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 そろそろ初雪が降るはずなんですがと侍従の少年が言いだしたのは、もう幾日も前のことだ。
 もしかすれば今年は冬が遅いのかもしれないと、嬉しそうに笑っていた。
 例年よりも秋が長いと、そんな意見がちらほら出始めているのだと、それをオレのお陰だと。
 御使いさま効果だと、まるで身内の自慢話のように語っていた。

 だが、それが本当ならば。
 益々もってオレの意味がない。価値がない。
 オレは無駄だという結論に繋がる話だろう。

 オレは、この世界の再生を望んでいないのだから。

 御使いが自然現象を変動させているのだというのが事実ならば。
 オレの気持ちを一切無視し、この存在だけを神が利用していることになる。
 その証明を、少年は笑顔で語る。

 結局、この世界では。
 オレはオレではないのだ。

 そう。
 御使いなど、実際は神に虐げられているだけの存在だ。
 敬い奉られるようないいものではない。
 ただの、神の道具だ。

 それが意思を持つ人間であるというのは悪趣味以外のなにものでもなく。
 オレをこんな目に合わせるのも、こんな世界を作ったのも。
 全てがその神だというのならば。
 くそくらえだ。

 永遠に秋が続こうが、冬が続こうが、どうでもいい。
 オレが思うのは、神などくたばれということだけだ。

 くたばらないのならば。
 そんなヤツが玩んでいるこの世界など消え去ればいい。
 ヤツが選んだ道具など、壊れればいい。

 向けられる笑顔に、応えられるものなどなく
 一矢を報いるように。
 嫌悪しか浮かばない神から、何でもいいから奪ってやりたい気持ちがオレの中にで溢れた。

 だが。
 実際、オレにできることなど、既に何ひとつないのだろう。
 多くの者がいま、世界の存続を願い、覇者への欲望を滾らせているが。
 結局は全て、未来は決まっているのだろう。
 神の采配、それのみだ。

 オレの足掻きも、抵抗も。
 それを前にしては、全てが無意味なのだろう。

 苦しいと。襲いくる声にもがいていたが。
 それ以上に、この世界は虚しい。

 神が、全てを喰らい尽くしている。

 夢も希望も未来も、全て。


 雪ひとつで、何を笑うのか。



「お前には、違う何かが見えているようだな」

 星が浮かぶ空ではなく。
 松明が灯る、城壁でもなく。

 闇の中で更に濃い影となって聳え立つ遠くの山へ、ただ真っ直ぐと視線を向けていると。
 数歩後ろで付き合う男が問いかけてきた。

 灯りは邪魔だと、最低限のそれだけに留めさせ、衛兵も遠ざけたので。
 近くに居るのは、この男のみ。

 なのに、オレの身体の治まらない熱は、解放以上に、更なる熱を求めており。

 ただ、言葉を紡がれただけなのに。
 全身が、無様に震える。
 意思とは関係ないそれに、単純に冷や汗が流れる。

 御使いの治癒は、命に関係のない媚薬には効かないのか。酷くなっているようだ。
 それとも、これでもまだマシな部類なのだろうか。
 時間が経てば治まるのだろうが、うっとうしい。

「熱心に、何を見ている」
「……別に、」
「ならば、戻るぞ」

 特になにもないのなら、もういいだろう。夜風は毒だ。
 男はそう言い、オレを促すようにその身をゆっくりと回した。

 けれど、オレは向けていた視線を再び彼方へ飛ばし。
 男とは逆に、空けていた半歩を踏み出し足を掛け、テラスの縁に上がる。

「ユラ」

 それは咎めるよりも、呆れたような、笑うような響きさえ持っているように感じる声だったが。
 寒風に晒され、一瞬の後にはどこかへと消えさる。

 数秒の沈黙を置き、男が動くのを背中で感じた。
 そして。

「凍える前には部屋に戻るぞ」

 妥協を示しながらとったその行動は。
 一国の王がそんなことをしていいのかと、オレでさえ呆れるものだった。

 オレの足元に、膝ほどもない、低い縁に。
 まるで高い位置に立つオレに膝を折るかのように、男が自然な動きで腰を降ろす。
 オレを、見上げる。

「ああいった場は苦手なようだな」

 斜めに見下ろすオレと視線を合わせた男が、静かに確認をしてきた。
 態度とは真逆に、体調を崩すオレの姿を皮肉ったというよりも、単純に。
 事実のみを口にしたようなそれは、答えなど求めてはいないようだったが。

「反吐が出る」

 ストレートな答えを返すと、無音で笑われた。
 その響きに、何故かオレは言い訳を重ねる子供のように。
 男から視線を少しずらせ、ブラックホールのような真下の地上を睨みながら言葉を紡ぐ。

 苦手、どころの話ではない。
 生きながらに殺され続けられているようなあんな苦行など、二度と味わいたくはない。
 あれは、刺し殺されるよりも、おぞましい。

「次に、あの物欲しげな顔を晒してきたら順番に、それが誰であっても切り捨ててやる」

 遠ざかれないのならば、遠ざけるしかない。
 死ねないのならば、殺すしかない。

 求めないオレと、求める彼らとでは相容れるものは最早なく。そこにしか解決方法はないのだと。
 オレは、見つめる先の闇に誓うように。
 だから二度とこんな茶番は御免だと、傍らの男に言い含める。

 いや、これは懇願だ。
 泣き叫びはしていなくとも、オレの中にあるのは怯えにも似たもので。男もそれに気付いていて。
 脅す言葉は、情けないくらいに薄っぺらい。

「この世界は気に入らないか」

 返答にはならないバカな言葉を紡いだ男が、オレの視線を追うように少し身体を傾け、闇の入り口のような地上を見た。

 今のオレには、遠いそれだが。
 この男にとっては存外近いのかもしれない闇は、現実と夢幻の狭間のように息づいている。

「だが、お前のそれは、俺には無いものだ」

 男の声は下へと向かっているのに。
 晩秋の風に巻き上げられたそれがオレに届き、身体を貫いた。

 この男は、オレに、御使いに、何も望んでいないのだと察していたが。
 それだけではなく。
 世界に対してそうなのだと。いま在る全てに感情がないのだと。
 オレの無言を肯定と捉えた上での告白に、不意を撃たれたオレは軽い眩暈さえ覚える。

 オレにとって、この男が他とは違い、特別でも。
 この男にとってオレは、全くそうではないのだなと。
 どこかでわかっていたように思うそれだが改めて、言葉として確かに突きつけられたその真実に、自分自身への嫌悪が増す。

 この男に比べれば。
 オレの方が余程、己を「御使い」として見ているのだ。

 この世界を嫌うオレは、それ故に、この世界に拘っているのだ。

 一方、そこに感情を持たないと躊躇いなく口にする男は。その立場とは逆に、この世界を必要とはしていない。
 世界を救うとされる御使いなど、見てもいない。


 だから。
 この男には『声』がないのか。


2012/03/03
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