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口先ばかりだと思うのならば、部屋へと戻せばいい。
オレが御使いであると言われる以上に、アンタは正真正銘の王だ。
その選択が間違えたゆえに人が一人死んだとて、たいした問題にはならない。
そうだろう?
アンタは、どこまでも、王様なんだから。
だけど。
一体何人までならそれが通用するのだろうな、と。
そう嘯いたオレの眼はきっと、沸き上がる熱でギラついていたのだろう。
一瞬、男は痛ましげに、けれども嫌悪も混じったような視線でオレを射抜いた。
だが、オレはそれを気にもせず。
一番後腐れがないだろうアンタが相手をしろよと、自分自身でもラリっているなと思いながら笑う。
自分が、男と寝ようとしているのだ。
笑う以外、何もない。
オレは、どこまでも馬鹿だ。
だが。
一歩先に、ここではない世界があるのだと思うと。
この世界を一瞬でも去れるのかもしれないと思うと。
クスリによるもの以上に、オレは興奮を覚えきれなくて。
発熱する心と身体が、どんどん飢餓感に苛まれていき。
欲しくて欲しくて堪らなくなる。
その、先が。
それを与えられる、男自身が。
救いのようにさえ思えた。
挑発のような言葉を繰り返し、相手にされないままに、強引に捕らえた男に唇を寄せたのは。
意地でも、処理でもなかった。
涙したヤツを引き寄せるのは、男の優しさではなく。
ただの、立場的な行動でしかないとわかっていたが。
冷たくとも合わせた唇に、オレはまっすぐに。
男だけに、欲情した。
――そうして、今。
男の腰を跨いで硬い腹に座りこみ、その厚い肌に触れて。
移る熱に溶けるよう、唇を合わせて。
また、一本。
残り少ない理性なのか、何のか。
何かが切れる音を、オレは自身の中で聞く。
その音を聞くたびに、自分のことさえ遠ざかっていき。
傍らの存在だけしか見えなくなる。
屋上での馬鹿げた攻防でオレに折れたというわけではないだろう。
男の『声』は聞こえずとも、その態度が協力的でないことは明らかであり、オレへの不快を含んでいるのも確かだ。
しかし。
では、なぜ抵抗らしい抵抗もしないまま、オレに押されるがままになっているのか。
オレと違い興奮など一切浮かべていない顔を見下ろしながら、そう思わないこともないが。
曝け出された肉体に、差し出される意味など考えられないくらいに欲情していて。
相手が何を考えているかなど、わからずとも構わくなる。たとえ、寝首をかかれようと、今、欲するものが前にある興奮には変えがたい。
相手に積極性など求めてはいない。
ただ、オレを突き刺し、息の根を止めてくれるのであれば、どんなつもりであろうといいのだ。
たとえこの男が、無表情の下で強かに御使いとの契約を狙っていたとしても構わない。
利用されようが、恨まれようが、どうでもいい。
今のオレには、現実の全てが霞む。
ここがどこなのかも、自分が生きていることも、全て。
「……本当に、するつもりか…?」
邪魔だと自分の服を脱ぎ捨てたところで、今更な質問がやってきた。
「アンタは、ここまで来てやめるような野暮な男か?」
「何を焦っている」
「ナニ?って、ナニだろうが。決まっているだろう、なあ? 早くコレが欲しくて堪らないんだ、ってな」
焦って当然だと茶化すように、そんな娼婦でも言わないだろう言葉を口に乗せながら、オレは男の腹に両手を置く。
オレの世界には、上げ膳喰わぬは男の恥って言葉があるんだと。
ここで止めようなど、ムシが良すぎるだろうと。
口角を上げたまま喋れば、頬が引きつりそうになった。
使いすぎな顔の筋肉を休ませるべく、背中を丸めて顔を伏せる。
「待て」
腹に置いた手で男の下衣を掴み、その膨らみに唇を付けようとすると、下げる頭を片手で押さえられた。
垂れていた前髪をかき上げられ、そのまま横へ流れた手が、オレの顎をすくった。
「野暮な男のつもりはないが。怯える相手を押さえつける趣味もない」
「……それは、オレがビビッているといいたいのか?」
上目遣いに見るオレを見下ろす男は返事をしなかったが。
沈黙が、答えを教える。
怯え、だと?
だからって、何だという。
「…めんどくせぇな、アンタ」
一瞬だが、興奮しきった熱が冷めそうなほどのそれを覚え。
オレは、ボヤキとともに顔を背け、硬い手から逃れ身体を起こす。
下がっていた腰を元の位置へと戻し、噛み付く代わりに高ぶった下半身を男のそれへ押し付ける。
「いい加減、黙って喰われろ。往生際が悪すぎだ」
童貞でもあるまいし、いい歳の男がうっとうしい。
躊躇うなど、気持ち悪い。
根性無しが。
「それとも、泣いて頼む方が、アンタの好みか?」
だったら、幾らでも泣いてやる。
もう、この世界で自我を保つのは限界だ。拠りどころが欲しい。助けて欲しい。
誰も傷つけないと誓うから、アンタをオレにくれ。
アンタが覇者になることを望むのならば、誓いをたてたっていい。
頼むから、壊れる前に、オレを抱きしめてくれ。しっかりと。
「アンタが欲しい。ほかの誰かでもいいだなんてウソだ。アンタだから欲しいんだ。優しくしてくれなんて言わない、好きにしてくれていい、女の変わりでも構わない。アンタが出来ないのならオレがする」
だから。
王としてでも、ひとりの男としてでも、父としてでも、何でもいい。
何もないのに部屋を訪れるように、犬を与えるように、少しでもオレを気にかけているのならば、助けてくれ。
触れ合い、熱を交わし、自分が生きていることを教えてくれ。
孤独に潰されそうだ。
死にたくない。
「どうしたらいい? どうしたら、アンタはオレを抱く…?」
本当は死にたくなんてない。
だが、それ以上に今が、この現実が怖いから、オレには死しか救いがない。
それでも。
こうして生にしがみ付こうと足掻いている。
そんなオレは、アンタから見て滑稽か?
「情けもかけられないほどに、愚かだと思うか?」
中途半端に上半身を起こした男の胸に寄りかかり吐露したそれに、本心などいかほど含まれているのか甚だ怪しくて。
それを男とてわかっているのだろうに。
熱に犯されたオレは、己の茶番劇に酔い涙を流し。
男は、何かを諦めるかのように。逆に、決心でもするかのように。
一度強く目を瞑り、瞼を開くと静かな視線でオレを射抜いた。
「確かに、お前は愚かだ」
男がオレを片腕で胸に押さえつけ、そのまま身体を倒す。
濡れた頬の向こうで脈打つ鼓動は、欲情しているオレのものよりも速かった。
2012/03/20