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気付けば、燃えていた。
全身が、マグマのように煮えたぎっていて。
熱いのに、寒いようで。
重くて痛い、けれど、自分の肉体は感じない。
そんな、奇妙な感覚の中で。
オレはただ、ひどい苦痛に支配されていた。
一体どのくらいその熱に浸かっているのか。
もう、オレの全ては融けて流れてしまったんじゃないかと思えるくらいのそれだったのだが。
何かがオレに触れていた。
感じたそれを夢中で追いかけるうちに、己の身体が変わらずに存在することを察し、どこかでホッとする。
しかしその安堵よりも、触れる冷たさに心を奪われた。
身体をすべるそれが、オレを犯す熱を振り払ってくれる。
呼吸が少し楽になる。
「また、泣いているのか」
声を掛けられ、一瞬にして、自分が陥った事態を思い出した。
そうだ、オレはわかっていてアレを食べたんだったと。
今の自分の状況を理解し、すると同時に、狂うほどの熱さえどうでも良くなった。
苦痛にさえしらける中で、変わらず冷たいそれを追い、頬を撫でられたのを機に瞼を押し開ける。
けれど、視界は曇っていた。
ゆっくり数度瞬きをして幾分かクリアになった先に、男が立っていた。
「お前はいつも、ひとりで泣くのだな」
何を言っているのかわからなかったが。
問い返す気力は流石になく、また興味もなくて。
オレは、自分を見下ろす男を見て、今は何も要らないと目を閉じる。
この状態では、何もかもが煩わしいとしか思えない。
自分はまた助かるのだとの予感が、全てを色褪せさせた。
触れていた冷たい指が離れて行く。
失くして漸く、男がした指摘を理解した。
オレは、涙を流したのだと。
だが、生理的なそれに意味などあるはずがなく、だから何だと思いながら、ダルさの中を漂う。
また、と言うことは、前にもあったのかと。
それより、王様業はそんなに暇なのか、男はよくオレの目覚めに立ち会うなと。
同様に、飼い犬もそうなのだが、今も居たのだろうかと。
本気では気にもしていないそんなことを、取り留めなく、ゆっくりと思ううちに、随分と時間が経ったようで。
次に瞼を開けた時は、寝入っていたつもりはなかったのに、身体はかなり楽になっていた。
自分では思考を動かせ続けていたつもりだったが、そうでもなかったらしい。
暫くそのまま横になっていると、静かにドアが開き、侍従の少年が姿を見せた。
オレが起きているのを見て一瞬驚き、次の瞬間にはベッドまで駆け寄り、オレの無事を泣いて喜んだ。
そんな少年から、オレは五日間も寝込んでいたのだと教えられる。
意識は殆どなく、昏睡状態であったらしい。
昨夜に、王から目を開けたのを確認したと聞き安堵はしていたが、それでも今日も変わらずに眠り続けているので不安で仕方がなかったんだと。
そういった『声』が、実際にオレへと説明される言葉を補うように飛び込んでくる。
その向こうから。
少年の『声』とは別の『声』が。
御使いの不調を知る者の怯えや、役立たずな御使いへの憤りや、御使いの存在を求める思いや、色々が。
久しぶりの目覚めで冴えわたっているのか何なのか、いつもならば無意識に遮断しているのだろうそれらが押し寄せてきて。
「ユ、ユラさま!?」
大丈夫ですかッ!と。
物理的に遮っても意味はないのに、オレはつい両手で耳を覆い頭を抱え、少年を慌てふためかせてしまった。
直ぐに医術師を呼びます!と。
静止の声を上げる間もなく寝室を飛び出した少年に、遅ればせながらオレはウルサイと掠れた声で呟く。
目を閉じると、その『声』から、隣室からも飛び出していく少年の気配を追えたが。
直ぐにオレはそれを断念し、再びベッドへ体を横たえた。
一人に集中する余裕など与えてくれない、『声』の数々。
止まることなく飛び込んでくる『声』に、目覚め早々潰されそうだ。
寝過ぎていて、いつもの感覚が戻らないからか。
それとも、自己防衛の本能で行っていた遮断が出来ないほどに、アレの影響が残っているのだろうか。
そう。
あの時察したように、肉に混ぜられていたのはやはり、かなりの毒であったのだと。
オレが陥った事態を知っている何者かからの『声』が、オレにそれを教えてくる。
御使いが目覚めなければ、この世界はどうなるのだろうかと言う畏れを抱いた感情を混ぜた『声』が、オレへと絡んでくる。
気味が悪い。
気持ち悪い。
純粋にオレを気に掛けるそれも、大切なものの為に御使いに縋るそれも、己の欲でオレをどうにかしようというそれも。
全ての『声』に、嫌悪が浮かぶ。
だが、それ以上に。
やはり、オレは本気で死なないようだとの確信が。
治癒力以前に、オレは不死身なのかもしれない事実が。
堪らなく、不快だ。
生きている。
生き残った。
鬱陶しい『声』に犯されながらも、そのことで頭の芯が冷たく冴える。
確実に細胞が犯されていたはずなのに。
死滅するその感覚を先程のことのように脳は覚えているというのに、身体にそれはない。
普通の者ならば、確実に命を落としたのだろうに。オレは、死の淵さえ見ていない。
オレの意思に反し、勝手にオレを生かす異常な力を改めて感じ覚えるのは。
恐怖ではなく。まして、歓喜でもなく。
ただの、嫌悪だ。
己のこととは思えぬそれが、ただただ不快だ。
オレの中のそれが、その力が。
オレを御使いにしているのだと思えば、自分と共に屠りたくさえなる。
けれど。
血を流しても、毒を飲んでも。きっと、病に罹ろうとも。
オレは、この異能には勝てないのだろう。
ここで生きている限り、オレは御使いを捨て去ることは出来ず。
出来ない限り、オレに救いはないのだ。
死なないのだと、本能で感じるそれに、気が逸れて。
気付けば、泣きそうな顔で少年がオレを呼んでいたが。その声さえも何だか遠くて。
自分のものだと認識しつつも慣れぬ名前を右から左へと流し、オレは思考を遮断した。
死ねないのならば、オレは何故生きているのだろう。
御使いなぞ、クソくらえだと。
そう思っていたのは、所詮は他人事の認識がまだ強かったからだろう。
実際にこうして、自分では太刀打ちできないのだということを漸く悟り。
もう、どうでもいい気分になった。
自分が、彼らの言う救世主のような存在であるかどうかはともかく。
オレ自身としては、絶望でしかないこの能力を、どうにかすることなど無理な話で。
諦める以外に、出来ることなどない。
御使いでも何でも、そうだと言うのならば、それでいい。
個人的に死を望めないのならば、そうとして在るしかない。
そう。
いつだったか、軽口で発したこともあったが。
本当にオレの望みを叶えようとするならば、世界が滅びるしかないのだろう。
あの冗談半分で言った発言が、一番的確な未来を示していたという訳だ。
何をしても行き残ろうとするこの身体を抹消するためには。
この世界を救う「御使い」に頼るしかない。
世界を救わない選択をするしかない。
この異能を葬り去るには、オレだけでは足りないのだから。
世界もろともでなければ、きっと、オレは消えられない。
2011/10/23