# 149

 呆れるしかない言葉を向けてきた男に、この男は馬鹿だろうかと、真剣にそう思う。
 この状況でこの言葉はプロポーズらしくも聞こえるが、任侠世界の忠誠のようにも聞こえるから可笑しい。だが、内容は絶対に御免こうむりたいものだ。
 嫌だと首を振った僕に、「……そうか」と悲しげな目をして男は応えた。そんな筑波直純の手を離し、僕はリビングへと行く。追いかけては来ないので勝手に部屋を物色し、見つけた紙とペンを持ってベッドに座ったままの男の元に戻る。彼はそんな僕の動きを、ただ眺めていた。
【僕は、今もこれからも、あなたと同じ道を歩く訳ではない。僕達の道は、重なりはしない】
 僕と男は、別々の人間なのだ。同じ道であるわけがないし、重なり合う事もないだろう。僕は僕の道を行き、男は男の道を行く。それは、絶対だ。
【僕は自分の道を歩く、自分の足で。その道に、たとえ後悔をしたとしても、それは僕自身の問題だ。あなたが背負う事じゃないし、背負わす気もない。僕は、僕であり続けたい。たとえリスクだろうと、それを自分のものだと感じたい。守って欲しくも、勝手に僕の責任を負担して欲しくもない】
 単なる戯れの言葉と言うのなら、何を馬鹿な事をと笑って聞き流せるだろう。だが、こんな風に、真面目に言われてはそうも出来ない。僕は、そんな事は思わないのだと、はっきりと伝える必要があるだろう。
 そう思い言葉を文字に記しながら、やはり僕達の間には、こんな風な言葉が足りなかったのではないかと思う。僕は、直ぐに面倒だと投げ遣りになる癖がある。それと同じように、筑波直純はどこか一歩引いている感がある。それは彼の性格からなのか生い立ちからなのかはわからないが、自信がないと言うものと似た面なのだろう。そんな僕達は、話しておくべき感情が伝わりあっていなかったのではないだろうか。
 言葉の無い国で出会っていればと、以前僕はそんな都合のよい事を考えた。だが、実際には僕達は、共通の言葉がある。幸いにも、僕は声が出ないが、それを伝え合える手段がある。
 確かに、言葉にせずに伝えられる思いもあるだろう。それは、悪くはない事なのだろう。だが、僕達には似合わないのではないだろうか。僕達のような少し不器用な人間は、もっと話し合うべきなのではないだろうか。
 たとえ、わかってくれていると、知ってくれていると感じていても、言葉に表せばいいのだ。心の声は、表現をすると変わってしまうのは確かだろう。だが、言葉へと姿を変える事により、また新しい感情が生まれるのも確かではないのか。
【僕は、あなたと可能な限り並んで歩きたいと思う。だが、道は同じじゃない。僕は自分で決めて、あなたが立つ道の隣をその都度選ぶのだと思う。何かがあって道は離れたとしても、また僕はあなたがいる方に進路を変えようとするのかもしれないし、あなたにこちらに来いと呼ぶのかもしれない。でもそれは、僕の人生であって、あなたの人生じゃない。並んで歩いても、重なる事はないんだ。僕はあなたの道に足を踏み入れはしないだろう。それは、誰にも出来ない事だろう。あなたは、あなただけの道を歩いている。僕を背負い込むなど出来はしないし、そう感じても意味がない。それならば、隣に僕がいる事を認めて欲しい。僕はこんな道を僕が選んで歩いているのだと知っていて欲しい】
「保志…」
【佐久間さんが、あなたに言った言葉は正しいかどうかはわからないが、言いたい事はわかる。彼は別に、僕を制してみろと言いたかったんじゃない。それは単なる冗談だろう。本当に言いたかったのは、あなたはもっと自分に自信を持つべきだという事なのではないか。僕は、そう思う。そして、僕も、あなたはそうするべきだと思う。僕のように、傲慢になれとまでは言わないが、臆病すぎる】
 僕とて、他人の事が言えるような出来た人間ではない。全てを知って生きている訳ではないので、自信を持てる事などあまりない。臆病ではないだろうが、逃げてばかりの時もある。だがそれでも、男のように自分のランクを下げるような扱いを自分自身に対してはしていないつもりだ。わからない事は沢山あり、似たような事をする時もあるが、彼のように自分を蔑む事はあまりない。
 だからこそ、今まで僕は気付かなかったのだろう。筑波直純が常に意識し続けているのが、自分自身の事だと言う事に。佐久間さんはこの男の事を純粋だと言っていた。四谷クロウは真面目だと言っていた。それは僕もわかっていたが、実際はだからどうなのかと深くまで考えはしなかった。
 背負う必要など全くない僕の人生を、自分の肩に乗せるのが当然だという発想に気付きもしなかったのは、価値観の違いからか。それとも、それだけしか彼の事を見ていなかったからか。
 こうして見る筑波直純は、確かに純粋で、真面目で、どうしようもないくらいに愛しい者だった。経験から駆引きをしていたとしても、自分自身の心では未だにそれが出来ない、子供のような存在だ。すっかり騙されていたのかもしれない。いや、僕が勝手に誤解していただけなのだろう。参ったと言うしかない。
【僕があなたを好きだという気持ちを、そう軽く見ないで欲しい。僕にとって自分がそんな存在なのだと、もっと自覚して欲しい】
 僕が偉そうに言う事ではないだろうと思いながらも、男の弱さを茶化すように僕は笑ってやる。
「……そんな事を言っていいのか。俺は、いい加減な男かもしれないぞ。自惚れて、何をするかわからないぞ」
【出来るものなら、自惚れてみればいい。あなたにはそれが丁度いいくらいなのかもしれない。いい加減な人間になってみればいい。僕の事など気にせず気紛れにその道を行けばいい。僕は僕で、あなたに自分を気付かせようと、勝手にその隣に並ぶ】
 寄り添って歩こうとは言わない。僕が先を行く事もあれば、男が先を行く事もあるだろう。だが、背中を追いかけるのも、少し休んで待ってみようかと立ち止まるのも、それはそれでいい事ではないだろうか。並んでいたら、二人同時に転ぶかもしれない。一緒に座り込む事もいいだろうが、時には笑ってやり、時には頬を膨らませるのも楽しいだろう。それを一人でするはめになって空しいと感じたら、隣の道を歩くその姿を探せば言いだけの事だ。
 もっと楽に考えればいいのだと、眉間に皺を寄せる男を僕は笑う。
 そんな風に生きてこなかったから出来ないと言われればそれまでだが、変われないと決まっている訳ではないだろう。
 先程、男は僕を大人になったと言っていたが、僕自身は自分が子供に戻ったような気がしてならない。だが、それを不快には思わない。むしろ、丁度良いのではないかと思う。子供のように貪欲に、素直に、周りのものを吸収し成長していけるのならば、僕はそれをこの男と共にしていきたいと思う。今までの人生を捨てるわけではなく、間違ったものの訂正でもなく、新たに成長するのだ。自分がどんな人間であり、どんな人間になれるのか。筑波直純の傍でそれを追及するのも悪くはない。
 僕は男からどんな影響を与えられ、男にどんな影響を与えるのだろうか。いつまでこの道が隣り合っているのかはわからないし、その影響がいい事ばかりではないだろうというのもわかるが、今は関係ない。それこそ、何かが起こった時に対処すればいいのだ。それまでは、気にかける事もない。
 子供のように、無条件に守ってくれる親がいる訳ではないが、僕達は自分自身で身を守れる程度には大人だろう。足りないところを補い合うほど出来た人間ではないだろうが、二人揃って途方にくれるのも、そう悪い事ではないと思う。
 こんな考えは楽天的だとしか言えないのだろう。だが、はじまる前から色々考える男には、丁度いいのではないか。こんな、僕は。
【難しく考える事はない。僕は今、あなたと離れたくはないし、放したくもない。その僕の思いを、あなたが受け入れるか、それとも蹴り飛ばすかだ】
 僕のその言葉に眉を寄せたまま、男は長い溜息を吐いた。
「お前、俺の言葉を良く聞いているのか?」
 何の事だと首を傾げた僕に、再び彼は息を吐く。
「俺は、一緒にいて欲しいと、ずっと言っている。選ぶも何もないだろう。返事をするのはお前の方だ」
 確かに迷いは全て消えたわけじゃないが、お前への想いは変わらない。
 そう言いながら少し呆れた表情をする筑波直純に、今度は僕が眉を寄せる。あなたの言葉が不適切だから、僕は話しているのだ。首を振った理由を言い、今度は僕が訊いたのだ。だから。やはり、この場合は、あなたが答えるべきなのではないかと顎をしゃくる。
 そんな僕に、男は喉を鳴らして笑った。
「俺が答えていいのなら、お前が嫌だと言っても決めてやるぞ。それで良いのか、本当に。俺は何度だって、お前と居たいというさ。いい加減な男になって、お前が選んだ道だろうと、自分に縛り付けてやるさ。惚れられている事に自惚れて、一生離しはしないぞ」
 無茶苦茶だ。
 らしくはない言葉を言う男に、僕は肩を竦めて笑う。
「俺に答えを迫った事を、後悔させてやる」
 自ら笑いながら言った男のその言葉は、負けん気の強い子供のような色をしていて、けれども瞳は包容力のある父親のようでもあり、可笑しさよりも愛しさが込み上げた。後悔してしまうくらいに振り回されてみたいものだと、多分今までのように僕が男を振り回す事が多いのだろう予想をしながらも、そんな事を思う。
【楽しみにしています】
「嘘をつけ。嫌だと顔に書いてあるぞ」
 お前は、佐久間の言うとおり、自分の足で好きなようにスタスタと歩いていく奴だ。俺は精々放っていかれないように頑張るさ。手綱を引いたところで、噛み切られそうだからな。
 言った側から自信のない発言をする男は、けれども半分以上は冗談だと目が笑っていた。
 それでいい。
 こんな風に、不安を抱えながらでも笑い合えればいいのだ。一人で悩むよりも、きっとそれは軽くなる。

 人は一人では生きられない。
 確かにそれは間違いだ。一人でも、人間は生きていける。だが、だからこそ、誰かを探すのではないだろうか。一緒に生きていける相手を求めるのではないだろうか。
 一人で生きていくのは、とても簡単な事だろう。それなのに、あえて誰かを探すのは、共存と言う難しい道を選ぶのは、それだけの意味がそこにあるからだ。何度別れを経験しようとまた相手を見つけようとするのは、一緒にいようと努力するのは、それが決して楽な事ではないからだろう。簡単な事に、人はそう興味を示さない。
 達成感を得られるまでは途方もない時間が必要であっても、チャレンジするだけのメリットがあるからこそ、面倒なそれに向かうのだ。
 やってみようじゃないか。
 この男と、行けるところまで行ってみようじゃないか。喧嘩もするだろう、危険もあるだろう。だが、それでも、悪くはない。チャレンジする価値はある。
 それを、目の前の温もりが、間違ってはいないと示している。
 筑波直純の笑顔が、確信を与える。
 僕は、いつだったか、そう望んだ時のように。
 その笑顔に、笑顔を返す。


 南を向く窓から西日が差し込み、部屋を赤く染め上げた。
 抱きしめた体の温もりを味わいながら、そのオレンジ色の光に目を染める。
 ここが、この場所が、僕の住む世界だ。
 他の国は、必要ない。

END

2003/11/30
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