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この世界はオレが居るべき世界じゃない、と。
オレは違う世界に行きたい、と。
現実の苦しさに、そう思えていたのならば。
オレにとってこの世界は希望になっただろう。
けれど、そうではない。
オレはあの日々をただ終わりにしたかったわけじゃない。
もう、オレという人間自身を終わらせたかったのだ。
世界が変わっても、オレがオレであるのが変わらないのなら、何の意味もない。
まして、この世界は。
元の世界以上に、最悪だ。
御使いだろうと、異世界の者だろうと、何だろうと。
オレの全てが消えない限り、オレが求めるのは終わりであり。
ひとつ息をする度、その飢えは増していき。
溢れる『声』が、オレをうながす。
終わりへと。
「――何を言われようと、オレは何も選ぶつもりはない」
だから、話し合いなんて無駄だぞ、と。
薄く笑ったオレに、神官達はそれでも言葉を重ねた。
いかに、世界が疲弊しているのかと。それを救ってはくれないのかと。
いかに、自分達は御使いを思っているのかと。それに応えてはくれないのかと。
いかに、オレが危うい立場にいるのかと。誰かに利用されてもいいのかと。
自分達のことを棚に上げ、傾いた視線から見た世界を、てらいなく言葉を紡ぎオレに示す。
そこにあるのは、彼らの正義であるかもしれないが、オレの真実にはなりえない言葉だ。
だが。
もっと生々しい、溢れる『声』に比べれば、まだマシで。
止めることなく放置すれば、尽きずに言葉は向かってくる。
何とも、熱心なことだ。
オレが自ら足を運んだ気まぐれさえも、まるで神に選ばれたかのように捉えるのだから、相当イってる。
ここで、今、オレが御使いでないと証明されるようなことがあったら。
自らが認定したことも忘れて、神を謀ったとオレを抹消するのではないだろうか。
それくらいに、狂気を孕んだ熱がオレに纏わりついてくる。
もっとも。
神官とはいえ、所詮はただの人で。
人の欲望など、単純なものだ。
「代々の御使いは、クルブ国の王に仕えたが故に、この地に神殿が建っていますが。そもそも我々は、どこの国にも属さないものなのです」
「ならば、国同士が争おうとも、聖殿は中立ということか。国ではなく、あくまで神に仕えており、政には関与しないと?」
オレのそれに頷く男の言葉を引き継ぎ、今度は女の神官が言葉を紡ぎだす。
「クルブ国が貴方様の保護を主張する権利はどこにもございません。故に、御使いさまが彼の国をお相手にする必要はないのです」
それなりの美人だが、頭のイカレ具合を考えると、眺める楽しさもない。
目の前には抱かれ転がっていても食指は動かないタイプだ。
「尊き存在であらせられる貴方様は、なにびとにも傅く必要はございません。クルブ国国王が何をおっしゃったのか存じませぬが、耳をお貸しにならない方が賢明かと存じます」
説得者達は代わり映えなく。
御使いを望むがゆえに、ライバルとなるのだろう国を貶し続けている。
特に、この国を目の敵のように。
畏れ多くも神の使いに俗世の事情をお教えしている心情なのだろうが、実際はただの悪口だ。子供の陰口だ。
相手が真剣な分、こちらはシラけてしまう類のそれでしかない。
「中立と言うよりも、聞く限り、クルブ国と敵対しているような物言いだな」
「敵対などは…。しかし、貴方様には嘘はつけませぬので、正直に申しましょう。我々は代々御使いを傀儡としたクルブ国の所業を認めてはおりませぬ。彼の国を快く思ってはおりませぬ」
「傀儡ねぇ……クルブ国は御使いを手に入れる為、その身を犯して支配し篭絡するというアレか」
遠まわしな会話は早々に飽きて発したオレの言葉に、張り詰めた静寂が数秒生まれた。
まさか、オレがそんな話を知るとは思わなかったのだろう。
自分達の短い接見を除けば、クルブ国側としか接していないはずの御使いが、汚れた噂話など知りえる機会はないと思っていたらしい。
口を噤みつつも、内心では色々と叫んでいた『声』までも、唖然としたようにぴたりと止まった。
その合い間を縫うようにして、オレが深く息をひとつ吐いた後。
爆発が起こったような『声』に包まれた。
大半が、御使いがそれを知っていると驚くもので。その半数以上が、脳内でオレを奪う妄想をしていた罰の悪さを感じ呻いている。
オレに話をする役目の神官が呆然となったままであるのを察してか。我慢できずにか。
喰えない神官長が、止まった時を動かすように、沈黙の中で先手を切って口を開いた。
「…そのようなお話、どこからお聞きになられたのでしょうか」
「さあ、親切心からか忠告かはわからないが、色々と教えてくれるからな。誰が言ったのかは忘れた」
実際に聞かされたのは、御使いが仕えていたクルブ国以外が真実を読み違え、そのような愚考に起こる可能性があるという話しだ。
だが、どこからか届く『声』は、この国のものにもそのような考えがあるというのを伝え。
過去この国がしてきたことも、真実などどこにあるのかもわからないくらいに、人々の中では色を塗られている。
自国の王が早く御使いを手に入れればいいと、生々しく喋る『声』は幾度となく拾ってきたのだ。
知らぬふりで再度の説明を食らう気力もない。
覚えていないと言ったオレに、神官長が表情は変えずに、僅かに瞼を伏せた。
余計なことを…と、下げた視線でとらえた床に、思いあたる人物でも描いているのか睨みをきかせる。
先の接触時、敢えてオレにその手の危険があることを語らなかった男だ。恨みのひとつはあるのだろう。
だが、どうせ、その内嫌でもわかる話だ。
この状況で、オレの耳に何も入らないままでいられるわけがないだろう。歯ぎしりをするような話ではない。
それとも、オレが無知の間に都合よく何かを吹き込み、奪うつもりだったのか。
ほんの一瞬吹き荒れた神官長の嵐に誰も気付かぬ中で、オレは、そういう点で考えればと、クルブ国とのやり取りを振り返る。
危険を知らせる意味ではあったのだろうが、この世界に不審を抱かせることにもなる話を、あっさりというほど簡単に語ってくれたのは評価してもいいのかもしれない。
国王は何を考えているのかわからず、交渉してきた秘書官にも御使いを手に入れたいという熱心さは皆無であった。
湖の畔に建つ、恐ろしいほど華美な聖殿に溢れる神官達の欲望に比べれば、冷め切っていたほどのそれだった。
過去の実績からの余裕もあるのだろうが、何が何でも聖殿へと燃える神官達を前にしたら、好感が持てる程に関心が薄い。
案外、周囲が思うほども、クルブ国は御使いを重要視していないのかもしれない。
もしかしたら、過去の御使いは厄介者だったりしたのだろうか。
この世界の人々から見れば、所詮は、得体の知れない生き物なのだ。
そうであったとて、不思議ではない話である。
「王と契約を交わし、御使いは国を守る。それが、この世界を支える。だが、その契約は、一方的に奪うことでも成立する。御使いとはそう思われているのだろう?」
「一部のものは、あるいは…。ですが、それは真実ではございません」
「なら、アンタは。クルブ国は正当な手段で御使いと契約を交わしてきたと思っているのか?」
純粋に、御使いは代々のクルブ国国王を選んだのかと、オレが問えば。
神官長は、「そう伝えられております」と頭を下げた。
顔は見えない。
だが、信じていないのは確実だ。
何より、オレの言葉に大半の神官が否の『声』を上げていた。
聖殿もまたその恩恵を受けてきているのだろうに、相当、この国は嫌われているようだ。
いや、嫌うと言うよりも。
いい加減邪魔だと言ったところか。
権力を持ちすぎたが故に、妬まれ疎まれているのだろう国は。
けれども、オレが感じている限り、世界の中心になっていたことなどなさそうな、静かな国だ。
王城内を伺う限り、堅実な国民性で、御使いに浮き足立っていてもどこか冷静だ。
なのに。
神殿のこの敵視に。
個々人の中に存在する、強欲さ。
対峙する面々のこの国の認識は、偏りすぎている。
この温度差は、歪だ。
2011/07/18