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 結局。

 少年は、本当に効くのかどうなのか怪しい薬草やら何やらを持って戻ったが。
 オレの方は、それに頼る気も、協力する気もなく。

 しょんぼりとなった少年が、心底面倒だと思ったところに。
 いつものように、この国の王様がふらりと現われた。

 男は、何もなくともやって来て。
 特に何もせずに、戻っていく。
 監視か確認か何なのかわからないが、何であれ、この男が来たところで煩くはないので、どうでもいい話だ。

「ヴィス」

 飼い主の声に応え、男の横に付いていた犬がオレのところへとやって。
 挨拶をするよう、長椅子に寝ころんだオレの顔に鼻先を近づけ、大人しく床に座った。
 その向こうで、男もまた腰を下ろす。
 用意された酒に手を付けず、ただ、空気を見るように意思のなさげな視線を向けてくる。

 いつでも、この男はこんな感じだ。
 言葉を交わせばまだマシな方で、共に来た犬をオレが少し構うのを見ていたかと思えば唐突に、用は済んだというように黙ったままで帰っていく時さえある。
 何故来るのか、まるでわからない。
 来る意味はどこにあるのだろうか。

 それでも。
 気まぐれのように会話をする時もあることにはある。
 しかしそれも、殆どが意味がないほどの内容であり、どことなく噛み合ってもいないようなものだ。
 少なくとも、オレは犬との方が意思の疎通がとれているように思うし。男の方も、犬との方がわかりあっているのだろう。
 そんなレベルの話だ。

 だが、こんな男だが。
 だからと言って、頭がいかれている訳でも、他者との接触が出来ない訳でもなく。
 充分に、王としての威厳も能力も持っているらしい。
 オレは直接わからないが、聞こえてくる『声』は総じて、その地位に相応なものだ。

 優秀である男に、オレが持つのは。違和感さえない、無色さだ。
 つまるところ、この男は、まったくもって語らないと言うことだ。

 それはなにも、『声』が聞こえないから言っているのではない。
 男には驚くべきほどに、何もない感覚が常に付きまとっている。
 それは、感じないのではなく。
 何もなさを主張しているような、おかしなものだ。
 この男は本当に、何も必要としていないのだろう。

 虚無を抱えているというよりも、男そのものがそれに近い。
 王と言う役割がなければ、本当に何もなさそうなヤツだ。

 そんな男が、一国の王だという。
 はたして、それはどうなのだろう。
 流石のオレも、他人事と思いつつも、こうしてその眼を向けられると時にそんなことを考えてしまう。

 侍従の少年を見る限り、心酔するあのイッた男を見る限り、他の臣下を見る限り。
 彼らが、男のそれを分かっているようには思えない。わかっていたら、普通、国など任せられないだろう。

 残忍さも、無関心さもなしに。
 この男はその時がきたならば、普通に。
 国を手放すことも、滅ぼすことも、躊躇わずにやりそうだ。

 それは、ただのオレの勘だ。
 だが、オレは、オレのこの勘が間違っているとは思わない。
 そもそも、オレが覚えるそれを彼らに見えていないのは何故なのかなんて。考える意味もない話だ。
 オレと彼らの違いは、全てに等しいのだから。

 だから、単純に。知っていようが知っていまいが、ただ、思う。

 この国のヤツらは、こんな男を王にして物好きだと。
 無能だと。
 そして、それはこの男自身が思っているのだろう。そんな気がする。

 オレならば、絶対。こんな男になど仕えはしない。
 何も求めない人間など、信用するに値しない。


 ここに居ると、否応なしに多くの者の『声』が届く。
 御使いにこの国が選ばれることを望んでいる『声』が。

 だが、この男は。
 この王は。
 御使いを得る気など、微塵もなさそうだ。

 犬を飼うように、犬に揃えて名前を付けるようなヤツで。
 オレをそう言う眼では、一切見ていない。

 オレ自身、自分がここに居るのを滑稽に思うくらいに。


「髪は染めていたのか」

 今夜は、話しをする日なようで。
 声がかかるまで動かないらしい犬とただ視線を絡めていると、そんな質問が飛んできた。

 少年が泣きついたのか、その行動が派手だったからかはわからないが。
 相変わらず、別段答えを欲していないような雰囲気で問う。
 心底、オレの髪などどうでもいいのだろう。

 実際、それでしかない話だ。
 頑張って嘘をつくものではない。

「脱いていた」
「抜く?」

 この世界では、髪を着色はするが、脱色はしないらしい。
 首を傾げた訳ではないが、犬並みにわかりやすい素直なそれに、オレは僅かに片方の口角を上げる。

「色素を、だ」
「本来は、黒髪なのか」
「まあ、そうだな」

 もう少し正確に言えば、歳には不似合いな白髪が多く混じる髪であり、真っ黒ではない。
 しかし、そこまで言う必要もない。

 聞き耳を立てていたらしく、驚く少年の『声』が届いた。
 面白いと、再び笑ったのも束の間。
 騙されたと怒るのではなく、病気ではないのだと安堵する様子に、逆にオレの気分が冷める。

「どのようにして色を脱く?」

 わかれば用意させるがと言ってきた男に、必要ないと答える。
 髪など、何色であろうと構わない。
 拘りはないし、この日々の中で拘る意味もない。

 それよりも、もっと。
 もっと、気に掛けるべきものがあるのではないのだろうか。

 アンタは本当に一国の王なのかと。
 自分を取り巻く現状をわかっているのだろうかと。
 当事者ではあっても非協力を貫くオレとは違い、国の頂点に立つ男は多くの問題を抱えているのだろうに、微塵も感じさせないそれに呆れ果ててしまう。

 お前の主人は本当におかしな奴だなと。
 手を伸ばしてやるとペロリと舐め甘噛みしてくる犬に、胸中で言ってやる。
 お前は、こんな主人でも平気なのか?と。

「確かに、黒髪の方が似合いそうだ」

 不意に影が差したかと思えば、いつの間にか腕を伸ばした男の手が、オレの髪に触れていた。
 伸びた髪の先をつまむように指で取り、動かぬオレを犬の服従と同等に見たのか、そのまま掌全体で掻き上げる。

「……やめろ」

 後頭部に流された髪がパラリと頬へ戻って来たところで、再び掻き上げようというのか、目前に迫った手からオレは顔をそむけた。
 まだ辿った指の感触が頭皮に残っているかのようで、それを消したくて、梳かれた髪を片手で掻きまわす。

「オレは犬じゃない」
「知っている」

 舌打ちと共に言ったその言葉に、何の感情もなくただ事実でしかないように、男は平坦にそう答えた。
 わかっているのならば、触るなと。飼い犬を撫でるのと同じことをしてどの口が言うのかと。
 男のその口調はオレを刺激したが、湧いた言葉はどれも口にするには馬鹿らし過ぎて。

「お休み、ユラ」

 無言で立ちあがり、寝室へと足を向けると。
 扉を開けたところで、背中にそんな声がかかった。
 クゥーンと、犬までが挨拶をするように鼻を鳴らす。

 変わりない表情しか見えないのだろうと思うと、振り返る気にはならなかったが。

 男の『声』が聞こえないのは不便だと。
 あまりにも感情の掴めない相手に、忌み嫌う能力を自ら求めるようなことを思ってしまう。


 オレもまた、おかしい内の、ひとりだ。

 けれど、この世界に、まともなヤツなど居ない。
 誰もが、異常を抱えている。

 御使いだ、世界だと叫ぶ者から順番に消えていかない限り。
 この世界は、澱み続ける。終幕へと、向かう。


 オレの存在は、ただの、その象徴でしかないのを。
 この国の王は、知っているのかもしれない。


2011/10/15
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