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ここにきて、ようやく。
自分がしくじったことを悟った。
だが、それさえも強く後悔するほどの気力はなく、意識はどこまでも間延びしている。
触れあう女の温もりさえも、実際のところは、良くわからない。
オレがそれを直接聞いたのは、昨日のことだ。
その幾日も前から飛んでくる『声』で、先日の披露目が不完全燃焼であったが故に再度の宴を多くの者が要求しているのは 知っていたし、開催の方向で着々と進行しているのも気付いていたが。
御使いとして不適切なオレなので、主にこの国の舵を取る面々の間では何とか出来ないだろうかと抵抗していたのもわかっていたので、放っていた。
御使いであると一応はその位置に収められていても、オレに権限は無いに等しい今の状況では。
何を言ったところで、結果が決まれば変わることはない。
そして、案の定。
前日になって、打診ならぬ強制で報告が降りてきて。
オレは、昼日中から始まるそれに付き合わされることになった。
御使い披露目の、リベンジに。
前回のように、周辺諸国の代表者を中心にしたものではなく。
今回は、国内の貴族や神官、地位や権力を持つものを中心に集めてのものであり。
中には、どこかの国の偉いさんが居もしたが、それは偶然との建前を持っていて。
バカらしいけれど、前回のものが世界に御使いの降臨を知らせ、この国がその権利を主張するものであったのならば。
今回のこれは、国内に御使いが居るという安心を与える為のパフォーマンスみたいなもので。
だから適当に少し付き合えばいいのだと、国王である男自身が、何の意義もないのを隠さぬ態度でそう説明したのだが。
オレにとっては、気構えはその程度であっても。
やはり、先日同様自分の意思ではどうにもならない状態に陥る羽目となった。
まるで息の根を止めるように、容赦なく『声』がオレを襲う。
それでなくとも、この前の一件以降、オレへ向けられる意識は高く。
特に神官達は、何としてでもオレに会おうと、あわよくば聖殿に迎え入れようと虎視眈々と狙っているような状態だ。
初めにオレの拒絶にあったことなど忘れたかのように、勝手に御使いの保護を主張し騒いでいる奴らが、この機を見逃すはずもない。
まして、不死身かもしれないと判明したのだ。御使いの価値は格段に上がったのだろう。
そもそもが。何度も会いたいと言われその都度オレが断り、たまに外へと出れば近付いてこようとするのを、普段は鬱陶しいばかりの能力に頼って避け続けていた結果かもしれないが。
鬱憤が溜まり、更なる鬱屈がそこに蔓延ってしまったような神官どもが向けてくる『声』は、宴の間に辿り着くまでにオレに絡みついてきて、嫌悪しか持てない。
そして、神官だけではなく。
大勢集まったクルブ国の重鎮達が、それに付き従っている者達が、それぞれに。
表面上では御使いを讃えても、心の中で好き勝手に騒ぎ、オレを睨め回すのだ。
正直、逃げ出したいほどに、恐怖を覚えた。
だが、逃げられるほども、オレの身体は竦みあがっているのか、オレの自由にはならず。
思考がままならないのをいいことに、促されるまま欲望の渦へと飛び込めば。
案の定。
まるで、膨大な情報を一気に脳へ押し込まれたように。
一瞬にして酔い、平衡感覚さえ失い、立っているのがやっとになった。
前回のように意識を飛ばさないよう耐えるだけで精一杯である。
限界を超えた処理能力が『声』を遮断してくれ、発狂は免れるが。
捉えきれなくとも向けられる意識はオレの身体を包み、全身がその感覚に押しつぶされそうな息苦しさで、何も考えられない。
ゼリー状のプールの中へ沈みこんでいるような感じだ。
溺れていると、どこかで自分を判断している自分がいる。
与えられた椅子の上でもひっくり返りそうになりながら、朦朧とする意識を少しでも保とうと、傍らで座り続ける犬の頭へ指先を伸ばしていたが。
挨拶だと言い、代わる代わる遣って来る者が撒き散らす毒素に身体が痺れ、そんな小さな接触など直ぐにわからなくなる。
高熱に襲われたように、目の奥さえじわりと痺れて熱く溶け、開けておくのも辛い。
覚える吐き気を抑えるために、味もわからぬ飲み物を口にするが。
喉へ落ちるそれは、不快なばかり。
そうして。
近くに居たはずの、国王である男は居らず。
心配げに見上げてくる犬には、オレの行動を阻止する気などさらさらなく。
とっくに限界を超えている中、とにかくこの場を離れたい、休みたい一心で。
青白い顔をしてふらつく姿を眼にしても果敢に話しかけてくる者達の間を抜け、出口を目指す。
先日、なんと言おうが飼い主である男に許可を出してから、犬はずっと傍に居続けていて。
それは今も変わらないのだろうに。
足を一歩踏み出すごとに上がる息は、オレの耳に血潮だけを響かせて。
倦怠感だけで出来たような身体は、近くの気配さえも正確には伝えず。
気付けば、オレは誰かに二の腕を握られて歩いていた。
見れば、それは、オレを嫌う秘書官殿で。
ぶつぶつと文句を言っているのだろう、一切オレを見ないままだが、唇を小さく動かしていた。
御使いが死にそうな顔で身体を引きずり歩いているのが見っともないと怒っていたのだろう。
なんとか大広間を出て、少し廊下を進んで、近くの部屋に入った瞬間に。
重いんだと、しっかり歩けと、無様だと。
鼓膜が破れたようなオレの耳にも届くような声で、はっきりとそう言い捨て、オレを突き飛ばすようにして放した。
「アナタがそんな様では、我が国の評判はガタ落ちだ。国民にも、不安や不審を与えるだけです」
押された勢いのまま、その先にあった長椅子にぶつかる様にして身体を預けたオレに、侮辱でしかない言葉が落ちてくる。
「これ以上、醜態を晒さないよう。このまま部屋にお引取り下さい」
居ないほうがマシだと言い捨て、怒れる秘書官殿は部屋を出て行った。
これ以上、手を貸す気はないということだ。
あの調子では、誰かを呼んで来てくれることもないな、と。
ならば、どうやってこの状態のオレに戻れと言うのか、と。
そんなに嫌ならば、誰かに命令しておけばいいものを、と。
突っ伏したままでは口から内臓が零れそうだと、身体を何とか起こし。
背もたれに背中と頭を預けながら、去った男のヌルさに、荒い息の中でオレは何とか笑いを落とす。
唇の隙間から出たのは、小さな吐息程度で、それが限界だが。
一度笑えば、どうでもいい男の、どうでもいい行動へのそれなど直ぐに消え。
代わって、自分の情けない事態の方が、滑稽な状況の方が、堪らなくおかしく思えてきた。
恐怖がピークに達した時のような感覚に、火照る身体が痙攣する。
熱のせいでの乾燥か、閉じた瞼の裏が潤む。
渇いた喉が、針を突き刺したように痛む。
オレは一体、こんな世界で、こんな場所で。
何故、堪えているのだろう。
不死身な御使いともてはやされても、得るものなどやはりない。
手首を切り裂いても、毒を飲んでも、剣が体を貫通しても。確かに、生き長らえたが。
だから、何だと言うんだ。
この苦しみの助けにはならない。
身体でも、心でも。命に関わらないその不調に対しては、何の役にも立たない。
だったら、今ここで舌を噛み切れば、とりあえずは意識を手放せるのだろうかと。
そうすれば、この溺れたような今から逃げられるのかと思いもするが。
不調の原因が、壁数枚を隔てた向こうにまだいるからか、その行動を起こす力も湧かない。歯に舌を押し当てても、力が入らない。
ただ、荒い息を繰り返し、どうにも出来ない嵐が去るのをオレは待つのみだ。
それしか、出来ない。
…………。
……こんな時こその、あの犬はどうしたのだろう。
不意にその存在を思い出し瞼を開けると、辺りはいつの間にか薄い闇に包まれていて、部屋の中はひっそりとしていた。
思う以上に、時間を過ごしているらしい。
時間が経っても不調は変わらないが、苦痛には慣れたのか。
倦怠感に包まれた身体は熱いが、肩でしていた息は幾分か落ち着いたように思う。
長椅子に沈み込んでいる身体を直したところで、扉がゆっくりと開いた。
2012/01/31