+ 35 +
「――う、ぁッ!」
衝撃と同時に、左肩に猛烈な熱が生まれた。
そして。
激痛に、眠っていたそれが起きたかのように。
失う心配までした能力が、一気に覚醒した。
斬りつけられた痛みよりも。
元の世界で体験した、あのデジャブのような事態よりも。
大量の情報を無理やりに詰め込まれるような。堰を破壊し押し寄せてくる濁流にのまれるような。
突然に向かってきた『声』に、自分では最早どうにも出来ず、圧倒的な力に翻弄される。
突き刺さる他人の感情に、自分自身を見失いかける。
オレが上げた唸りは、肉体的な苦痛ではなく、精神的なそれだった。
だが。
燃えるような左肩のそれが、オレをこの場に繋ぎとめる。
数瞬、真っ白に飛んだ意識をかろうじて繋いだ視界で捕えた現状は、笑えるものだった。
肩から、刃が出ていた。
オレは、肩でベッドに串刺しにされていた。
「……ゥ、ッ…」
何の冗談だと。笑える状況に、笑うしかない状況に、喉を震わせるが。
実際に開いた口から零れたのは、ただの呻きだけだった。
シラけるほどに冷静な頭とは違い、身体には一切の余裕がないらしい。
そして、余裕がないのは、目の前の襲撃者も同じようだった。
両手で柄を握り、強張った顔をオレに向けて動きを止めていた男が。
不意に弾かれるように身体を起こし、そうして、オレを見降ろし、片手を伸ばす。
オレに声を上げる力などないのも気付かずに、オレの顎を片手で掴むようにして口を押さえに来た。
男が口を開いた。
何かを発した。
だが、『声』が聞こえるようになったら、耳が壊れたのか。聞く気がないからか。
男の言葉は一切耳に入ってはこず、オレは固定された頭でそのままに目玉だけを動かし、肩から生える剣を見る。
全身から滝のように汗が流れているのを感じながら。
広間でのように、最早誰の何かも解らぬ圧倒的な思いに、ただ揺さぶられながら。
自分を貫く剣が、月明かりだろうか、薄闇の中で鈍く光るのを見る。
誘われるかのように、震える手がゆっくりとそこに近付く。
それが自分の手だと気づき、自然と口角が上がった。
「……ッ!」
鳴き声のような、喉に絡む呻きが上から落ちてきて。
同時に、身体に掛かっていた重みが一気に消えた。
口を押さえていた手も、離れていないが力は入っておらず、ガタガタ振るえるばかりだ。
だけど、そんなことはもうどうでも良くて。
ただ、オレは深く考えず、血が溢れるそれを見ながら力を加える。
頭のどこかで、押し寄せる『声』の向こうで、生きたいのか?と問う自分が居ることに気付いたけれど。
それに返す答えを考える意思は無かった。
「……クッ…!」
「ッ、あ、あぁッ!」
握るのが精一杯で引き抜くほどの力が入らずに、歯を噛みしめた途端、悲鳴が上がった。
襲撃者が飛び跳ねるようにしてオレから離れ、そのまま派手にベッドの下へと落ちた。
そこから上がる呻きに、口内に広がる何かに、オレは自分が何をしたのかを悟る。
抑える男の手を、噛みちぎったのだ。
横を向き、唾と共に小さな肉片を吐き出す。
そこで、真上に剣を引く必要はないと気付き、そのまま横に転がるように梃子の原理でベッドから剣先を抜く。
ベッドの高さを利用して、落ちるように床へと座ったところで。
今度は思い出したように、痛みが襲いかかって来た。
雷に打たれたかのように、息を吸うたび身体が跳ねる。
脳天を突き刺す激痛に、潰れるくらいに両目を瞑り、声にならない叫びに口を大きく開け。
耐えようと構えるが、意識を手放したのだろう。
燃え上がるような熱と、凍りつくような寒さを同時に感じながら。
気付けば、オレは自ら、肩から剣を抜いていた。
浅い息を繰り返しながら、薄く開けた視界で、床に横たわるそれを見て。
飛ばした記憶を、身体からズルリと抜けた異質の感触を思い出す。
見事なほどに、見下ろした視界に入る両腕が震えていた。
いや、そんな程度ではない。まな板にのった魚のように、跳ねている。
その手をゆっくりと動かし、肩に触れるが。手の感覚も肩の感覚もなく、痛みも熱も、最早よくわからない。
首を回して見たそこに、肩も手もちゃんとあったが。
赤黒く染まり、自分のものかどうかも怪しく思う。
あの時と、同じ光景だ。
オレに刺された父親は、死んだのだろうか。
父親に刺されたオレは、まだ生きているのか…?
なぜ、どうして、と。
眼の奥に浸み込む血の色に、記憶が混乱し、頭の片隅では現実をわかっているのに、過去が蘇る。
右手で肩を押さえたまま、逆の手を伸ばし。
オレは、転がった剣をもう一度握りしめる。
あの時、父を刺した。
だが、本当に殺したかったのは。
誰でもない、自分自身だ。
「……こんなんじゃぁ、不死身でなくとも、死にやしねぇーよ」
剣を握ったままベッドに手を付き、ふら付きながらも立ち上がり。
床に座り固まっている男へ向かって、手の中の物を放る。
温い血で染まる手を少しずらし、肩から胸へと移動させ、オレは口角を上げる。
「…ヤるなら、ココだろうが」
冴えわたる意思に反し、その他の全てが朦朧となっていて。
勝手に掠れる声で、それでも言葉を向けると。
今更ながらに取り乱し震える男が、まるで悪魔にでも出会ったかのように、ハッとオレを見上げて再び固まった。
燃えるように熱い目で、強張った男の顔を見返して。
その足元に落ちた血まみれの剣を見て。
無理だな…と、ただ思う。
この若い男には、オレを再び刺す意思は無い。
悟ると同時に、遅ればせながら。聞きたくもない男の『声』が届いた。
現状に対する混乱と、オレへの畏怖と。
そして、御使いをこの国から奪い取らねばならなかったのにという、使命を果たせなかった後悔が押し寄せる。
だけど。
自国での男の立場だとか、世界がこの国に注目しているだとか、御使いという存在の意味だとか。
相変わらずどこからか聞こえる『声』も、目の前の男も、そういうのをまるでオレに教え込むように向けるけれど。
この状況では。オレの状態では。
気に掛けることすら、出来るものではない。
ただ、またオレは生き残るのだなと思うのみだ。
肩を貫かれ、流れる血に眩暈を覚えていても。
命が消えて行く感覚は一切ない。
ここだと急所を曝してもやっては来ない攻撃に、苛立ちと同時に諦めが湧く。
「…消えろ」
先程と同じ言葉を口にしたが、男は、今度は微塵も動かなかった。
目を見開き、口も薄く開け、肩で浅い息をするだけだ。
刺さないのなら、出て行けと。もう一度、そう言って待ったが。
放心状態のまま動かない男に、直ぐにこちらが焦れてしまい。
オレは、長く意識が保てそうにない自分の状態をわかりながらも、力を振り絞りドアを目指す。
オレが動いたことでスイッチが入ったように、声にならない悲鳴を上げながら男が部屋の隅へと飛びのいた。
勢いのまま壁に激突しているが、こちらにも構う余裕などない。
一瞬でも気を緩めれば、落ちる。
落ちたらきっと、直ぐには目覚めないのだろう。
押さえた肩を握り締め、痛みで意識を保つ。
半身を押し付けるようにしてドアを開け、今を抜け廊下を進む。
目指す場所などない。
ただ、離れたかった。
あの、誰かに担ぎあげられ追いやられ、脆い覚悟で襲いかかって来た男からだけではなく。
全てのことから、一歩でもいい。
遠ざかりたい。
その思いに突き動かされ、足を前へ出す。
与えられた部屋の周囲にも、真夜中の廊下にも。想像とは違い、人も明かりもなかった。
衛兵にすら出くわさずに、空中庭園に繋がる階段まで進みきる。
石畳のそれを無心でのぼっていると、重い身体を置いていってしまいそうな感覚がオレを包んだ。
このまま魂だけ抜け出せたならば、オレは迷わず捨てるだろう。
御使いであるということは勿論、オレ自身という人間も全て。
抜け殻となった身体がどうなるのか。
魂となったとして、どこへ行けるのか。
何ひとつわかることはないけれど、何もかもから逃げたいのだと思いながら、オレはただ暗闇の中を進んだ。
本当に目指すものなど、ないままに。
2011/11/13