「今日はイヴだ、プレゼント寄越せ」
何度も無視をされ続けていた電話が数日振りに繋がったと同時に、小竹は開口一番言い放った。基本、温厚な性格であると自身把握しているし、周囲の認識も同じであるが。我慢の限界を超えれば、不機嫌な声もひとつやふたつは出るし、八つ当たりもするというものだ。
だが、威圧的に出た効果はなかったようで。
『欲しけりゃサンタにタカれ』
相手が違うと、笑うでも呆れるでもなく、平坦な声が届く。
『もっとも、お前にはサンタクロースなんていう年に一度しか働かない白髪の爺ィよりも、優秀でフットワークの軽い下僕が沢山居るだろう』
「知っているんだろう、教えてくれ」
『――俺を巻き込むな。下僕に頼めよ』
戯言を取り合わず、核心へと切り込めば。通話相手の真中は、今度は心底嫌そうな息を吐いた。
小竹が欲しているのは、ただ、知っているのであろう男の正体を教えてくれといっただけのものだ。人妻を紹介しろと言っている訳ではない。それくらい問題ないはずだ。
偶然知り合った、世話になった青年が気にかかる様子を見せた。礼を兼ねて後日部屋を訪ねれば、既に空き家となっていた。居合わせた管理会社の者が言うには、あろうことか、数ヶ月の滞納の末の夜逃げだという。
真中が言うところの下僕に、その部屋の借主を調べさせれば、小竹が接したのとはまるで違う人物が挙がった。加えて、その契約者は、裏社会でお尋ね者となっており、海外へ逃亡した形跡が残っていたという。実際はどこかに埋められている――なんて可能性もなくはない話だ。
確かに出会った青年は、知人の部屋だと言っていた。そういった問題を抱えている本人には見えなかった。ならば、賃貸者の厄介ごとを知らなかったのかもしれない。
だったら、もしかして。彼もそれに巻き込まれて、どうにかなっているのではないだろうか。プライドが高く、手や足が速い彼ならば、無茶をしていたところで不思議ではない。
それでなくとも、病気を抱えているというのに…と。そんな状況を聞けば気にしないわけにはいかず、小竹は更に調べさせた。
だが。
職場だと思った弁護士事務所にも、該当者の在籍はなく、あの夜出会った佐藤という青年の行方は掴めなかった。
何より。
当初はそうでもなかったのに、深く調べ始めた頃からお目付け役の男が難色を示し、手を引くようにと諭してくるようになったのだ。
その男いわく。
貴方にそんな余裕はないはずです――つまり、どこの誰とも知らぬ男の尻を追いかけているうちに寝首をかかれるぞと窘めてきたわけだ。
そうなれば、近い将来は正式に部下となるのだろうが、今はどちらかと言えばまだ、仕えてくれてはいるが指南役である方が強い存在である男の言葉の方が正しく、無理を通したくても通せないのが小竹の立場だった。
故に。それこそ、部外者へと漏らすのも危機を招くとわかりつつ。信頼の置ける相手だからと、小竹は真中に自分が出会った青年の捜索を依頼した。
そして。
「なぜ隠すんだ」
真中から報告が上がる前に、小竹は佐藤に再会した。
仕事中だろうスーツに眼鏡のキメた格好でも、倦怠感を匂わせるほどのオフ姿でもなく。驚くべきことに、女装姿であったが。
人が溢れるパーティー会場で、小竹は幸運にもそんな佐藤に気付き、当然、彼へと詰め寄った。
先日同様、厄介なヤツだとしか判断していない眼であったが、無事な姿に安心した小竹に向かってきたのは。痛烈な攻撃だった。
追いかけてなんとか向かい合い、痛めつけられ、逃げられた。
だが、難色を示すユアン達を説き伏せれず、探し出せないままホテルを出た小竹を、逃げたはずの佐藤が待っていた。
病気は嘘だ、貸し借りは無しだ、今後一切の接触を持つつもりはない。
一方的にそう言い去っていくその青年に小竹が持ったのは、確かな執着だった。
同じパーティーに出ていた真中に、再度、調査の徹底を頼んだ。しかし、何日経とうと進展はみせず、またさせる気も見せない様子に疑惑を覚え。掛ける電話が明らかな拒絶にあった時、真中は佐藤を知っているのだとの確信を持った。知っていて、自分に教えないのだと。
「隠すほどのことじゃないはずだ」
沈黙は、小竹の中にあった予測を真実へと押し上げる。
「佐藤は何処にいる?」
『…なあ、成昭。お前、何を意地になっているんだ』
「意地なんて…」
『だったら、もういいだろう。小さな子供がはじめて見つけた友達に必死になるのならともかく。しつこいぞ』
それこそ、親が子供を怒るように。明確な理由を示さずに、頭ごなしに否定するかのような真中の発言に、小竹は思わず凭れていた壁から背中を起こす。
腹の中が瞬時に熱くなり、無駄に一歩足を踏み出しながら、そこに力を込めた。
『たとえ、アレが女で惚れちまったって言うのでも、だ。お前、そんな事している場合じゃないだろう』
流れから、来るだろうと予感はしていたが。
実際に向けられると、単純に心は反応し、憤りを覚える。
「そんな事って何だ」
『お前の下僕が動かないのは、そう言う事だろう? 厄介になるかもしれないものは抱え込めないってわけじゃないのか?』
「佐藤が厄介だっていうのか」
『アイツじゃなくお前だろう。お前は、ただ気になるだけなのかもしれないが、周囲もそう捉えてくれるとは限らないだろうが。お前が追いかけているというだけで、アイツの価値は急上昇する。わかっているだろう? もし、お前のその行動がアイツをお前の厄介に巻き込んじまったらどうする気だ?」
どこか面倒に、けれど、真剣に。真中が紡いだ言葉が、小竹の中で響く。
だが。
「……それは、これから俺は誰とも知り合っては駄目だということか」
『女だったら囲い込むなりなんなりすればいい話だ、幾らでも出会えよ』
ンな子供の反論みたいなことを言うなと、真中が溜め息を吐いた。お前だってわかっているんだろうと、哀れみさえ混じる声で窘めてくる。
確かに小竹とて、真中の言葉はわかる。今後の己の立場を考えれば、既に火種が起こっている今、気になるからとはいえ騒ぐのは相手の思う壺なのだろう。目立つことはしないのに限る。
そう。行き過ぎた行動をとっているのも、その危険もわかっているのだ。
けれど。
こうして自分だけの思いで動ける「自由」は、これが最後なのかもしれない。
意識はしていなかったが、どこかでそう思っていたのだろう。それを持っているからこそ、手を引くことが出来なくなっている。
『そもそも、いうなればお前、もう既に何度も振られたようなものじゃないか。なくした恋は潔くきれいさっぱり忘れろ』
「誰が恋だ、からかうな」
『なら、さっさとその風邪を治せ。妙な熱を抱えてフニャけているな』
なんなら、問題ない女を紹介してやるという言葉を無視し、小竹はひとつ溜め息を吐く。
真中のそれはわかっていての軽口であるが。熱と言えば、確かにそうなのだろう。
だが。
これの執着する熱源は、佐藤大輔自身へのものよりも、好き勝手に楽しくやっていた少し前の己へのそれのように思えた。
ヤクザになるという感覚は、今なお小竹にはないし。なったところで、自分は変わらないと思っている。
世間の目は厳しくなるだろうが、世間自体が友達であるわけもなく。自分を知る友人知人が、今まで接してきた自分の本質を知っていれば充分だ。ヤクザになったからといって、誰かを手に掛けるわけでも、仕事をせずに他人にたかるわけでもない。根本的に、生きていく上での営みは変わらない。やるべきことをやるだけだ。
そう思うのは幼い頃よりヤクザ者とされる面々に大事に育てられてきた自分だからであり、一般的には受け入れられない考えだというのはわかっている。しかし、少なくとも小竹が今まで生きてきた中では。大きな会社の一族としては、極道の血を引くことで問題が起きたことはなかった。世間では排除されるべき存在は、案外、階級社会では上層に居り、普通に生きている。
故に、恥じた事は一度もない。
故に、数年前までは全く考えたこともなかった話ではあるが、組を継ぐ意志は自らのものだ。祖父に頼まれたわけではない。
「女じゃなく。俺は、アイツに会いたいんだ」
教えてくれ、と。囁くように掠れてしまった声で懇願すると、『もっとよく考えろ』と、やはり真中はNOを示した。
『これ以上馬鹿なことはするなよ』
その比較対象がどれなのか。佐藤を追っている事か、ヤクザになろうとしている事か。年上の幼馴染は問いかける前に通話を切る。
小竹は手の中に携帯電話を握ったまま、窓へと近付き、冷たいガラスに額を押し付けた。
見下ろす薄明るい街で、無数のイルミネーションが瞬いているが。夜の帳を下ろしている空に星はない。そもそも、この方角に一番星が輝くのかどうかも知らない。
小竹は見つけられなかった星を脳裏に描き、瞼を閉じ思う。
輝くそこに軌跡は起きないだろうかと。どうすれば起きるのだろう。
マリアになど会わなくてもいい。そんな大層なものは望んでいない。ただ、この街に確かにいる、神でもなんでもないただの青年に、再び会いたいと思っているだけだ。
それだけなのに、いつの間にかそんなことすら、自分は出来なくなっている。
ひとりの青年への興味が、己の立場を突きつけ、気付きたくない事まで気付かせる。
「……でも、俺は。どちらもやめる気はないからな」
彼を追う事も、決めた未来へ進むことも。
先程まで話していた相手に向けての宣言を口にし、小竹は手の中の携帯をパタンの閉じる。
この熱が、例え己の稚拙故のわがままでも、まだ形にならぬ男相手の恋でも、なんだっていいのだ。それこそ、何の意味も持たないものだとしても構わないし、逆に、周囲が危惧するようなことへと発展したとて仕方がない。
重要なのは、いま、この瞬間に。確かに飢えている己を、どうにかしたいだけだ。
我慢は、これからの先、いくらでもしないといけないだろうから。
せめて、今は。
今は、ブレーキを踏むつもりはない。
END
2010/12/24