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「犯人は誰ですか?」
「犯人?」
「貴方を傷つけたのは、誰かと訊いているのです」
漫画ならば、こめかみに血管が浮き出ているだろう。そんな取り繕った顔で。
王の秘書官である男が、辛抱強く抑えた声でそう訊ねてきたのに対し。
オレが、居るとすればオレ自身だと応えると、男の形相は見事に変化した。
子供ならば、泣くだろう。
それまでも、『声』は呆れるほどに怒り狂いオレを詰りつくしていたが、いつものように体裁は一応保っていたのに。
スイッチが入ったのだろう、もう抑えることもなく、良く動く唇から嘲りを溢れさせる。
存外、この男の腹は浅い。
「意味がわかりません。自分で刺したとでも言うのですか」
「ああ、そうだ」
「ハッ! いい加減にして下さい。私は貴方と遊ぶつもりはありません。正直に、あったことのみをお答え下さい」
明らかに声に侮辱を混ぜた部下の態度に、この国のナンバーツーになるのか、控えていた宰相が眉を寄せ手で制したが。
軽く上げられたそれは視界の端に入っていたのだろうに、不機嫌な男はベッドで起き上がったままのオレを虫けらのように見下ろす。
実際。
この男にとってオレは、性質の悪い寄生虫なのだろう。
主人である国王陛下に心酔しまくっている男の熱気は、オレが不特定多数から受けるものと似ているが。
自分に向けられるものは真逆であるので、正直、新鮮ささえ覚える。
御使いとしてではなくあの男の近くに居る者として、わかりやすい程に毛嫌いしてくれる姿勢は、オレを御使いとしてばかり見て算段している奴らに比べれば、マシだろう。
だが。
鬱陶しいことに変わりはしないし。
その意を汲んでやる義理もない。
「貴方の部屋にあった剣は、貴方のものではない」
「当然だ、たまたま拾った物だからな」
「そうですか。では、どちらでお拾いになったと?」
「さあな、忘れた」
なにせ三日も前の話だと笑ってやると。
一層に顔をしかめた男に、「次は、自らを傷つけた理由も忘れたとでもいうつもりですか」と先手を打って皮肉られた。
いや、牽制か…?
何にしろ、不毛な話を長く続ける気は、オレにもない話だ。
体調もまだ万全ではないのに、話を混ぜ込んで更に膨らませるなど、するつもりもない。
「御使いは不死身だという噂を聞いた。それが本当なのか試したくなった」
「その話は、どちらで…?」
「さあな、忘れた」
「…………」
何故、オレに伝わっているのかと。
神官たちが文献を読み、憶測を大量に混ぜて騒いでいるのは事実だが。
披露目の夜に襲われ、三日寝込んで先程起きたばかりのコイツが何故知っているのだと。
訝る『声』と、オレに軽くあしらわれて不快に歪む顔に、オレは内心でこの男は本当に甘いなとシラける。
オレが疎ましいのならば、この男こそが、オレを突き刺せばいいのだ。
神官が言いだしたそれが事実なのかどうか、その手で確かめればいいのだ。
三日も、意識不明だったのだ。ベッドで横たわるだけの相手を突き刺すのなど、簡単だろう。
不死身だろうと、そうでなくとも。行動に移さねば、事態など変わりはしない。
その点でいえば、こうして不満を胸中で吐き散らすこの男よりも。
迷いながらもオレに剣を刺した、あの襲撃者の方がよほど利口だ。
剣を握ることもなく、オレに対して不満を見せる程度で耐えているのは。
何も、オレが御使いだとされているからではなく、ひとえに、あの王である男のオレへの態度からだろう。
もし、王様がオレを蔑ろに扱ったならば。オレの排除を望んだならば。
この男は、躊躇いなく当然のように、オレを殺すだろう。
国王の傍で遣えるくらいならば、兵士でなくとも、そのくらいには強い精神を持っているはずだ。
まして、疎ましい相手を遠ざける機会を見逃すほど、愚かではないだろう。
だが、それでも。
王へ向けるその熱を処理する方法が、忠実な僕としての役割の範囲内で収まっているのは、やはりこの男自身が弱いからだ。
甘いからだ。
本気でオレを敵とみなすのならば、主人に見つからないところでもっと手を回すべきだろう。
見つかったとしても、オレを排除すればいい。
それが出来ないのならば、感情を剥き出しにするなどアホだ。
「さあ、話は終わりだ」
「何も終わっていません」
「オレが自分で刺した、それが全てだと言っているんだ。他にはない。それとも、アンタの頭はこんなことも理解できないのか?」
ならばそもそもが話にならないな、と。話す意味すらないと、肩を竦め、口を閉じたまま顎で扉を示し退室を促すが。
御使いと言われていようが、病み上がりだろうが、オレに対して遠慮など微塵もない男は、「理解できない頭をしているのは、貴方だ」と、忌々しげに吐き捨てる。
慎めと宰相が叱責するが、寛大にオレはそれを許し、言葉を促してやる。
「嘘を吐くにしても、もう少し現実味のあるものにしてはどうですか。自分の肩を、一気に貫通する程に刺せるわけがないでしょう」
「アンタができないからって、オレもできないとは限らないぞ」
「では、言いますが。現に、貴方を亡き者にしようとしたという人物が名乗り出ているのですよ」
ご存知でしょうとの言葉と共に、ひとりの男の名前が告げられた。
それは、間違いなく襲撃してきたあの男の名であるようで。
目の前の男から流れてくる情報が、あの夜オレが直接感じ取った男の事情と一致する。
だが。
だから、何だという?
「これを、どう説明するおつもりですか」
「説明も何も、オレには覚えがない話だ。しようがない」
次期王の椅子を狙って繰り広げられる跡目争いの中、半分以上周囲にそそのかされる形で御使いを襲ったあの男が。
何がどうなって、態々罪を告白しているのかわからないが。
オレがそれに協力する義務はない話だ。
面倒だと、煩いとの感情を隠さずに。
オレは、犯人に揺るぎない証拠を突きつける刑事のような勢いで前に立つ男に、知らないとの言葉を重ねる。
「そいつの狂言だろう」
「あり得ません」
「なぜ、アンタにその断定が出来る?」
当事者であるオレが違うと言っているのだ。見ていたわけでもないヤツが、よく言うなと。
少し頭を傾け、顎をつき上げ、口角を歪ませて。
「その話が本当なら、オレはそいつに殺されかけたというわけだが。そんなことを都合良く忘れるか? 今更だが、この世界には魔法でもあるとでも?」
「白々しい話は結構です」
オレの茶化しに、盛大に顔をしかめた男が舌打ちと共にそう言い、顎で佇んでいた兵士に指示をした。
どうやら、オレでは埒が明かないからと、襲撃者本人を連れてくるらしい。
命を受けた兵士の背中が扉の向こうに消えるのを待って、傍観者に徹していた男がポツリと言った。
「あの王子を庇う理由が、貴方にはあるのですか?」
この国の宰相である男が、静かにオレに問いかける。
この男は感情に支配されず、真実を見極める努力をしているらしい。
だが、目の前で手首を掻ききった時のオレの印象が強すぎるのか。どっしりと構えた中年オヤジの風貌にさえ、どこかオレへの抵抗が滲んでいて。
その心の中は、宰相としての立場だとか、年齢からくる思いだとかが渦巻き、オレを気遣わしげに心配している部分もあるが。
警戒が一番大きい。
オレ自身に対する嫌悪や畏怖もあるようだが、それ以上に。
オレが周囲に与える影響全てに、手を焼いているようだ。
今、この世界は。
誰もが、御使い、御使いと煩いのだから当然だろう。
けれど、実際のそれは、その正体である男は、伝承のような人物ではなく、人としても危ういヤツであるオレなのだ。
男の腹の中で揺れ続けている戸惑いは、ある意味哀れでさえある。
2012/01/02