□ Full Moon

 年始の用意で人が溢れかえるデパートの片隅で、幸運なのか何なのか、今年最後になるだろう益を手に入れた。
 正月に必要な諸々の買い物と、予約していた御節の購入で、福引券を10枚も貰い。運良く、参加待ちの列が幾人か程度だったので、時間はかからないからとチャレンジしたのだが。たぶん最終日という事で、商品が余っていたのだろう。二等であった、三段重箱御節を二個も獲得してしまったのだ。残りのクジも、参加賞だけではなく日用品などをいくつか取り、驚異の当選率をはじき出した。
 クジを引いた父と母の強運ばかりではないだろう、イベントの裏側を感じさせるそれで得た品々は、ひとつであったならば、ツイていたと軽く笑って終わりだが。こうもなると、逆に不気味だ。何より、買い物を済ませ、既に父と僕の両手が塞がっている状態での追加品は、厄介でさえあった。
 帰った家で、御節が三個ならぶダイニングテーブルを見て溜息を吐いた父は、僕に処理を頼んできた。家族は購入した分で充分だから当然だろう。だが、福引で当たったのも、有名な料亭だか何だかのものなのだ。近所でも知り合いでも、誰でも喜んで貰ってくれるだろうと、父に心当たりを探らせる。その結果、悪いという相手を押し切るかたちで、なんとかひとつ捌けた。だが、もうひとつの行き先が決まらない。
 いくつか電話をかけ面倒になった父が「友達のところへでも持って行って、年越しもしてこい」と、半強制的に僕の手に押し付けてきた。元旦である明日は「雑煮は正午に食い始めるからな、遅れず帰って来い」と、十数時間の実家不在許可をオマケにつけてくれる。
 なので。
 あと数時間もすれば日も年も変わる時刻に、僕は右手に重箱と、左手に一升瓶を二本と、背中に楽器を背負って。以前住んでいたアパートの近くの公園へと足を踏み入れた。
 ここは実家からも今の職場からも離れているので、最近は時たまにしか来ていないのだが。大阪在住時のブランクも含めてみれば、こことの付き合いもかなり長く、そろそろ両手では足りなくなるくらいだ。
 勝手知ったるなんとやらと言うように、少し奥まった場所へ行くと、顔見知りが数人集まっていた。小さな火で暖をとっている彼らの表情は暗がりでは分かりにくいが、辿り着く前に掛けられる声に、相変わらずのようだと知る。
 年末年始ともなれば、都や支援団体や何やらで年越し用の場所が用意されるが、彼らは利用しなかったらしい。だが、個々の空間に入らず、寒さの中でも外で集まっているのだから、一応思うところはある夜なのだろう。
 久しぶりだなとの声に応える前に、重すぎる差し入れを渡す。ここに持ってきたのは正解だったようで、子供のように感嘆の声を上げた後、それぞれが残る仲間を呼びにテントへ向かった。
 数分もすれば、まるで花見の席のような宴会が始まる。景品の御節は四人家族用で、肴以上になりはしないなと思われたが。やはりひと時だけでも屋根がある場所でと思う者も居たようで、集まったのは七人だけだ。充分に足りるなと、僕も少し摘む。
 寒さのなか、熱い酒を片手に摘んだそれは冷たいが旨かった。高級な品の良さからの美味さではなく、ただ食としての旨さだ。もったいない話かもしれないが、上質さまで味わえるほどの環境ではない。
 衛生的とは決して言えないだろうグラスに残った酒を飲み干し、立ち上がる。サックスを手にすると、直ぐにリクエストがかかった。住宅地も近くにあるので、大晦日とはいえこんな時刻に演奏をしては警官が来るかもしれないが。来た時は来た時だ。今夜ならば、少しくらいは見逃してくれるだろう。
 演奏を始めた時は悴んでいた指だが、曲を重ねるごとに解きほぐれ、少しと思っていたのが長くなっていき。アルコールのおかげもあって体も温まり、調子に乗り吹き続けていた僕は。
 ふと、何かを感じ、何気なく視線を向けると。
 筑波直純が近づいてきていた。
 だが。
 ああ、来たのかと。そう思ったのは一瞬で。一人ではないことに気づき、僕はマウスピースを離す。認めたそれに意識は置きたくはないと視線を戻したが、その先の面々も、近づく二人を注視していて。
 こういう場所で生きている彼らに備わる嗅覚が、相手の正体を違えず捉えたのだろう。誰も動かない。
 一気に緊張を含んだ乾いた空気を感じていないのか。空気さえ蹴散らすように進んできた男が、けれども悠然とした仕草で足を止め、通る声で僕に呼びかけた。
「年越しをこんな奴らと過ごすとは。酔狂だな保志翔」
 上質なのだろうコートを腕は通さず肩だけで着ている湊正道が、片足に体重をかけて立ち、腕を組み、少し顎を上げて見下ろすように僕を見る。
「ならば、いっそ。お前もここに住むか? いつでも落としてやるぞ?」
 お前ごとき小さき人間のすべてを奪うなど一瞬の事だ、と。そう言うように、目が、声が、態度が語る。その一歩後ろで、無表情で筑波直純が控える。
 何だろうな、この状況。
 僕の訪問は急に決まったことだ。筑波直純も知らない。なのに何故、ここに居るのか。
 湊正道が、探すとは思えない。だが、常に僕を監視させるくらいの事はしているかもしれない。
 それが、これか?
 バカらしい。
「相変わらず、可愛くないな」
 鼻で小さく笑い、予告もなく男は静かに素早く動き、僕との距離をゼロにした。
 踏み込むように、前というよりも横に近い位置に立った湊正道が、わずかに首を傾げ僕の耳に囁く。
「お前の来年は、どうなるんだろうなァ?」
 どうしてやろうかと、入り込んだ低い声が僕の脳を揺さぶる。
「今のうちに楽しんでおけ」
 足を引いた男が、今度は手を伸ばし。お年玉だと、サックスのキーに札を挟んだ。
 楽しげに笑いを落とし、踵を返すと。頭を下げる筑波直純の肩をすれ違いざまに一度叩き、ひとり公園を後にする。
「保志」
 その後ろ姿を見送り短い電話を掛けてから傍に寄ってきた筑波直純に、何枚なのか数えるのも嫌な万札を渡す。
 少し眉を寄せたその表情に、何をしにきたのか分からない、案外暇な男を忘れてやる。
 自らの財布を開き幾枚かを加え、迷惑料だと黙ったままの男達に渡すと、筑波は一度僕を振り向き見て、躊躇いも見せずその席に加わった。まだ、日付が変わるにはいくらかあるのを確認し、僕は演奏を再開する。
 湊正道はともかく。筑波直純ならば、何度か来ているので彼らも大丈夫なのだろう。だが。今まで意識していなかっただろうそれが、ひとりの気紛れで変わってしまったのかもしれない。どこかにまだ、先程の緊迫が残っている気がする。
 だが、それでも。
 僕の中には、確かに。今夜の筑波直純との接触を喜んでいる部分があるのだ。
 現金なことにも。
 父に外出を向けられた時、最初に浮かんだのは、この男の都合がつくかどうかということだ。御節など筑波直純は必要としないだろうとわかりつつ、考えたのだ、僕は。だが、毎年の様子からするとどれだけ考えても無理だと、そう却下するしかなかく、ここへと足を向けた。
 なのに、直ぐそこに居る。多少の不満は飲めるくらいに、消化してしまうくらいに、僕はその存在に喜んでいる。
 湊正道が言うように、いつまでこの関係が続くのかは分からない。あの男が邪魔をしなくても、終わりは来るのだろう。いつか。
 だが、そのいつかの前に。
 僕はこうして、その時になって振り返れば、かけがえのないものとなっているのだろうものを得ているのだ。今はそれでいいと思う。充分ではなくとも、これでいいのだ。
 初めて筑波直純と年を越した時。あの、海のように深い青のベッドに沈み、溺れた時。僕は、一年後どころか、数ヵ月後の未来さえ見てはいなかった。その先などに、意識を向けていなかった。けれど、今は違う。
 この男は、この男なりに。色んなことを考え予測し、覚悟もしているのだろう。僕以上に全てを重要視し、向き合っているのだろう。そんな筑波直純が、今ここに居る。それ以上のことを、僕は必要としていない。
 寒い中、ホームレスと席をともにして、安い酒に口を付けている男に満足し。
 僕は空に、都会の夜空に浮かぶ満月を見る。

 もうすぐこの年が終り。
 変わるかもしれない、新しい年が来たとしても。
 今、僕の前に居る筑波直純は、僕の中で生き続ける。
 時は過ぎ去っても、無くなりはしない。

 これから欠けていこうとも。
 月はいつでも丸いように。


END
2009/12/31