+ 18 +

 水の中に居るようだ。

 呼吸が上手くできず、耳も目もほとんど利かず、身体が重い。

 時折水面に顔を出したように、全てがクリアになる。
 なった途端、『声』という攻撃に晒され、再び沈むはめになる。

 ここでの日々は、酷く不透明だ。

 まるで、真夜中に見る夢のようで。
 醒めても、朝は来ない。

 闇が明けることは、ない。


 ソファでまどろんでいると、小さな驚きの『声』が飛んできた。
 続いて、耳に心地よい柔らかな『声』を発しながら、どこかで動き回る気配がする。

 いくらもしないうちに、その気配が近づいてきた。
 同時に、害はないそれの、かなり向こうからもだが。

「あっ…!」

 遠い方の気配に揺り動かされ瞼を開けると、今まさにオレの身体に掛けようと、布を持ってきていた少年と至近距離で眼があった。
 驚いた顔が、幾度かの瞬きをするうちに真っ赤になる。
 何とも言い難い悲鳴のような『声』が上がる。

 それは不快なものではない。
 煩い程度で、取るに足らない興奮だ。
 幼子のように、オレが目を開けたそれだけで単純に騒いでいるだけでしかない。
 だが、いい加減、慣れるべきだろう。

 オレの世話を焼き始めて何日になると思っているのか、と。
 飽きもせずに興奮する少年に多少思いもしたが、呆れは浮かばない。
 オレの方が先に、彼のこれに慣れきってしまったようだ。

「あ、あの、お、お、起こしてしまいまして…ス、スミマセン!」

 我に返った少年がつたない謝罪をしつつ、伸ばしかけていた腕をかけ布ごと後ろへ回した。
 オタオタとなりながら、足を後ろへ引く少年を見上げ、オレは腕をのばす。

「寝るから、そう言ってくれ」
「あ、は――え?」

 ギュッと握りしめた手から布を取り上げ、オレは身体に掛けて方向転換し、ソファの背に顔を押し付ける。
 頼んだぞと再度告げると、「お、お休みなさいませ…?」と、若干疑問形であり対にはならない言葉が返ってきた。
 理解しないままでの条件反射のようなそれに、『声』を聞くまでもなく単純に己の不親切さに気付き、言葉を加えてやる。

「叩き起こせと言われた場合のみ、取り次いでくれ」
「……え? は…? …あ、あの、す、すみませんが……ど、どう意味でしょう?」

 情けない声が上がり、同時に、泣きそうな『声』が上がる。わからないと焦るそれは、まるで子供だ。
 それでも、直ぐにわかることなので放っておこうと思ったのだが。どうやら、今こちらに向かってきている男の『声』から察するに、側仕えになった少年が無関係だというわけでもなさそうなので。
 オレは考え直し、「客が来る」と丁寧に教えてやる。
 歓迎していないので、客なのかどうかわからないものだが。扉の前に立つ兵士は入室を止めないだろうから、拒んだところでやって来るのは決定事項だ。
 その後のことは、この少年にかかっている。

「面倒だ。出来たらオレは会いたくない。休んでいると、一度くらいは抵抗しろ」
「え、あ、はい。が、頑張ります…!」

 教えてもなお意味がわかっているのか怪しい反応だったが、言葉だけは一人前なものが返ってきたので、「ああ、頑張れ」と言ってやると。
 少年は、元気な返事をした。とても嬉しげに。
 しかし、流石に数秒後にはここがどこであるのかを考えたようで、誰が来るのかオロオロし始める。

 なぜオレが来客に気付いているのかなど気にもならないほど、どんどん不安さが増していく『声』。
 それを背中で弾いたところで、来訪を告げる声が扉の向こうの兵から届き、少年は足音を立てながら飛んで行った。

 悲鳴でしかない『声』が届いたのは間もなくで。
 まともな抵抗は出来ずに、その客は難なく中へと入って来た。
 普段の様子から多少の予想はしていたが。あの少年は想像以上に役立たずのようだ。
 先に教えた意味がない。

「み、御使いさま……あの、ジャネスさまがお越しになられました」

 一介の侍従が、しかもまだ幼い少年が。自分の父親よりも年上だろう宰相に命令されては、抗うのは無理なのだろう。
 確かに、オレに付いているとはいえ彼の主人はオレではないのだから、どちらの命に従うかなど決まりきったことだ。
 侍従を纏めるのが誰かは知らないが、その頂点に居るのは国王で。一国の王と、御使いとはいえオレを比べれば、従うのは王であるのだろうし。それは、宰相であっても変わらないのだろう。

 声を掛けても動かぬオレに、『起きてくださいィ〜』と内心で叫ぶ少年のそれを聞きながら、オレは当然でしかないこの状況を納得するに努める。
 だから、役立たずであろうと、責めはしない。
 それでも。
 仕える気概はあるのだから、やはり一度くらいは抵抗しろよと思うのも事実だ。
 そしてそれは、犬以下だなという評価に行きつく。

 あの犬に似ているので、この少年を残したが。
 あの犬ほども、優秀ではなさそうだ。

 こいつも、捨ててしまおうか。


2011/07/24
<<< Calling >>>