□ いつか

 年明け早々、幼馴染みの訃報が届いた。
 年賀状と暑中見舞いのやり取りをするだけであったが、厳しい少年時代を共に過ごした友人の存在は、会うことがなくとも支えであったのだろう。彼の息子からの報せは、私の心に穴をあけた。
 この歳になると、年々友が減っていく。その度に、自分の番を考えるものだ。
 焼香だけでもと頼み、友の息子夫婦宅にお邪魔し、仏壇に参らせてもらった。飾られた遺影は、予想以上に昔の面影を残しているものであって、合わせた手をなかなか下ろせなかった。しかし、長居をする訳にもいかず、早々に暇をつげた。
 沈む私に同調するかのように、いつの間にか空はどんよりと重くなっており、駅へと向かい始めた頃には冷たい雫を落としてきた。暫く歩みを進めたが、強くなる雨足に諦め、道筋にあったマンションの駐輪場で雨宿りを決めた。
 見上げる空は、雨雲で覆われている。だが、きっと晴れであっても、この街の空は明るいものではないのだろう。鼠色のそれの向こうに、私は友と見たあの田舎の高い空を見つめる。
 どこか寂しく感じるこの街で、友は生きてきたのだ。その心の中で、幼少期のあの記憶はどんな風に扱われたいたのだろう。大事にされていたのだろうか、忘れられていたのだろうか。距離は遠く離れていても、会えない訳ではないのに。実行に移さなかったのは、私の怠惰か、友の決意か。
 自転車小屋のトタン屋根で弾ける雨音が、私を思考の渦へと連れ去るように。
 どのくらい思いにふけり、地面で跳ね返った水が足元を濡らせているのも構わず、そこで佇んでいただろうか。
 ハッと気付くと、自転車に乗った青年が駆け込んできたところだった。背の高い、「イマドキ」に若者だ。
 青年は私に気付くと小さく会釈をしたが何も言わずに、軒をつたいマンションへと去って行く。一階の一室に消えるその背中を見送り、そのまま何気なく視線を離さずにいると、直ぐまた青年が外へと出て来た。そして。
 私のところまで戻ってくると、手にしたタオルを差し出しながら、どうかしたのかと問うてくる。
 その行動に驚き少し構えたが、雨宿り中だと私が応えると、青年は傘を用意してくれた。返せるかわからないからと辞退していると、丁度部屋へと戻って来た友人に車を借り受け、駅まで送るとまで言う。当然として、私は何度も断りの言葉を口にしたのだが、青年は強引だが丁寧に私を説得した。
――本気で迷惑なら謝るけれど、ただの遠慮なら我慢して。おじさんの方が大人なんだから、子供のわがままに付き合ってよ。――
 そうまで言われては、その言葉に甘えるしかなかったが。正直、白髪の私に負けず劣らずな銀髪頭で、耳にはジャラジャラ音がしそうなほど飾りをつけた青年とのドライブでは、冷たい雨で悴んだ体の緊張を解くことは出来なかった。
 青年の親切を理解し感謝したのは、電車に乗って一息ついた時だ。駅まで五分の間に交わした会話を反芻し、不甲斐なかった自分に気付き反省したのも帰路中だった。
 後日。私は改めて友が住んだ街に向かい、親切な青年の部屋を訪ねた。平日の昼間では当然留守であったが、もとからそのつもりであったので、感謝の手紙と手土産をドアノブにかけて帰った。
 青年から愛嬌のある手紙が届いたのは、それから三日後の事だった。

 以来、彼とは年に数度の便りのやり取りをしている。届いた葉書はもう十枚を超えた。最近よく、いつまでこの幸福を続けられるのだろうかと私は考える。
 幼馴染みが与えてくれたような、若い友。いつか、彼もまた。返らない便りを不思議に思う頃に、私の妻か娘かから、私の訃報を知らされるのだろう。
 それでも、あの青年ならば。私のように、雨に濡れて動けなくなることはないだろう。
 私はそれを信じて、今日も筆を取る。


END
2008/Autumn