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急遽行われたにもかかわらず、披露目の会場は人で溢れ返っていた。
そして、それ以上に。
オレを貫く『声』は、膨大だった。
当然だろう。
人間なんて、色んな思いを持っている生き物だ。
一貫した、たったひとつのことだけを考え続けている奴などいない。
無慈悲だと批判した口で、御使いに希う。
御使いというだけで妄信し、無理難題を当然のように要求する。
意味なく誉め讃え、他国を貶し、ゴマをすり続ける。
実際に耳へと直接流されたそれらなど可愛い程に。
濃密で重苦しいものを無理やり身体に押し込められる不快感。
男が示した時間は何とか耐えたが、その間、自分がどんな様子であったかはまるではわからない。
早々に退席が許されるほどの見た目であったのだろう。
気付けば別室に移っており、侍従の少年が死にそうな顔でオレを世話していて、その後ろに医者とこの国の宰相が付いていたのだから、相当だ。
オレ自身、朦朧としていたが意識はあり。色々詰め込まれたものはいくつか残っているようだが、それさえも曖昧で。
自己防衛の本能が働き、『声』の殆どを脳がシャットアウトしたのだと、ようやく気付くほどなのだ。
緊張と恐怖で意識が少し遠のいた、なんていう話ではない。
きっと、普通の人間ならば発狂するか、完璧に失神していたのだろう。
オレとて、それに耐える必要はなく。
いっそ、永久に気を失いたいのだが。
オレがこの程度で済んでいるのは。
この世界に来てからのように『声』が聞こえていた訳ではないが、昔からその手の勘が冴えており、他人の感情を幼い頃から察し続けてきた慣れからか。
それとも。
再生能力が異常に高い『御使い』だからこそ、精神的に圧迫されても、意識を飛ばしきる前に治癒し、当人が望まずとも浮上してしまうからなのか。
または。身体を傷つけるとき以上のダメージが、オレの意識を保つのか。
わからないが、この不快は、どこまでも身体の中を進み、末端の神経まで侵す勢いで。
容易に、オレを手放しはしない。
手首を掻き切る方が、毒を飲む方が、断然ラクだ。
甲斐甲斐しく尽くそうとする少年を、放っておいてくれるのが一番だと。静かに休ませてくれと、自室に戻ったところで追い出し。
答えを得たところで微塵も役に立たない己の異常を、散漫する思考の中で泳がせる。
だが。
会場から遠ざかったから、というのではなく。
多分、あまりにも使い過ぎてショートしたのだろう。
凶器に晒されたお陰で神経は昂っているが、ふと気づけば『声』は遠くにあり、はっきりと聞こえない状態になっていた。
いつもならば、少し集中すれば幾らでも拾えるというのに。最近は、意識しなくともかなり遠くからでも届いていたというのに。
今は、疲弊し過ぎているので集中しようにも出来ず、隣にまだ居るのだろう少年のそれさえ気配以上は拾えない。
能力以上に、精神にガタがきたのだろうか。
このまま、こんな能力などなくなればいい。
身体は休みたいと訴え、頭も回っていないというのに、疲れ過ぎていて睡眠にまで潜っていけないのか。
ぼんやりとした中で、向かってこない『声』に、そんなことを思う。
だが、思った先から。
本当に失くしていいのだろうかとも思う。
この世界に来て、開花したこの能力は。
オレを苦しめてはいるが、助けになった部分があるのも確かだ。
このまま『御使い』を辞められるのならば、ともかく。このまま全てを終えられるのならば、ともかく。
他は何も変わらないのならば、これを失うということは。ただ、オレが武器をひとつなくすだけの話でしかないのだろう。
「…………武器、か…」
自然とそんな言葉を選択していた自分にハタと気付き、思わず呟きと溜息を落とす。
使いようによっては、自分を守れるそれでも、相手を攻められるそれでもあるのだから、あながち間違いではないが。
持っているだけで害のあるそれは、具現化するならば、剣や銃といった道具ではなく、癌だ。
己をも侵す、ウイルスだ。
オレ自身を喰い続けて成長する死病。
所持は、命を脅かす。
それなのに。
皮肉にも。
一時的に混線しているだけだと察しつつも、『声』が聞こえないことに安堵し、同時に畏れ、不安を抱いている。
そうして。
この毒が、すでにこんなにも己の一部になっているのだと認識させられる。
この能力は、オレが持っているのではない。
オレが、この能力に喰われているのだ。
身体どころか、精神までも。
神官や一部の者達が、オレが猛毒から復活して以降、御使いは不死身なのかもしれないと騒ぐようになっているが。
きっとそれは、全くの逆なのだ。
御使いが、死を弾いているのではない。
契約者を決め、世界を救うのではない。
御使いは、この世界に喰われるためだけに存在しているようなものなのだ。
今日、オレが陥ったように、無数の人に。その想いに。愚かな欲望に。
全てを貢がされている。
神の使いとはよく言ったものだ。
使いは、使われるだけの存在だ。
ただ、利用されるだけの。
当然、不死身であるはずもない。
そうであるのならば、過去にも居たという御使いが、今も存在しているはずで。
今いないのは、その身を蝕まれて朽ち果てたからにほかならないのだろう。
御使いにも、終焉は来る。
愚かな奴らが、御使いを侵す言い訳にそんな建前を持ち出しているに過ぎない話だ。
オレもまた、オレ自身のものが全てなくなり、世界の不浄を処理出来なくなったその時。
この世界に捨てられるのだろう。
そうとしか思えない。
そんな世界に、嫌悪以外のことを抱けはしない。
諦める以外、何ができるのか。
それなのに。
ほんの少しウトウトしかけたオレに飛び込んできたのは。
嫌な予感というもので。
唐突に沸いた胸騒ぎに、殆ど休めていない身体を動かし、何とか起き上がろうとした瞬間。
オレの上に、何かが乗った。
覚えたのは。
滑稽なことにも。
人並みの恐怖だった。
2011/11/13