□ ハロウィン

「とりゅっく、おあぁ、とりいとー!」
 元気いっぱいの謎の呪文と共に現れたのは、白いオバケけだ。
 もとい。
 スモックにフードがついたような、ひらひらの衣装を着たリュウだ。
「可愛いゴーストだなぁ」
「ヤマトくん! とりゅっくおあぁ、とりいと!」
「Trick or treat、だろ?」
「とりいく?」
「トリック」
「とるっく?」
 上手く言えないのがわかっているのだろう。俺の後に続いて復唱しようとするが、なんか違うぞ?と自分自身で言いながら首を傾げるリュウの姿に、オレの胸がドキュン!だ。なんて生き物だよ、可愛すぎる。
「トリック・オア・トリートだよ、リュウくん。お菓子をくれないとイタズラするぞ!だよな?」
 回らない舌でぶつぶつ言っているオバケに、俺は言うと同時に手を伸ばし、身体をくすぐってやる。
「きゃあぁ〜!」
 お菓子が目的で来たオバケくんは、やり返される予定などしていなかったらしく。奇声なのか歓声なのか、高い声を上げながらパタパタと走り出した。
「あ、ちょ、危ないから!」
 膝下まである、オバケ衣装はともかく。
 いつも履いているのだろうが、足には恐竜のスリッパだ。恐竜の足型ではなくトリケラトプス型のもので、短いながらもちゃんと後ろには尻尾がついており、前は勿論デフォルメされた大きな顔がついている。
 顔を隠せるほどのフードを被り、手にはカボチャのカバン。
 広い部屋だが、モノはある。転んだら大変だと、予想以上にいい反応を見せてくれた子供を捕まえようと俺は慌てて後を追いかける。
 だが、イタズラされちゃうよとオバケくんは楽しげに逃げるので。ついつい、俺も遊んでしまい。
 きゃっきゃ、きゃっきゃと、どんどんテンションが高くなり叫びだすリュウに、俺がついていけなくなるまでにはそう時間はかからなかった。家具などを気にしつつ部屋の中を中腰で追いかけるのは、なかなかに疲れる。
「ま、待って…ギブアップ!」
 子供はなんて元気なんだろう…。
 ソファに座り込んで休んだ俺のところに、オバケくんが自ら飛び込んできた。
「とりゅくおあぁとりいと!」
「……ごめん、俺、お菓子も何も持ってないんだ」
「ないの?」
 きょとんとした顔を見た瞬間、心底申し訳ない気分になった。
 突然の訪問だったとはいえ、なんて俺は気が利かないのだろう。今日がハロウィンであるのは知っていたのに。
 仕方がない、甘んじてイタズラされるか、と。後悔と反省で、そう覚悟した俺の前に、リュウが「はい!」とジャック・オー・ランタンを模したカバンを突き出してくる。
「じゃぁね。ヤマトくんにもあげるー!」
「…誰にもらったんだ?」
 御裾分け宣言をしてくれるのは嬉しいが、貰っていいものか判断するために聞くと。リュウは、色んなお菓子をカバンから取り出しながら、幾人もの名前を素直にあげた。
 が。
 俺としてはもう、阿田木さんはともかく、若林さんの名前が出た時点で、謹んで辞退するのが決定だ。別に、分け与えられたからといって、何があるってわけでもないんだけど。気分的に、リュウを溺愛している面々の邪魔はしないでおこうというか、首を突っ込まないのが無難であると思うので。特に、若林さんに関しては、付き合いがあるぶん不興を買えばやり返される機会も多いので。
 触らぬ神に祟りなし、である。
「でも、それはリュが貰ったものだから俺はいいよ。ありがとうな」
 その気持ちだけで俺は嬉しいよと、誤魔化すのではないけれど、小さな身体を抱き上げ腕を伸ばし高く持ち上げてやる。
 きゃ〜!と喜んだリュウと、そのままじゃれあっていると。
 俺と共に屋敷に来てどこかへ行っていた水木が漸く戻ってきた。その後ろには戸川さんだ。
 水木は騒いでいる俺達二人のところまでやってくると、「仲良く喰え」とケーキの箱を差し出してきた。
「は? オヤツ?」
「うわ〜い! オヤツー!」
 何を持ってきたんだと、帰るんじゃないのかと疑問符を浮かべながらも、反射的に渡されたそれを受け取ると。膝の上でリュウが飛び跳ねるようにして騒いだ。カバンいっぱいのお菓子を持っているのに、飽く事なく嬉しいらしい。
 その子供の頭をクシャリと撫でた水木が、「用が出来た」と、オレを見おろし言う。
「…そう。じゃあ、適当に帰るよ」
 やっぱりなとの嫌味を飲み込み、それでも低くなる声は誤魔化せずに答えれば。
「いい子にしていろ」
「……」
 リュウを撫でていた手が俺へと延び、からかう言葉と共に頬へ温もりを落としてきた。ふくれっ面まではしていないだろうに、それを指摘するかのように頬を突いた指が離れると同時に、水木は背中を見せて部屋を出て行く。
 何が、いい子だ。子供じゃないっての。
「大和さん、私もこれで失礼しますが」
「あ、はい」
「日付が変わる前には戻らせますので、どうぞ楽しんで下さい」
「…え、何をですか?」
 ケーキだ!と、箱を開けようと奮闘しだしたリュウを見つつ、去り際にも関わらず意味深な発言をする戸川さんに顔を向ければ。
「お菓子。貴方は水木にあげていないのでしょう?」
 だったら、今夜はイタズラされちゃいますねぇ、と。
 爽やかであるのに、俺には酷く悪意を持っているように見える、陰湿な発言と笑顔を向けられた。
 それでは、ごゆっくりしていって下さい、と。
 思わずセクハラまがいの発言に固まった俺に満足したのか、それ以上に絡む事はなく、戸川さんはあっさりと出て行ってくれた――のたが。
「ヤマトくん?」
「あ…、ああ、うん、何でもない……開けような」
 無垢な視線を向けられ、若干挙動不審に成りつつ。子供の手では剥がせられなかったシールを取ってやりながら、なんて話を匂わすんだ!と去った男を内心で詰る。
 その手のことでからかわれるのを、俺がものすごく苦手としているのを知っていてなのだから、救いようがない。
 っつーか、セクハラすぎだ。中年オヤジかよ、オイ!
「あ、かぼちゃだ!」
「…ああ、リュウくんが持っているカバンと同じだな」
 開けた箱の中には、お化けカボチャを真似た、大きなシュークリームだ。きちんと目も口もあり、チョコで作った魔女帽子まで乗っている。が。
 俺は、リュウの意識はそのケーキに向かっているというのに。無垢な存在に、何だか居た堪れなさが急激に広がり、爆発して。
 思わず、唸り声を上げつつテーブルに突っ伏してしまう。

 あの人もお菓子で大人しくなればいいのに…。
 お化けなんかよりも余程、戸川さんの方が怖いんだよ…!


END
2010/10/31