しがっているようにも思えなかった。
世界の云々よりも、ただただ御使いは厄介だとの思いの方が強いようだった。
他の連中は、飛んでくる『声』ではそれも無きにしも非ずだが、国としては狙われるだろう感覚は持てない。
「それは、今のところ、ですよ」
「……今、ねぇ」
今も何も、長居する気はないが。
「この国の王は、そうと決めたら容赦はしないでしょう」
「あの男が、オレを…?」
「貴方は、意思は強そうだが、心は脆そうだ」
「ジンバ様ッ! 幾ら貴方様でもそのような侮辱は許されませぬぞッ!」
とても自然に延ばされた男の手が目指したのは、貶したオレのそれだったのだろうが。
気付いた役人男が悲鳴のような声を上げながら、庇うようにオレと男の間に半身を入れた。
少し押されて半歩足を引きながら、オレは意外な進言をしてきた男を探る。
隣国王子に気を取られ他を遮断していたらしいが、触れたことで怒り狂う役人男の『声』が聞こえ。
それにより、隣国王子がこの国の国王と親しいことを知り。
あの、犬を従える男の様子を思い出し。
紡がれた言葉の裏を知りたくなった。
だが。
別段何も思っていないのか。気を荒げている役人男に対しても何もないようで。
言葉や態度とは裏腹に、静かな心に行き当たる。
唯一そこにあるのは、御使いなるお前は何を選ぶのかと、他人事のように遠くからオレを観察しているかのようなものだけだ。
どうやら、この男は。本心から御使いを欲してはいないのだろう。
だからこそ、こうして絡んできたのか。
邪心が一切ないからこそ、「御使い」を畏れていない。
「まるで心配しているような口調だな」
「そのつもりですが、余計なことでしたのならお詫びしましょう」
間に立つ役人男を一切無視する形で声を掛けると、相手もまた何事もないように返答した。
途端に、複雑な『声』が聞こえたが。
それをうち消すように、思わぬところからも『声』が飛んできた。
先程、一度大きく響いた『声』だ。
御使いさま、御使いさまと、あまりにも煩いそれに辟易しつつも、無碍にするには無垢なそれに思わず顔を向け待ってしまう。
オレのそれに気付いた周囲もまたオレに倣うよう、奥へと続く通路へと目をやった。
いくらも置かないうちに、そこに小柄な人物が現れる。
「あ! 御使いさまッ! ――え? あ? あ…、えぇッ!?」
オレを発見し喜んだ顔が、駆け寄る間に全員の注目を受けているのに気付き、驚愕なものへと変えた。
辿り着く前に駆けていた足は止まり、持っていた布を握りしめ怯えた仕草をする。
部屋に居た侍従の一人で、御使いだと、オレの一挙手一投足に誰よりも単純に興奮していた少年だ。
数歩の距離を残して立ち止まった少年の『声』からは、オレの為に外套を用意してきたらしいことが窺えたが。
眼を白黒させる分だけあり、驚く『声』が大きくて、近付く気にもならない。
煩い。
「御使い殿は、お幾つですか」
突然駆けてきたのが侍従でしかなく、その目的も見ただけでわかり興味を失くしたのか。
オレの横顔に何を思ったのか、何の脈略もない質問が傍の男から発せられた。
隣国王子は、内心はそうでもないのに、口だけはオレに興味を示す。変わった男だ。
「……この世界に生まれ出て、三日だな」
それがどうかしたか、と。顔を戻し、一度男と視線を合わせ。けれどもオレはそのまま、そこを通り越す。
首に付きあい身体の向きも変え、城壁の向こうへと飛ばす目を追いかけるよう足を踏み出す。
「三日なら、赤子ですね。赤子は、誰かに守られるべきものですが――」
その役目、私では不足ですか?と。
まるで、乞うように。オレの背に、静かな声が掛ったが。
男がその時に心で吐いたのは、全く別なものだった。
『お前は、アイツを救うのか…?』
どう言う意味だと、唐突なそれに。真っ直ぐ前を向いたままも、意識をそこへ集中させた瞬間。
男がいう『アイツ』が誰なのか。
乞うのでも求めるのでもなく、その未来は有り得るのか見極めるような言葉であるのを察する。
隣国の王子は、オレに何も願ってはいないのだ。
ただ、どうであるのかを見ようとしているだけに過ぎない。
言葉にしたような、守る気も一切持ち合わせていない。
けれど、それは全くの不快ではなかった。
もとより、オレはこの世界の誰にも、何も望んでいないのだから。
こうして、相手からも望まれないのが正しいのだ。
歩き出したオレに、意識を戻した侍従の少年が慌てて駆け寄って来る。
それに、オレに付き従い歩き出した役人男が、苦々しく顔を歪ませる。
残りの侍従と兵士は口を引き結んだままだが、止まることなく『声』が流れている。
オレへの用は済んだのだろう、それ以上声をかけずに見送る男の爪の垢を煎じて飲ませれば、この煩い面々は大人しくなるだろうか。
いっそ、喉も思考も破壊する毒を口に詰め込んでやりたいくらいだ。
「あ、あの、し、失礼します! み、御使いさま!」
「……ああ、貰う」
「え?」
追いついた少年が、オレの傍で高い声を上げた。
周囲へもその緊張を波及しそうなくらいに強張ったそれに付きあうのも面倒で。みなまで言わせずに、手を出す。
だが、先手を打って出した手を、呆然とした表情でただ眺められた。
次に予定していた言葉は喉へ戻らなかったのか、口は空いたままだ。
そこから魂が抜けていきそうなそれに、なぜかオレは刺激され。
思わず、渡されない上着の代わりに出したその手で、軽く叩くように少年の口元を指の背で弾いてやる。
「ひゃ…っ!!」
面白いほどにビクつき、その場で飛び上がった侍従に。痺れを切らした役人男が声を荒げた。
ひれ伏すその姿に口元だけで笑い、漸く差し出された上着を羽織ってオレは城壁をくぐる。
近くからも遠くからも、数多の視線を受けながら、ひらけた視界で捉えた圧倒的な景色に。
湧きあがる不快を押し込み、深く息を吸う。
一年の半分が雪の季節だというこの国の、短い夏は。
蒸し返る日本のそれとは全く違い、どこにも夏らしさはない。駆け抜けた風には、冷たささえ混じる。
空の青さも、木々の緑も、光の強さも。
どこか、物悲しい。
土の地面を踏み締めながら、水面を輝かせている湖を眺め、改めて思う。
オレは、新たな世界に居るのだと。
遠ざかった元の世界を思い出し、この現実を意識する。
オレは、世界が終ることを望んだのであって。
新しいそれを、一度たりとて求めたことはないというのに。
皮肉なものだ。
2011/07/10