暗闇の中で小さな光が連なっているのを眺める。
　等間隔でそれが置かれているのは、城壁の上だ。

　真夜中でも、幾人もが起きて動いている証拠をこうして目にしても。
　どこからか飛んでくる『声』が身体の中を通り過ぎていようとも。
　暗い部屋の中で、独り、静まり返った時を消化していると。
　自分が生きているだとか、誰かが何を思っているだとか、そう言ったものが全て消える。

　終幕が訪れないのならば、いっそ。
　これが殻の中でも、檻の中でも、何でもいいから。
　この何も存在しないかのように、空気さえも止まる時間が続けばいい。

　このまま永遠に。

　再び居間へと戻り、ただただそんな事を感じながらボンヤリとしていたのだが。
　ハタと、何かに呼ばれた感覚に、飛ばしかけていた意識を戻せば。

　開いた入口から犬が身体を滑り込ませたところで。
　その後に、飼い主である男が続いた。

　暫し無言で互いを確認し。
　埒が明かないと、オレから口を開く。

「……前から思っていたけどさ。アンタ、礼儀も何も一切関係なしだな」
「身体はどうだ」
「アンタには、オレの身体がどこか欠けたように見えるのか？」
「気分は？」

　他人の、しかも、一応は御使いとされている奴の部屋を、一国の王様が訪問する時刻としてはどうなのか。
　そもそもが、最高権力者にそれを問うのは馬鹿げているのかもしれないが。
　倒れている人間の枕元に犬を寄越すわ、当たり前のように部屋に入ってくるわ、時刻を気にしないわ。
　この男はやりたい放題だなと呆れて思わず言ったオレのそれを完璧に流した男が、相変わらずの気のない声音で体調を問うてくる。

　気にする箇所が違うだろう。

「すこぶる最悪だ」
「犬はどうだ」
「……知るかよ」

　会話を成立させる気がないのならば喋るな、と。
　何を当然のように入り込んできているのか、と。
　オレの気分を害しているのはアンタだろうというのを隠さずに、はっきりと不快を言葉にすれば。

　その回答に、労わるわけでも謝罪するわけでもなく。
　オレの足元へ来て座る飼い犬の状態を、何故か聞いてくる。

　オレがわかる訳がないだろう、ボケが。

「アンタの犬だろう、オレに訊くな」

　オレが立つ窓際に背を向ける格好で置かれた長椅子に、男が片足を上げて横向きに座った。
　その横顔に、足元の犬を見下ろしながら言いつつも。
　合わせた視線で、オレは別段、飼い主が気に掛ける様なところは何もないなと確認する。
　床を拭くようにご機嫌に揺れる尻尾を見ても、元気としか思えない。

「心配されているようだぞ、お前」
「しているのは、ヴィスだ」

　足を少し動かし、爪先で犬の腹を撫でれば。
　犬は嬉しそうにハフッと口を動かし、男は淡々と訂正を入れる。

「こいつが、お前を気に掛けている」

　背凭れから腕を伸ばし、男が後ろから犬の頭を揺さぶるようにして撫でた。

「犬が傍に居るのは苦手か？」
「…今更聞く話かよ」
「ならば、こいつの好きにさせてやってくれ」
「……ナニ？」

　先の発言は犬の体調ではなく、犬が要るか要らないかと言った類の言葉だったらしいと漸く分ったが。
　何を言っているのか、全く意味がわからない。

「それは、こいつをここで飼えってことか？　面倒を見ろと？」
「賢い奴だ、左程の手間も掛かるまい」
「飼い主が、いきなり何を言っているんだ」
「飼っている訳じゃない」
「…飼ってもいないものを、ひとに押し付けるのかよ」

　これは何の攻防なのか。
　今夜はやけに絡んできているが、その内容がこんな馬鹿げたものとは。
　どういうつもりだ、この男。
　国王として、御使いに話すべきことは他にあるだろう。

「こいつに見張りでもさせるつもりか？　役に立たないとの証明は前にされているはずだが」
「それでも、何もせずにはいられないのだろう。邪魔でないのなら、置いてやってくれ」

　まるで、本気で犬がそう言っているのを聞いての発言かのように。
　一切の揺らぎなしにたたみ掛けてくる男が何を考えているのか。
　たかだか犬一匹では見張りにもならなければ、護衛にもならない。逆に、オレが大事なペットに傷付けないとも限らないというのに。
　一体、何の意味があるのか。

　オレが病んでいるから、犬で癒そうとでもいうのか。
　それとも、鬱陶しくなったペットの厄介払いか。

「ヴィスが嫌いか？」
「……」
「こいつは、お前を好いている」
「……この犬の主は、アンタだ。押し付けるな」

　他人の忠犬など、厄介なものでしかない。
　撫でる男の手に身を任せる犬を見下ろしながら、オレは、別に居る沢山のそれらを思い出す。
　この男に、国王に尽くす面々を脳裏に描き、顔を顰める。

　犬は、嫌いではない。
　好きでもないが、無垢な存在は、オレに上手く息を吸わせてくれることがある。
　だが、他人のものに関わるなど面倒なだけだ。

　犬自身の意思か、主人の命令かは知らないが。
　確かに、この犬がオレに懐いているのも、オレ自身が馴染んでいるのも事実だ。
　けれど。
　要るか要らないかと聞かれれば。間違いなく、要らない。必要ない。

　オレはこんな世界で、こんなところで、安寧など望んではいないし。
　安らげる存在も求めていない。
　守ってくれるものも、支えになってくれるものも同じだ。
　男が何を思って据えようとしているのかわからないが、それが何であれ、オレには邪魔だ。

「ヴィスの主人は私ではない。こいつは、死んだ娘のものだ」

　これ以上戯言に付きあう気はないと、貼り付けていた壁から背中を剥がしたところで男がそう言った。

「私達は、ただ残された者同士として居るだけに過ぎない」
「……だったら、それでいいじゃないか」
「同士が望んでいることを叶えてやりたいと思うのは、悪いか？」

　開き直る男に、それでもオレは迷惑だと口を開きかけたのだが。

　見下ろした犬が、男が口に乗せたような単純なものではなく、もっと深くて重い絆があるんだとの自信を漲らせているようで。
　一人と一匹のタッグでは、２対１では勝てはしないと教えられて。

「オレは…何もしないぞ」
「ああ、構わない」

　オレから御使いを引けば、ただの厄介な居候でしかないのだから、拒否権などないに等しいと。
　そもそも、初めから勝手にすればいいんだと。
　許可ではないが、妥協にしかならない返答で、端からゴールは決まっていたのかもしれない話をオレは打ち切る。

「良かったな、ヴィス」

　こうなる事がわかっていて用意していたようなその台詞に、犬がまるで言葉を理解しているかのように短く鳴いて返事をした。


「お前も物好きだな…」

　そうして、別れを惜しむことなく用は終わったと言うように。
　夜明けに近いこれから、私室へ戻って休むのか、職務に付いて働くのか。男は宣言通り、犬を置いて出て行った。
　オレが三日寝ていたことも、その原因についても、一切触れず、何事もなかったかのように。

　あの、盲目な秘書官からどのような報告を受けたのか。
　襲撃者であるあの王子の扱いはどうなったのか。
　犬よりも重要な話があるのはオレでさえ思いつくのに、変わった男だ。

　自分は主人ではないと言ったが、飼い犬は飼い主に似ると言うし。
　口ではああ言いつつも可愛がりきちんと構っているのだろう、大事にしてくれるあの男から離れてオレのところで甘んじるなど、奇特だと。お前も変わっているなと、犬を撫でれば。
　流石に、そこまではわからないのだろう。
　ただ単純に、嬉しそうに、頬を舐められた。

　湿った温もりをオレは持て余しながら、夜が明けるのを待つ。
　息を殺しながら。


　太陽など、昇らなければいい。