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男の手が、指が。
唇が、舌が。
熱い息が。
ゆっくりとオレの体に触れ、這い、止まり、刻み付けてくる。
男よりも確実にオレのほうが熱いのに。
与えられるその熱に、浮かされる。
けれど、酔うにはまだ足りない。
「……ちまちましてンじゃねぇぞ、オイ」
薬の作用か、セックスへの期待か、未知への興奮か。
熟したオレの体は確かに、小さな刺激ひとつにも素直に震えるが。
全然、まだまだ物足りない。
こんな程度では行為に溺れることは愚か、逆に心が冷めそうだ。
脇腹を滑る指に身を捩り、腹に乗った手を叩き落とし身を起こす。
漸くやりだしたと思ったら、これはこれで面倒だ。
「いつまでもビビッてンな、童貞かよァあぁ?」
オレの動きに合わせて背筋を伸ばした男に顔を近づけ、首を傾げて無理やり下から視線を合わすと。
静かなままの目を僅かに細め、ほんの少し口元を緩めて男は言った。
「ああ、そんなようなものだな」
ふざけた返答に顔をしかめたところで、再び伸びてきた手に身体をなでられる。
「…ッ、ン」
緩い刺激は、苦痛に近い。
じれったさに、煽られる。
前戯など一切要らないのに。
「ザケンな、よ…」
何が、童貞だ。妻子持ちだった男が、空寒い。
その立場から考えれば、それでなくとも選り取り見取りで女を相手にしてきたのだろうし。年齢的に、オレよりも経験豊富なのは確実じゃないか。
そう、だから、こそ。
だからこそ、この緩やかに進む行為が、いまなお男が躊躇っているからではなく。
セックスをしようとしているからこその行為なのだと。
柔らかく、優しい、先へと進むものなのであり、男の性質がさせているのだろう自然さが、熱に侵されているオレにもわかるものなのだけど。
だけど、オレは恋焦がれている女じゃない。
優しさなど、微塵も望んでいない。
必要ない。
「お前を抱くのは、初めてだ」
男を煽ることでこの状況を打破しようとしても。
先の発言の理由を、そんな恐ろしい言葉で色づけてくる。
その神経が鬱陶しい。
そんなものは、本当に要らない。
オレが欲しいのはもっと、圧倒的な熱だ。
死と並ぶほどの、苦痛と紙一重の快楽だ。
この世界を、おかしな能力を、そして自分自身を一瞬でも忘れられる行為だ。
セックスが出来ないのならば、剣で切り刻まれてもいい。
そう思うオレに、この僅かばかりの、刺激。
無理に行為を強請ったオレへの嫌がらせではないのかと、いい加減勘ぐりたくなる。
「抱くと腹を決めたのなら、もっと来い」
似合わないバカなことを言っていず、さっさとやれ。
やらないのならオレがやるぞ。
「いまオレが欲しいのはコレだ、じゃれあいは他のヤツとしろ」
着衣の上からでもわかる程度に反応を示している男の股間に膝を押し付ける。
グッと押さえ込むように力を入れると、男はそのまま腰を押し付け、オレの脛で自分を刺激した。
じっとオレを静かにまま、数度腰を上下させる。
やる気は、ないわけじゃないのだろうに。
めんどくせぇ…。
「……脱げ」
素っ裸のオレとは違い、上は前を肌蹴させているとはいえ肌着を着たままで、下は何ひとつ脱いでいない男を、短い言葉で促す。
素直に従い膝立ちになった男が、オレを見下ろしたまま。
オレの肌をなぞる丁寧さは微塵も感じさせないような性急さで、まるで不快なものを剥ぐような勢いで、腕を抜き、足を抜いた着衣をベッドの下へ放る。
僅かな光の中で見上げた裸身は、正直に言って綺麗だった。
だが、そんな感動など一瞬のもので。
やっと得られるものへの期待に、オレの中で血が暴れる。
考えるよりも早く、体が動いた。
「待て、おい」
「黙れ」
「ユラ」
中途半端に肩肘を付き浮かせていた身体を起こすと同時に、見上げていた視線を外し。
先ほどは拒まれたそこへ、狙いを定めて口を開く。
オレの意図に気付いた男が再び静止の言葉を上げて腰を引きかけたが、伸ばした片腕で抱き込むようにしっかりと男の足を捉えて阻む。
嫌悪など全くなかった。
当然のように舌を伸ばした。
触れた瞬間、さらに口を開けたのも無意識で。咥えたのにも、何の意味もなく。
頭では何も考えてはいなかった。
思ったのは、含んだ男根の味でも感触でもなく。
腕を絡めた男の太ももの硬さのことだった。
厚みのあるその筋肉に、この男も馬を駆け剣を振り戦ったりするのだろうかと。ベタな映画のワンシーンのような画を思い浮かべるが、それもまた直ぐに消えて行く。
「怯えるな」
頬に触れた指がそのまま耳へと辿り、こめかみから髪をかきわけ後頭部を掴んできた。
促され頭を後ろに倒せば、同時に腰を引いた男の性器がオレの口内から抜け出す。
追いかけるよりも早く、男がベッドに腰を下ろしオレと向かい合った。
再び、物足りない、けれどオレをじわりと煽っていく愛撫が始まる。
「何が不安だ」
怯えるな、焦るな、と言葉は違えど、問われるのは何度目か。
そんなにオレは、情けない姿を晒しているのだろうか。
「……ビビッているのは、アンタだろう」
「オレがお前を抱くのは、オレが抱きたいからだ」
お前に脅されたからでも、乞われたからでもない。
自分がそうしたいからだ、間違うな。
この現状では滑稽なことを男が言う。
「焦るな」
「…………焦らしているヤツが、なに言って、ン…ァッ」
これで終わるわけではない。だから、慌てるなと。
そういった男が、オレの肌に吸い付き痕を残す。赤い印が、二の腕に浮かぶ。
もうどれだけ、強制的な熱に侵され、目の前に餌をぶら提げられたような状態でオレがいると思っているのか。
焦って当然だろう。
このまま誤魔化されて終わられないかと疑うのも当たり前だろう。
いま、この男に去られたら、オレはどうしたらいいのだろうか。そう怯えるのも、同じだ。
オレは、欲しているのだ。心の底から、更なる熱を。その解放を。
ふざけたお粗末な武器で戦いを挑むほどに、脅しをかけるほどに。
無様と自覚しつつ道化を演じてまで、求めている。
そんなオレが、言葉では満たされるわけもない。
思うところのひとつやふたつ有るだろう男のそれに触れたところで、なにひとつ足りない。
もはや、それは態度でも同じだ。
今すぐに、こんな意識さえも消え去るほどに、この世界を変えて欲しい。
「ぅ、あ、あッ」
男の舌が、オレの胸の上で自在に動く。
周囲を舐め、膨れた先端を押しつぶし、落ちた唇が吸い上げ、食む。
ダメだ。
もっと、もっと強くだ。
「噛んでく…ァッ、ン」
言い切るより早く、逆の乳首をキュッと摘まれた。痛い手前の強さのそれに、飢えが一層刺激される。
足りない、足りない、全然まだだ。
もっと、身体だけじゃなく、頭の中まで響くくらいに強く…!
「やッ、やめンッ、もっ、と…!」
緩んだ力に怯え乞うと、やられているのは胸なのに、望んだ痛みが足元から駆け抜けた。
捻り潰されても、千切れてもいい。
求めた刺激が漸く与えられた興奮に、オレは何度もそれを強請った。
2012/05/05