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「……アンタには、何が見える」
だったらどうして、王などしているのか。
生きているのか。
そんな疑問が浮かび、口を開いたが。
言葉に出すよりも先に、オレは答えを察し、問いを変える。
だが。
先の男の発言をなぞってのものは。
けれども、その実、探りを入れるそれでしかなく。
自分が男を全身で意識していることを教えられる。
いつもならば、問いなど重ねないのだろうに。
紡がれた言葉が、オレを牽制しているような。
オレの熱を察し拒否しているような、そんな感じがして。
オレの中で、困惑が生まれる。
身体だけではなく、いつの間にか心まで痺れてしまっている。
震えている。
「お前と変わらない」
この男が王であるのは、王となったから。
ただ、それだけなのだろう。
オレのように、御使いではないと拒絶するのではなく、無関心に受け入れているのだろう。
いや、無関心なのではなく。
無気力、か。
かつては、この男とて、この世界に何らかの思いを持っていたはずだ。
男の虚無は、失くした跡の気配が色濃い。
捨て去ったのか奪われたのかはわからないが、保持していた名残の深さがそこにある。
そして、それは誰にも侵されはしないのだろう、絶対の存在と化している。
そんな訳がないのに。それを知っているのに。
変わらないのだと嘯く男が、空へと視線を飛ばし、そのまま瞼を閉じるのを。
オレは見下ろし眺めながら、二の腕を強く握る。
熱い身体とは逆に。
心の芯が冷え固まる感覚に包まれる。
この男もまた。
恐ろしい。
「寒いのだろう」
気付けば、オレは瞼を閉じていたようで。
声を掛けられそれを押し上げれば、いつの間にか立ち上がった男に顔を覗きこまれるよう見上げられていた。
いい加減にせねば身体に毒だと諭してくる男の肩を、オレは反論のように軽く手で押す。
距離をとるために。
だが。
反射的なそれは、考えてものではなく。
脚に、力など入れてはいなくて。
体重差を考えれば当然で、押された男が動くようなことはなく、込めた分の力はオレに返り、身体が後ろへ傾いた。
落ちたところで、死ぬことはない。
けれど、だからといって意図したわけではないが、避ける意思も生まれずに。
着く地面は無いとわかりつつ反動で半歩足を後ろへやったオレは、ただ、地上の闇に吸い込まれるのだろう自分を脳裏で想像し。
少しだけ、熱くてたまらない身体が落ち着く感覚を味わった。
死ねないのならば。
怪我をおうのでも、毒に侵されるのでも、何でもいい。
意識を失うことで少しでもこの世界から遠ざかれるのならば、それによる苦しみを耐える価値は充分にある。
そんな風に、時間にすれば一瞬にも満たないそれで。
オレは、背中から広い空間へのジャンプを、気持ちの上では実行した気になったのだけれど。
「――おいッ!」
「ッ…!」
ガクンと視界が揺れて、眼を見開いた男の顔が近付き。
衝撃は衝撃でも、落ちたそれではなく。
やって来たのは肩や胸にだけ響く、痛みなどない小さなものだった。
伸ばしていたオレの腕を咄嗟に掴み引き戻した男が、深い息を吐くのを耳の傍で聞き。
こんなところで飛ぶな、と。助けた安堵からか、小言を口にしながらも。
男が高い位置にあるオレの背中に腕を伸ばし、抱きしめるようにしてテラスの縁からオレを降ろすのを。
心が遠く、他人事のように感じながら。
オレはただ、その存在に。
胃をギュッと掴まれたような、何とも言えない圧迫感を覚え、抑えきれずに上がった息を数度繰り返す。
まるで、喘ぎのように。
「気を付けろ」
冷汗をかいているぞと、身体を離した男が、オレの額を硬い手で拭った。
気遣うように。
限界は。
案外、直ぐそこにあったらしい。
一瞬にして、身体が爆発するかのように男を求めるように蠢いた。
気持ちなど置き去り、本能のように意識もそれに倣おうとする。
離された身体を再び密着させながら。
この瞬間の自分の唯一が、目の前の男にだけあるのを、オレは悟る。
欲しいだとか。
必要だとか。
そんな思考は持ってなどなくて。
ただ、息をするかのごとく当然のように。
これが今の全てだった。
相手をしろと命じたオレを、男は無表情に近い眼で見下ろした。
言われた言葉が理解できないのでも。
オレの意図が見えないのでもない。
単純なその言葉など間違えるはずもなく。
わかりながら、男は全てを消し去り、オレを見た。
先ほど心の内を吐露した者と同一には思えない硬質さに。
その顔に。
オレは口角を上げ笑ってやる。
こういうことは、アンタが一番の適任者じゃないかと。
実際、それが正しいのかどうか、オレにわかる訳もなかったが。
オレが、そう判断し、故に選んだというのは。
揺るぎない真実であり、それで充分だった。
御使いが求めているのだ。
この男にとっては兎も角、この世界にとっては、「絶対」に成り得るものだろう。
だけど、男相手に何をどう口説けばいいのか。
オレが知るはずがなく。
たった一歩の距離を開けているだけなのに、どんどんと距離が遠くなっていくような感覚を覚えながら。
腕を上げ、凍った手で男の胸に軽く触れる。
指先に触れた布に、この向こうに脈打つ肉体があるのだと思うそれだけで、昏い興奮が高まる。
熱い身体に頭の芯まで侵され、ただただ見付けた存在だけが今すぐ欲しいオレの思考力など、まったくの皆無で。
なけなしの理性を持って、男へ掴みかかろうとする身体を抑え込み。
説得なのか挑発なのかわからない言葉を、オレは壊れたラジオのように紡ぐ。
相手に動いて欲しいのではなく。
後戻りできないところまで行き着くために。
逃げ込める全てを塞ぐ。
オレだって男だ。
肉欲が必要なときもあるのはわかるだろう?と。
御使いであるとされるオレが、誰かれ構わず相手に選んでもいいのか?と。
もしかしたら、これがきっかけになり、覇者となれるのかもしれないのだから。
性行為だけでは契約が成立しないとしても、オレは引く手あまただろう?
アンタが相手をしないのならば、他を当たるが、大丈夫なのか?
女の一件を思い出しながら、オレは表情を変えない男を陳腐な言葉で脅す。
今のオレは不死身らしい。ならば、どこの誰を相手にしても、危険なんて一切ない。
ただ、ひとつ言うならば。
御使いに夢を見ているようなヤツが相手の場合は、寝ただけで後々まで騒がれるだろう。鬱陶しい。
そうなったら、その時は。用が済んだら、殺そうか。
問題は、起こる前に解決するべきだ。そうだろう?
誰かに命令され、怯えながらオレのところにきた女も。
御使いを欲し、愚行に走ったその誰かも。
それこそ、盲目的に主を慕い、他を見ない男も。
笑えはしない程に、愚かな自身をオレは自覚するが、衝動は止まらなくて。
先ほど何度も肩透かしを食らったからか、湧きあがる熱はもう二度と抑えられてなるものかと抵抗しているようで。
意味などない言葉を羅列しながらも、色のない眼に晒されながらも。
愚かであろうと、欲しいのだという思いを止めようとも思わない。
オレはまるで、飢えきったところに、水を差し出されたように男を求めていて。
それは、死への羨望と、似た感覚で。
絶望を叫んだ衝撃と同じようだった。
死ねないのならば、一瞬でいいから全てを消したい。
治癒の力に飲み込まれ、混沌と眠りにつく時のように。
溺れられるものが目の前にあるのならば、自分の中にあるのならば、手を伸ばすのが必然だ。
2012/03/03