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 ベッドに横たわりぼんやりと眺めていた窓の外で雪が舞っているのに気付いたのは、随分経ってからだ。
 冬が来た。
 少年が騒いでいたように、その訪れは遅かったのかもしれないが、ただそれだけで。
 破滅へと向かう世界の異常気象でしかなかったのだろう。
 御使いの力ではない。
 奇跡も起こっていない。

 わかっていた事だが、契りは契約とはならないのだ。


 過去の三人の御使いが契約を成したとき。奇跡が起きたという。
 あるのときは、降り続いていた雨が止み。あるときは、逆に恵みの雨が降り。あるときは、世界中で緑が芽吹いたらしい。
 ほかにも、御使い自身も、光に包まれただとか、空に浮いただとか、聖獣を生み出しただとか。
 再生へ流れを変えた世界ではあちらこちらで、泉が湧いただの、雪が解けただの、虹がかかっただの、何だのと。色んな恩恵に恵まれ、それらは全て契約を成した御使いへの神の祝福だとか人々は叫ぶ。

 実際は、過去からの伝聞が尾鰭をつけて原型をとどめている部分は少ない。
 それが本当かどうか、わかるオレには笑い話である部分も多い。
 だが。
 ただ、現状の続きが全てであるならば、突如起こった小さなそれぞれを奇跡と呼ぶのは自由なのだろうし。そこへ縋るのも、 彼らの勝手だ。訂正をかける気もないほどにどうでもいい。

 重要なのは、そんな目に見えるものではないということだ。パフォーマンス的なそれは、おまけにすぎない。
 奇跡など、人々に与えられた誤魔化しだ。

 契約が成立すれば、御使いだけがわかる変化が起こる。
 間違いなく。

 それが何なのか、当人しかわからない。
 それは、当人が何を持って自分の変化をそこに位置づけるかにもよるだろうが。
 御使いは、確実に何らかの力を得る。

 不死身だと神官たちが気づき騒いでいたが、治癒力が高いというのも実を言えばそのひとつだ。
 契約成立と同時の変化もそうだが、この世界へ落とされたそのときに、既に御使いは大きな変化をとげている。
 その上で、契約者を得ることでこの世界に根付くのか。それとも、精神的なものからか。
 契約を結ぶことで、御使いは力を大きくする。
 それは、神に与えられるものではなく、この世界に来たときから持っているものだ。

 そう、だから。奇跡なんかではない。
 御使いの身に起こるのは、ただの必然だ。


 紹介されたのかすら覚えていない、あの男の名前を探る。
 いつの間にか再びベッドで寝そべっている犬を撫でながら、オレは誓いを口にする。

「…………キアノ・ジルフォークを我の契約者と成し、この身を捧ぐ」

 呟きが冷えた空気に溶ける。
 それだけだ。

 奇跡など、起こりはしない。
 言葉ひとつでは、何も変わらない。

 身体を起こし、窓辺へ近付く。
 触れたガラスは、昨夜欲したように、ひやりと冷たい。

 外は薄暗く雪が舞っているが、陽は思った以上に高かった。夕刻にすらまだなっていないようだ。
 起きたのは昼ごろだったかと自分の勘違いを知るが、気づいたところで何もない。
 朝だろうが昼だろうが夜だろうが、関係ある生活からは程遠い。

 望まぬ場所に出席し、茶番に巻き込まれ、男と肌を合わせ。
 何をしているのだろうかと思うが、それを考えること自体無駄だと同時に思う。

 窓枠にもたれ、額を冷えたガラスに押し当てる。
 雪はまだ積もるほどでもないようで、雪景色には程遠い。

「世界の、再生を――」

 呟きは窓ガラスを僅かばかり曇らせただけだ。

 セックスをしても、言葉を繋いでも、真実でなければ何も起こりはしない。

 だけど―――そもそも、真実って何だ。
 そんなもの、どこにある。

「―――どこまでもフザケたもんだな…」

 この世界に来たとき、オレにはなにひとつわからなかった。
 色んなヤツの言葉を聞いても、ピンとこなかった。
 なのに、いつの間にか、知識が潜んでいる。小出しにされる事実に、納得している。

 知らなかったはずなのに、気づけば知っている。
 まるで、過去の記憶を思い出すように、オレの中に答えが生まれる。
 この世界の全てが詰め込まれた引き出しが、時とともに誰かに勝手に空けられているかのように。

 御使いのことなど知らなかったのに、聞きかじる以上のものがいつの間にかオレの中にあり、気付けばこの世の誰よりも詳しい。
 きっと、今はわからないことも、既に答えはオレの中にあり、いつかはわかることになるのだろう。
 それこそ、この力を手放す方法も、もしかしたらあるのかも知れず。
 死への希望は、そこにしか見えない。
 それが、オレの現実だ。

 知識の采配は、神の気まぐれか。オレの心ひとつのことか。

 この世界はオレをどうしたいのかわからない。
 だが、わかることはひとつある。

 ゆっくりと湧き出る泉のように得ていく知識をどんな風に使うか。
 それがオレの武器となり、未来を決めるということだ。

 鍵を握るのは、神でも、超常現象でもない。
 オレだ。


 犬がベッドから降り、扉の前へ移動した。揺れる尻尾が床を撫でる。
 数秒後、案の定、男が入ってきた。
 この国の王は、本当に暇人だ。

 そして、口にする言葉も代わり映えしない。

「身体はどうだ」

 扉を閉め、足元に犬を従え窓辺まで来た男が、オレを見下ろし言う。
 何も変わらぬ静かなその表情に、オレは何となく静謐な雪を思い浮かべる。
 触れたいと思った、冷たい存在を。

「確かめてみればいい」

 伸ばした手は触れてもなお、払われることはなかった。


2012/05/05
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