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刹那的に望んだことはあったかもしれないが、無気力な日々の中でも、オレは間違いなく生きていて。
息を吸い、物を食べて、眠り、日々を消化していた。
ある意味、それに精一杯なように、生きるために足掻いていた。
死にたいというのはともかく。
死ぬんだ、死んでやるんだと、生きるのを止めることを強く望んだ記憶はない。
そう。
オレの中にあったのは、いつ死んでもいいといったものだ。
生きていることが嫌だったわけではなく、生きている場所が、世界が辛かった。
だから、ただ。
こんな世界に未練はないという思いを抱えていただけの話だ。
そのことを、オレはこの世界へ来て。
苦痛であった元の世界以上のものを与えられて。
漸く、わかった。
心が見透かせるために、信頼など出来ない相手だとわかっていながら。
仲間のように連れ合い、一緒になって騒ぎ、時には罪まで犯し、そうして物理的な孤独から遠ざかったのも。
それこそ、父親との諍いが大きくなり、流血沙汰に発展した時でさえも。
苦しい中でも、終わりを望んだ中でも。
オレが無心に願ったのは、自分が普通に暮らせる世の中だったのだろう。
それなのに。
半分願いが叶ったと言えるのかもしれない、未だに現実か夢か死後なのかさえわからない、新しいこの世界では。
オレの力は開花したかのように、圧倒的な異能を誇り、オレを支配している。
元の世界とは比べ物にならないくらい、オレの存在は周囲から逸脱している。
世界が変わると同時に、オレは更なる苦境を与えられたと言う訳だ。
だったらもう、救われようと思うならば。
終わらせようと思うならば。
眼を反らしても自分を守れないならば。
この世界がそれでどうなろうと構わないから。
自分で、この自分を終わらせるしかない。
世界が変わっても、救いがないのならば。
終わるまで何度も、己を殺すしかない。
オレに残された方法は、それだけだ。
御使いという救世主になるわけも。
なれるわけもない。
この世界の者は。
本物であろうと偽物であろうと、関係がないように。その真偽を問う意味すらない程に。
オレを、「御使い」と認定し、その時を待っている。
世界の覇者が生まれる時を。
だが、契約者を選び、滅びへの一途をたどっているというこの世界を救ったところで、オレが得るものなど何もないのだ。
御使いとしての地位を確固たるものにすればするだけ、オレの存在は際立って行くのだろう。
それは、多くの者が欲するのだろう、名誉だとか何だとかがくっ付いているのだろうが。
けれど、オレは微塵も、そんなものは望まない。
崇め奉られて満足できるような、単純でもなければ素直な人生を歩んできたわけではない。
だから、どんなに願われようと、目の前に何を出されようと、「御使い」になどなりはしない。
なることは、ない。
「…………なって堪るかよ」
そのせいで、この世界が滅びると言うのなら、滅びればいいのだ。
オレに御使いとしての役目を与えたのが神ならば、オレの行いが気に入らない時は、神自身が何とかするだろう。
本当に救世主が必要であるのならば、またオレとは違う「御使い」が現れる可能性もなくはない。
滅びを前に、「御使い」が現れるなどというご都合主義の他人任せなこの世界ならば、そう云う事が起きてもおかしくはない。
そう、そうなればいいのだ。
鬱陶しい『声』を聞きながら、滅びを待つのも堪ったものじゃないし。
新しい御使いが出てくれば、役に立たないオレなどに用はないと、この世界から解放されるかもしれない。
元の世界へ戻ったところで、何があるわけでもないが。
少なくとも、向こうでは。こんなにも『声』は聞こえなかった。
それだけでも、この世界を切り捨てる理由がオレにはあるというものだ。
どうすれば。
どうなれば。
オレは、自由になれるのだろうか――
抜け出して幾らもしていないというのに、オレが居間に居る間に侍従が整えたのだろう。
気持ちいいほどに張ったシーツの上に転がり、眼を閉じる。
真夜中もいいところなのに、どこからか幾つもの『声』が聞こえる。
その中には、先程捉えて不快になった内容のものもある。
まだ懲りずに調べ続けているらしい、神官のものだ。
御使いは不死身なのだと、未だ興奮が冷めずにいるらしい。
三度目の、眼を見張るオレの回復ぶりに。
憶測の域を出なかった想像が、一気に神官たちの中で現実味を帯びたようだ。
根拠のない噂話のように広がっていたそれが、オレが眠っている間に多くが知る真実のように変わってしまっている。
今の御使いは不死身なのだと。
歴史書や伝承から、過去に居た御使いたちも、治癒力が高いとされていたが。
実際には、治癒どころか、死そのものを受け入れなかったのではないかと。
いずれもの死が、契約を成した者よりも後であったのは偶然ではないのではないかと。
オレの事例から、過去をもひっくり返してそうして導き出されたのは。
御使いは、契約者が生きている限り不死身だという仮説。
そんな届く『声』を、オレは何故か妙に、自分の思考が及ばないところで納得している。
一切知るはずもないそれを、事実だと認める感覚がオレの中にある。
ひとりの者を選び、世界を救い。
その契約者が死すまで、救った存在を見続け。
漸く、人に戻り、眠りにつく。
それが、「御使い」。
突如そんなものにされた過去の彼らが、己のそれを全て正確に把握していたかどうかは怪しいもので。
わかっていなかったからこそ、契約者を選び、その命が尽きるまで見守れたのだろう。
オレと違い、過去の御使い達はなかなかに出来た人物であったようであり。
それが出来るだけの余裕があったのは、虚しいばかりのカラクリを知らないからこそだ。
だが、そんな面々はともかくとして。
神が遣わす人物を奪い合い、縋り、利用するこの世界の奴らが一切気付かなかったというのは、なんとも間が抜けた話だ。
今になって、オレ相手に激化しそうになっている争奪戦には、呆れる以外ない。
意識して拾おうとせずとも、勝手に飛び込んでくる程の『声』が、水面下での動きを伝えてくるが。
一応、覇者に一番近いのであろうクルブ国国王自らに保護されている状況であるので。
それが、実際にオレのところまで届くということはあまりない。先日のは、例外中の例外だ。
役者が欠けた状態で、国同士が、権力者同士が、睨みを利かせていたり、いがみ合っていたりするが。それだけの事だ。
オレにアレコレしようという思考が飛んでくるのは、不快だが。
正直に言って、どうでもよい。
誰かの頭の中で、奪われようが、殺されようが、構わない。そんなものは、痛くも痒くもない。
嫌われるのも、慣れている。
嫌悪も、憎悪も、否定も、拒絶も、無関心も。
そういったマイナス感情は、元の世界からの付き合いで、今更だ。
違うことなくそれを汲み取ることに対しての苦痛は常に抱えていたが、晒されるそれに怯えていたわけではない。
オレは自分が最低だということも、最悪だということも知っているので、それは確固たる事実でありそれ以上でも以下でもない。
わかりやすい話だ。
けれど。
この世界は、違う。
今までは向けられなかった、根拠のない尊敬だったり、過剰な期待だったりは、まともになど向かい合えるものではない。
ここは、オレを腐らせていく。
2012/01/02