□ bittersweet

 大和が今日はバレンタインなのだと気付いたのは、一コマが終わった休憩時間の時だった。小教室の隅でボンヤリしているところに向かってきたのが、小さなチョコレートの襲撃だ。この場合、何事かと聞くのは当然であろう。
「だから何だよ!?」
 自分の頭に当たっては机や床に転がるカラフルな物体を見やりながら、鬱陶しげに大和は自分を囲むようにして立つ友人面々を押し退けた。
「何って、今日はバレンタインだろう」
「ハア?」
「千束、チョコ嫌いなの?」
 隣りの席に鞄を置いた名倉が、下に落ちたそれらを拾い大和の前に並べる。丸や四角やハートの形をしたそれは、チョコレートらしい。今日は14日かと、遅ればせながらに理解する。
 だが、だからって。何故にこうなる…?
「別にチョコは嫌いじゃないけどさ、こいつらに貰ってもなぁ」
「確かにね。でも、美味しいよ」
「っで。どうしたんだよ、これ?」
 友人達の間をまわるチョコが詰まった大きなボックスに拾われたものを戻しながら、誰が誰に貰ったのだろうかと大和は尋ねた。だが、返ってきた答えに、箱の中身のような甘い内容は一欠けらもなかった。
「クレーンゲームでとったんだよ、スゴくない?」
「……それはまた、淋しいバレンタインだな」
 戻した途端に箱ごとドデンと目の前に供えられ、観念して大和はチョコを頂戴しながら、空しいなと誇らしげに言う友人を野次ってやる。実際には、友人達にチョコを貰う予定が入っている事を知っているので、これはちょっとした冗談だ。軽口に過ぎない。
 だが。予想外にも返って来た言葉は、少し本気が伺える類いの詰りだった。
「お前は、淋しいじゃなく、厳しいねぇ。きっつー」
「自分はモテるからって、酷いな千束。友達苛めるんじゃないよ」
 こいつら、振られでもしたのか? そう思いはしたが、聞くのは何なので相手にはせず、とりあえず自分の否定だけをしておく。
「別にモテないよ。チョコを貰う予定は全然ないし」
 肩を竦め苦笑を落とすと、何故か「お前、まだ彼女居ないのかよ?」と友人達は驚いた。そんな彼らを大和は適当に相手しながら、貰う予定はないが贈る予定はいれた方が良いのだろうかとふと考えてみる。
 しかし。今日中に彼に渡せるとは限らないし、俺はそんなキャラでもないし、何よりこの日にチョコを買うのも恥ずかしい。
 講義が始まり、騒いでいた友人達が静かになったのを気に、大和はまたボンヤリととりとめのない事を考える。イベント前に恋人に振られるのと、その前に恋を始めるのと。一体、どちらの方が性質が悪い事になるのか。答えがあるのかどうかさえわからない、意味のない考えを膨らませては萎ませる。

 最近、水木を意識し始めてからは、物思いに耽ってばかりだ。

  +++

 友人達とのやり取りは何だったのか。昼休憩以降の大和は、バレンタインという騒がしいイベントに振り回される事になった。同期生やサークルの仲間に会う度、義理チョコを贈られたのだ。彼女達はただ楽しいイベントに参加しているだけであり、それ以上の意味はないのだろうものを断固として辞退するのも何なのでお礼ひとつで貰いはしたが、バイト先ではそう言う訳にはいかない。夕方から入った喫茶店の仕事中も、馴染みから覚えのない客にまで、プレゼントを貰った。これには流石に、参った。店からは、とりあえず中身を聞いてから笑顔で受けとれと、高価な物の場合は報告に来いとの指示であったのだが、例え安価な物でも数が数だけに戸惑わずにいる事も難しい。
 大学の面々と同様にただの義理だとしとも、バイト先の客でしかない彼女達からそれ受ける謂れがない。なさすぎる。知人相手ならばチョコレートひとつで気を使う必要はないが、この場合はどこまで行っても客なのだ。割り切れないものが確かにある。
 何よりも。自分の想いが水木に向かっているのを自覚し始めた大和としては、他人の好意は少し…というか、かなり手に余るものだった。罪悪感とまではいかないが、ここに何らかの意味があるものがあったならば悪いなと。どうしようか、面倒だぞと考えだせば、貰ったものも厄介でしかなくなる。
「イベントだから、気にするなよ。贈る方も、渡す事を楽しむんだからさ。チョコはチョコ、有り難く食べな」
 ただし、手作りのものは悪いと思っても食うな。処分するんだぞと元ホストのオーナーは簡単に言ったが、そんな本命チョコがあるのかないのかも、わかりはしない。雑に扱って良いのか、悪いのか。これはちょっと自分には重いぞと、集まったチョコを眺めるたび頭の芯が痛くなる。やはり、こうした事を割り切れない俺は、この職には向いていないようだとまで考えてしまう。
 だが。
 こんな事でここまで考え込んでしまうのは、性格も確かにあるのだろうが。自分が今恋をしているからかもしれないと思うと、地の果てまで沈み逃げ込みたくもなってしまう。
 照れるだとか、恥ずかしいだとかではなく。

 誰かを好きになると、人は自分勝手に拍車がかかるようで。
 この状況では、なんだかそれが罪に思えてしまう。

  +++

「沢山貰いましたね」
「…一年に一度のお祭りですから」
 疲れ切った大和には、若林の言葉が少し嫌味に聞こえたが、それでもこの人に当たってもと苦笑を溢してどうにか流す。水木が帰って来ると思っていた訳でもないのだから、若林の訪問をがっかりするのは間違いだ。八つ当たりは、いけない。
 チョコが詰まった袋を何となく視界から消すように大和が床に置くと、それを気にする事無く若林は空いたテーブルの上に手にしていた荷物を置いた。
「預かりものをお届にきたのですが、まだ千束さんのキャパは空いていますか?」
「ハイ?」
 大和が小首を傾げると、「こちらが水木からです」と、真っ黒な小さな手提げの紙袋を示した。
「そして、隆雅さんと、戸川からも」
「…戸川さんが、俺に?」
「ええ。都合が悪ければ戻しますが?」
 若林のその言葉を慌てて否定し、ありがとうございますと大和は礼を伝えた。今ここでブータレても意味がない。忙しいのだろうに自分への遣いをさせられてしまっている若林への申し訳なさが、ただ増えるだけだ。
「なんか…ホント、いつも済みません……」
 謝る大和に若林は気になさらないで下さいと、自分にとっても息抜きになりますからと答え、二、三の質問をすると直ぐに帰って行った。
 ひとりになったリビングで、やはり今夜も水木は帰らないのだなと、ジワジワと実感が増してくる。帰ってくるのであれば、あの男の事だ。贈り物は自分で直接渡すだろう。若林が来たのは、つまりはそういう事でしかなく、大和の体からは一気に力が抜けた。
 ローテーブルに並ぶ三つのプレゼントを眺めながら、ソファに倒れ込む。明日も一コマ目から講義はあるし、後期試験も近いし、休める時に休まないとなと思うが、体はなかなか動かない。
 15センチ四方の黒い袋には、銀色でチョコレート専門店の名が記されている。確か、ドイツだかベルギーだかイタリアだか忘れたが、ヨーロッパの有名店だ。
「……」
 チョコではなく。これを自分に贈るその本人に会いたいと、帰って来いよと思うのは、乙女すぎる発想なのだろうか。せめて、お礼のひと言だけでも良いから話がしたいと、そういう繋がりが欲しいと願うのは、贅沢すぎるというものなのだろうか。
 チョコレートよりも、携帯ナンバーが欲しい。メルアドでもいい。
 しかし実際にはそれを得たとしても、自分は使えないんだろうなと思いながら大和は体を起こし、テーブルに手を伸ばした。
 最初に開けたリュウの箱には、車型のチョコが入っていた。それが手作りであるのに気付くと同時に、オーナーの言葉を思い出したが、この場合あれは適用せずとも良いだろう。続いて開けた戸川の贈り物は、春物のジャケットだった。
 そして、水木のそれは外袋から想像した通りの高級そうなチョコレートと――鍵だった。
「……意味わかンねぇー」
 思わずぼやく。無造作に袋の底に入っているのが、何とも微妙だ。
 何かの拍子に入ったのかと、大和は一瞬その可能性を考えたが、果たしてそんなマヌケを一体誰がするだろうかと打ち消す。届けてくれた若林は、まずしないミスだ。だが、素直にこれは自分に贈られたものだとは、悪いがちょっと思いたくはない。
 どこからどう見ても車の鍵でしかないそれを手に、大和は小さく溜息を吐いた。まさか、車が……と考えかけ、楽しくはない発想にピリオドを打つ。
 騒ぐのは、本人に確かめた後で良い。見知ったロゴマークも無視だ、無視。偶然紛れ込んだ落し物とでも思っておこう。
 大和は鍵をテーブルに置き、変わりにチョコレートを摘んだ。口に入れたそれは、苦味が強いが、とても美味しいもので。現金にも元気を貰ったような気分になり、少し心が柔らかくなる。
 馬鹿みたいだけれど。苦いチョコがこんなにも優しく甘く感じられるのは、好きな者からの贈り物だからだろう。

 せめて、水木が帰って来るまでは、礼を口にするまでは。
 この甘さがそれまで続けば良いと、そう思う。

 そうすれば、素直に想いを打ち明けられるのに。


END
2006/02/14