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瞬時の情報伝達システムがあるわけでも、高速の移動手段があるわけでもないのに。
急な話だとオレでさえ思ったが。
披露目は早ければ早いほど良いらしい。
その理由は。
従来どおりの伝達をし、検討の結果の来訪を待っていては季節が変わるからであり。
雪の季節に人を集めれば、下手したら帰せなくなるかもしれないからだというものだ。
各国の要人を、極寒の地に放り出すなど出来ない話なのだから、集めた責任上、帰国が困難ならばもてなさねばならない。
だが、厄介な相手にそんなことはしたくない。
披露目後は早急に帰ってもらわねばならないのだから、大雪になる前に済ませねばならない。
それは、一理ある話だ。けれど。
男のその話とは別に、オレへとやって来る『声』の方は、生臭いほどにリアルだった。
既に、この国には多くの他国の者が入っているのだから、それでことは足りるだろうという。
ある意味、身も蓋もない話だ。
しかも、侍従たちが面白おかしく話しているのではなく、国の中枢の男達が当然のように言っているのだから、なんともバカらしい。
オレがこの国に来て、間もない頃から。
噂を聞きつけた輩が、探りを入れる為に間者を遣わせて来たり。何かと理由を付けて、上位の者が訪れたり、何だりと。
披露目が行われる様子のなさに、せめて他国を出し抜かんとして、この王城に留まり御使いとの接触を狙う攻防があちらこちらで行われていたらしい。
故に、わざわざ期間を設けて収集を掛ける必要もないので、即実行しようとなったのだ。
しかし、結局のところ。
オレの体調を慮った医者の判断に従い、披露目は男が妥協した期日最大の、オレが目覚めてから十日後の日となった。
正直。それを過剰な配慮だと言えるくらいに、オレ自身には微塵も問題はない。
不調は身体ではなく現状の方なくらいだ。
だが、流れ込んでくる『声』から知ったが、オレの勘は本当に的中していたらしく、食事に含まれていた毒はかなりのものだったようで。
普通では死んでいるのだろうそれを含んだのだから、何が起こるかわからないと危惧され、過剰に扱われても仕方がないのだろう。
もっとも。医者が異常なほどに『御使い』に傾倒して、早く進めたい王様を粘って説き伏せたというだけの話でもないのが。
真偽までは判断できないが、『声』は、王の性急さに異を唱えた者達の話も運んできていて。
そこに、他国や聖殿の思惑が混じっているのは明らかだった。
しかし。
飛行機も新幹線もないこの世界において、五日が十日になったところで。
極一部の者しか対応出来ないことに変わりはないのだから、王である男にとっても妥協範囲内であって、問題にすら思っていないのだろう。
けれど、そう思わないヤツもいた。
何かにつけてオレを虐げたいのだろう、オレを心底嫌う、王の秘書官である男は。
準備の関係でオレの前に現れるたび、表面上は一定の態度を保ちながらも、腹の中では散々に喚き散らしてくれた。
この男は本当に、頭の中は相当ヤバイ。オレは常に、男の中では病原体みたいな扱いだ。
実際に手を出してくるわけではないので勝手にしていればいいのだが。
王への忠誠だとしても、行き過ぎた執着は狂気だと、周囲は気づいていないのだろうか。
よく、国の中枢に居られるものだ。
逆に、オレくらいの息子が居ても当然な歳であろう宰相は。
オレが手首を掻っ切ったのがトラウマにでもなったか、進んで服毒したのがバレたか。それとも、命を狙われているのを憐れんだか。
いつの間にか流れてくる『声』も、見つめてくる視線も。御使いへのものと言うよりも、オレ個人のものへのようなもので。
それはそれで、無駄なほどに全否定してくる秘書官とは違う意味で、煩わしくて仕方がなかった。
ただ、『御使い』というだけで傾倒している医者の過剰な診断結果に乗ったのはオレも同じなので。
甘んじて、オレはその十日を消化した。
十日後、五日後とは言わず、即日に披露目に出ていれば、煩わしいことは減少していたであろうと少し後悔しつつも。
鬱陶しい全てのものを流しながら、殆どそれまでと同じように過ごした。
勿論、会場内ではああしろこうしろとの指導が入り、衣装がどうだこうだと騒がしくされたりしたのだが。
そういうのは、犬並みだが案外使える侍従少年が捌くので。
本当に、怠惰に過ごした。
命を狙われ、無意識にアンテナを張り巡らせているのだろうか。
聞きたくはないのに、『声』は今まで以上にオレの中へと向かってきて。
復活したオレを訝り、神官達が過去の御使いを調べ直していたり、オレ自身を探ったりしているのを。
御使いは不死身に近いのではないかなんて結論へと繋げていくのを、慌ただしい周囲から切り離された空間で察しながらも。
クルブ国に御使いを与えてはならぬのだと、どこかの誰かがどこかの誰かに訴えるのがはっきりと聞こえても。
ただひと目でも御使いに会いたいと。
純粋な気持ちで、会場内へ入ろうと算段する愚かな心を捉えても。
そう言うもの全て、オレにはやはりどうでも良くて。
御使いの義務としてならば不満だが、この日々の対価だと思えば、披露目だろうと何だろうと、その場に赴くくらいは出来なくはないという程度の認識で。
オレは、何の感慨もなく、その日を迎えた。
だが。
実際には、そんな簡単なものではなかったようだ。
「ユラさま?」
これ以上は進めそうにないと。どんどんと歩みが遅くなり、遂に足を止めたオレに。
後ろに居た少年が、小さな声をかけてきた。
それが聞こえたのだろう、先導していた男が振り返る。
止まっているオレに、咎める声音で呼び掛けてくる。
「御使いさま」
何をグズグズしているんだとの、王の秘書官である男の『声』が向かってくるが、それどころではない。
「ユラさま、お顔の色が……ぁッ!?」
オレの不調に気付いたらしい侍従が、慌ててオレを支えるように腕を掴んできた。
いつの間にか俯いていた視線を少し上げてその手を見て、自分がふらついたらしいことに気付く。
「…………ぁあ、何でも…」
ない、わけがない。
流石に、大丈夫だ言ってしまえるほどの虚勢は張れそうになく。
それでも、詰まる喉で何度も唾を飲み込みながら、短く言い切る。
「…平気だ、離せ」
しかし、誰がどう見ても、異常なのだろう。
心配性な少年に加え、護衛の兵士もまた、気遣わしげな思いを飛ばしてきていた。
実際、全くもって、何ひとつ平気ではなかった。
ふざけるなよ、と。特に何かをする必要もない、ただ顔見せに出席するだけでビビるタマかよと。
おじけるなどあり得ないだろう、と。
きっと蒼白になっているのだろうオレの顔を一瞥し舌打ちをした秘書官が、そんな感情を飛ばして来るが。
そんなものは些細なことだと思えるほどに、多くの人が集まる会場からは、様々な『声』が飛んでくる。
それは、この数日拾い続けていたものであり、今更であるはずなのに。
あまりにも『声』が強すぎるのか、距離が問題なのか。
近付くに連れてオレの意思では流しきれない程の、捌けない程の他者の思いがオレへと入り込んできて、均衡が崩れる。
人が殺せそうな程の、熱だ。
これ以上触れては燃え死にそうな程に、強烈だ。
壁に向かって少し腕を伸ばすと、オレの意図を察した侍従が廊下の端へと導いてくれた。
冷たい壁に半身を預け、震える唇で息を吐く。
それぞれの思いを抱え、今か今かと御使いを待っている面々が居る場所から、目指していた扉から顔をそむける。
御使いを想う熱も、強奪しようとする欲も、何もかもが重くオレに圧し掛かる。
このまま、形にもならないただの思いであるはずなのに、抵抗など出来ずに押し潰されてしまいそうだ。
息さえうまく吸えない。
恐怖に似た圧迫感に、眩暈さえ覚える。
こんな事態になるなど、思ってもみなかった。
2011/11/06