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「こうしてやって来るくらいだ。オレを篭絡させられるものを、アンタは持っているんだろう?」

 楽しみだと、空いている手で青ざめた顔に張り付く髪を剥がし、呆け掛けている意識を戻す為に頬を強く擦ってやる。
 どこからかのわずかな光を受けて光る大きな眼には薄い膜が這っていたが、零れる様子はない。
 とんでもないことを仕掛けようとしておきながら、事態に追いつけないようだ。

 このまま首を絞めても、この女は死の恐怖さえ思い浮かべないんじゃないだろうかと思えるほどの自失ぶりに、沸き起こったのと同じように唐突に衝動が消えた。
 だがオレは、首から鎖骨をなぞり、膨らんだ胸から薄い腹を辿って。
 脚を撫でるようにしてドレスを捲り上げ、陰部へと指を進める。

「ひとつ、告白しておこう」

 緊張で身体が固まっていようが、女の肉は柔らかい。

「オレは元居た世界で不治の病にかかっていた。性行為で感染する病気だ」

 そこに指を滑らせると、流石に身体を跳ねさせた。
 同時に、意識を取り戻したかのごとく、虚ろになっていた眼が再び恐怖に染まり。
 言葉にはならないのだろう、張り付いた喉から掠れた声を上げ。
 膨れ上がった涙が、頬を伝う。

 何故、こんな女が刺客になっているのか。
 全く持って意味がわからない。

 オレは、加虐趣味を持っているとでも思われたのだろうか。

「この世界よりも医学が発達していたが、それでも、感染者には必ず死が訪れる病だ」

 自分を侵すものの正体が判明したからか。
 身体の熱とは逆に、頭も心の冷静で。
 けれども、この降りかかってきた茶番が滑稽すぎて、多少の嫌悪もあり。

 自分自身で呆れながらも、何かをせずにはいられずに。
 上がろうとする息を押さえつけ、表面だけの余裕で、ただ思いついた無意味な言葉をオレは並べる。

「潜伏期間は人それぞれだが、発症すれば数年ももたない。体は隅々まで蝕まれ、発狂するほどの苦しみを味わう。当人だけではなく、周囲をも不幸にする」

 わかるものが見れば、一発で見抜くだろう。
 自己満足に過ぎない、嘘にもならない戯言を口にのせるのは。

 苛立ちのはけ口として、女への嫌がらせをしているのではなく。
 盛られた薬に、意識が散漫気味だからだ。

 本当に、紡ぐ言葉に、オレ自身。
 何かを求める気はない。

 けれど。
 緊張状態の中でも、耳には入っているようで。
 唐突な告白に、相手はほんのわずかだが怪訝さを顔に滲ませた。
 その表情に、オレの唇が勝手に動く。

「そんな病だ。あのままあの世界に居たのならば、オレは直ぐに死んでいただろう」

 つまらない、くだらない、この世界に。
 もしも感謝するのならば、この一点のみ。
 その苦痛からは免れた。

 その、ほんの少しの喜びを刻むよう口角をあげながら。
 冗談でしかない思いつき話だが、けれども何らかの意味はもたらすのかもしれないと気付く。

 己の命を懸けてまで、半信半疑な捨て身の作戦を取るヤツはどのくらいいるのだろう。
 御使いは病気持ちなのだと広まれば、こんな愚行に巻き込まれることは減るだろうか。

「フザケタ話だが、御使いは不死身と言うのは、あながち間違いではないのだろうな。こちらに来てそんなものになったからか、オレは未だ死なずに生きている」
「ァ、あッ…!」

 笑いかけたまま、小さな布の隙間から指を割りいれると、そこもきちんと泣いたように濡れていた。
 もしかしたら、この女も何らかの処置をされているのかもしれない。

「あんたは、オレの病はどうなったと思う? 神が治したと思うか?」
「…い、ぁ! ヤ、ヤメ…」
「それとも、オレに効かないだけで、ちゃんとそれはこの身体の中で息づいているのか?」

 確認する方法はひとつある、と。
 この状況ゆえか、それとも慣れぬ行為なのか。きつ過ぎる場所を一本の指で攻め、片手で胸を揉み、悲鳴を溜め込んだ喉に歯を立てながら。
 オレは、簡潔に問う。

「アンタが発病して死ぬかどうか、だが。――さて、どうする?」

 このまま続け、結果で見極めるか。
 それとも、止めるか。

 オレは、試すのは、別の誰かであっても構わない。
 誰でもいいんだ。

 誰でも。

 良く回る口とは逆に、倦怠感は増すばかりで。
 見下ろす蒼白な女に感化され、己の血もひいているのを自覚しながら。

 それでも。
 目の前の虚しさを誤魔化すように。
 腕の中にある身体を攻めようと触れていたのだが。

 意地だけではどうにもならない拒絶反応が身体に現れた。
 強い眩暈と吐き気に、オレは転げ落ちるように床へと蹲る。

 身体が熱いのに寒い。
 息が、深く吸えない。
 急激に襲ってきたのは、恐怖だ。

 先程の高揚から一気に沸いた怯えは、意味がわからない。
 だが、知らないそれではない。

 置かれていた水をとり、震える手で喉へと流し込む。
 ガツッガツッと、カップが歯に強く当たる音を身体で聞きながら、だからクスリはキライだと頭の片隅で思う。

 何度か飲んだり打ったりしたが、高揚感を得られるのは稀だった。

 そのまま仰向けに寝転がり、ただただ何も考えないことに努めて息をついていると。
 視界の隅で女が動き、立ち去る音を聞く。
 一瞬差し込んだ光は、幻のように残像さえ残さず、部屋はまたオレ一人を飲み込む闇と化した。

 逃げるのは、当然だろう。
 ここへ送り込まれるようなヤツに、逃げる選択肢があったのかどうかは疑問だが。
 そんなこと、オレには関係ない。たとえ、あの女が後で処分されてもだ。

 そう、全てが。誰のどんな思惑も。
 オレには、無駄だ。


 身体を繋げれば、神の使いを手に入れられる。
 そんなことを本気で信じているのか、一縷の望みに掛けているのか知らないが。目出度いことこの上ない話は。
 滑稽を通り越し、哀れでさえある。
 滅びへと進む世界だからこその、醜い行為だ。
 そんなものに巻き込まれるなど、オレはご免である。

 だったら。

「……あぁ、殺れば良かったんじゃないか」

 犯すのではなく。
 ふざけた話を吹き込むのではなく。

 見せしめに、あの女を殺すなり何なりをすれば良かったのかもしれないと。
 床に転がったまま、そんな空想をする。

 そうしたら、救世主を作り出し手に入れようなどと考えるバカへの、多少の抑止力になったのかもしれない。

 セックスだけでは御使いとの契約が成立しないのは、確かだ。
 それは、偽りなく広まっている。
 だから、先程の女のことでも、他のことでも。
 要は、契約云々の話を始める前の、きっかけを欲しての接触でしかなく、実際にオレと身体を合わせてすぐさまどうこうとは、やつらも思っていないのだろう。

 ならば、殺そうとするのではなく、関係を望む輩は。
 オレの意思は、一応は蔑ろにしてはならないもののひとつとして捉えているのであろう。
 下手を打つことは出来ないと、ある程度の考えをもって行動するのだろう。

 先程の解放を、慈悲の欠片と捉えられては、次があるなと。
 ぬるいことをしてしまったと、だるい手を上げ、しっとりと汗で湿った髪をかきあげながら、オレはいつか来るかもしれない現実を思い描く。

 次にまた仕掛けられたならば、蹴散らす以外の対応をするべきか。

 いや、次は…と、それを待つのではなく。

 もうそろそろ、この世界に対する嫌悪にも疲れてきたことだし。
 自ら動くのも、有りなのかもしれない。

「…………面倒、だけどな」

 だが。
 勝手なこの世界の住人達に、オレは御使いには成り得ないのだと、いま以上に刻み込むには。
 それ相応の努力がいる。

 はたしてそれを、どんな風に、どこへ注ぎ込むべきなのか。
 今のまま無為に過ごせばどうなるのだろうという思いと平行に、自分が許容できる居場所を探ってみるが。
 根本的なところから違っている中で、そんなものなど見付けられるはずもない。

 ただ、不調の中で取りとめもなく繰り広げる妄想は。
 ほんの少し不快から気を反らす役目しか果たさず。

 元の世界以上に、生きて居たい場所ではないと。
 最終的に求めるのは、終わりしかないと。
 終われない存在になっているらしい中でも、矛盾でしかないそこへと行き着き、虚しさだけが残る。

 もしも本当に、セックスをするだけで契約が成立するのならば。
 オレは早々に、それを実行するだろう。
 契約が成立すれば、不死身でなくなるのだから。
 適当に女を抱き、そいつを殺して、自分を消す。

 欲望のままに御使いを求めるやつらが望むように。
 そう単純ならば、どんなに良かっただろう。

 誰に教わった訳でもなく。
 表面上のそれだけでは契約とならないと、勝手に知識が組み込まれている自分自身さえ忌々しくなってくる。


 どうしてオレは。
 普通ではないのだろう。


2012/01/31
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