# 1

 『生きるために絶対に必要なものなど どれくらいあるのだろうか
  少なくとも 私にはそれが何なのか 思いつかない
  例えば 今私の回りにある全てのものが消えても 私は直ぐには死になどしない
  廃墟の中にただ一人残されようとも 私は生きるだろう
  生きるのなんて そう難しいことではないのだ
  何もしなくても 人は生きるのだ
  それが 限られた時間であるのは当たり前のこと
  その長さに 違いなどない

  人は一人では生きられない
  そう言ったのは一体誰なのか それは間違いだ
  人は一人でしか生きられない
  他人と同じ生の道を歩む事などどうして出来るというのか

  誰かが死んでも 同じように私が死ぬことはない
  私が死んでも 誰かが死ぬ事は絶対にない
  そんなことはありえないことなのだ
  同じ生を持っているものなどいないのだから
  人は自分一人で生きている
  周りに誰かがいても 一緒に生きているわけではない』



 ――僕はそこで文字を追いかける事を止めた。
 生きることに対して否定的な文章は、逆に言えば、それにしがみついているということなのだろうか…。
 これほどまでに悲観的になる理由が何処にあるのか、僕にはわからない、共感出来ない。
 適当に捲った真っ白なページに映し出されたその文字は、自分には何も影響の与えるものではない、と僕は本を棚に戻す。
 空から落ちる光を透き通る蒼い海の中から撮った綺麗な写真に惹かれ手にしたそれは、何とも味気ないものだった。片方に詩、片方に写真という装飾は、まるで互いを殺すために作られたよう。
 語られる言葉が、とても綺麗であるはずの写真を汚し、ありのまま映し出された写真が、何かがこめられているのだろうその思いを掻き消している。
 皮肉なものだ。
 僕は興味がなくなった蒼い背表紙から目を外した。だが、ふと思い付きもう一度その本を手にとる。
 そう…人間だ、これは。
 この本に詰まるものは全て人間なのだ。
 山の風景、赤く染まる波、汚れた子犬。社会への叫び、愛の詩、自己否定。
 一つ一つそれぞれが人を表しているのだ。
 一人の者が語っていると考えると不気味さすら持つが、そういう風に見るとただの小説でしかないのだとわかる。
 …何とも馬鹿げている。
 今度は棚に戻しはせず、僕はそれをレジへと持っていった。

 包まれた紙袋を破り、自動ドアを出たところにあったゴミ箱に捨てた。
 本を片手にしばらく歩き、公園に入る。
 数人の人影は、通り抜けるために入って来た人達なのだろう。足を止める事も、周りを見ることもなく、歩き去っていく。
 ベンチに手の中のものを置き、僕も彼らに倣うように直ぐにその場を後にした。
 ゴミを捨てるな。公園はきれいに使いましょう。
 そんな文字が踊る立て看板が僕のその行為を見ていたが、それが自ら何かを注意するはずもない。

 夕暮れ時の静かな公園を出れば、直ぐにまた街の喧騒に包まれる。
 公園の静けさに寂しさを感じた次の瞬間、人の煩さに眉を顰める。
 人とはそういうものだ。今手の中に無いものを求めているのだ、常に。
 実際に必要なものかどうかなど関係なく、ただ、求める。
 手に入れれば、また別のものに目が行き、直ぐにそれを落とすのだ。
 その繰り返し。
 だが、それで丁度いいのだ。
 そんな中で、もしもあの本が何かを意味するならば、誰かの手にいくのかもしれない。それが必要なことならば。
 小さな子供が海の向うを夢見て、瓶に手紙を詰めて浜辺から放り投げる姿が僕の脳裏に浮かぶ。その姿が、自分と重なる。
 いや、僕はもっと馬鹿な事をしている。
 波に押し戻され瓶は戻ってくるかもしれないということを知らない子供と違い、僕はあの本がゴミのひとつになることを知っている。誰かの手に渡る事など僅かな確率でしかないのだとわかっている。
 …一体何をしているのか。
 足を止め夕闇の街を眺めながら、僕は溜息を吐いた。

 時々、無性に意味のない事をしたくなる。
 本当にそれは意味がないことなのかどうなのか、確かめたくなる。
 だが、次の瞬間にはそれすらどうでも良くなる…。

 何が大切なもので、何が不要なものなのか。何に意味があり、何に意味がないのか。
 それを決めるのは一体誰だというのだろうか。
 それこそ僕は、そんな理由を態々さがす必要になどせまられてはいない。
 今の生活に満足しているから。
 何かが欲しいわけでも、何かが邪魔なわけでもない。
 しかし、何故か僕は時々不安定になる。
 意味のない行動をとり、無駄な事を考える。
 自分が揺れているのを眺めるのは、とても疲れる。だが、とめる術はない。

 ただひとつ、その中でいつも思っている事がある。
 揺れる自分を、結局は元の場所に戻すのは、この思い。


 僕は変化を望んではいない。

2002/10/30
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