大学としては、今年の講義は27日までとしているのだが、学生に喧嘩を売ってまでクリスマス以降に授業をする教授はあまり居ない。よって、祝日に行われた忘年会兼クリスマス会の同期達とのコンパは、「良い新年を!」の言葉で締め括られた。地方から来ている者達は、クリスマスが終われば帰郷するらしい。
正月は実家だとの彼らのそれに、俺もどうしようかと感化され少し考えたが、年明けにちょっと電話を入れるくらいが無難なところなのだろう。それ以上は、まだ微妙だ。けれど、来年こそは良い方向に持っていけたらいいなと心から思う。
会がお開きになった時はもう既に終電が終わっていたので、女の子と酔っ払いと化した馬鹿を、比較的素面な者達で手分けをしてタクシーへと押し込んだ。こうして最後まで世話をするはめになる面子は大体決まっており、作業が終わる頃には妙な連帯感を持つのはいつもの事で。飲み直そうかとの声が上がったのも、自然な流れの中でだった。
だが、まさか貫徹になるとは。
忘年会まで世話役にさせられた欝憤があったのか、カラオケに続いて何故かボーリングに行き、馬鹿みたいに騒いだ。その後は、誰かが言い出した話の真相を確かめるべく、ネットカフェに行き、またひと騒ぎ。そして、そのままコメディ映画を一本見てはしゃぎ、コンビニへ。駐車場で座り込み、缶コーヒーを片手に語り合ったのは、春休みの旅行の計画だ。何処へ行こうかだなんて、夜明け前の寒さの中で敢えてする話でもないのに、おかしな事に盛り上がった。そんなこんなで漸く解散したのは電車が走り始めた頃で、マンションに辿り着いた時は、既に六時をまわっていた。
電車の振動に身を任せた時から思い出したように湧き上がってきた睡魔。眠い、このままでは死にそうだ。とにかく、寝たい。眠らせてくれと、頭の中で無意味に誰かに訴え懇願しながら、それでも根性でシャワーを浴びる。そんな自分を凄いぞと自賛しつつ漸く潜り込んだベッドは、毛穴が縮むくらい冷たかったが、ホッとした。
枕に頭を乗せた時には、もう俺の意識は無くなっていたのだろう。
何やら物音がする、ウルサイと唸った時には、カーテンを閉め忘れていた寝室の中は冬の日差しに照らされていた。今は何時だと、枕元に置いていた携帯電話で時刻を確認すると、正午にはまだ少し幾分か余裕がある時間であった。
「…………」
こんな時間に、一体誰が来ているのか。部屋主の水木や彼の同僚の戸川さんや若林さんならば、気配なんて感じさせる真似はせず、俺を寝かしておいてくれるはずだ。居候とは思えないくらいに、彼らは丁寧に俺を扱ってくれる。静かに用を済ませ、静かに出て行くだろう。
では、果たしてガサツな訪問者は一体何者なのだろうか。
ベッドの中で耳を澄ませてみるが、今は何も聞こえない。しかし、確かに人が居るような気配がする。夢現で聞いた騒ぎから、あまり時間は経っていないと思うのだが…どうなのだろう。覚醒前の事なので、言う程も自信はない。
どちらにせよ、このまま考えていてもわからないさと、俺は体を起こした。それなりに睡眠はとれているので、問題はない。それよりも、かなり喉が渇いているので、水だ。水が欲しい。とりあえずキッチンへ行こうと決めベッドを降り数歩進んだところで、出て行ってもいいんだよな?と思い付き首を傾げる。危害を加えられる事はないだろうが、見てはならないものを見てしまったらどうしようかと考えながら、俺は外を窺うようにそっとドアを開けた。だが――。
問題は俺の目の前に用意されていたらしい。
あろう事か、廊下には小人が立っていた。
「…………」
俯いていた赤い服の小人が、俺の視線に気付いたのか顔を上げた。何だ!?と思わず退きかけ、知っている顔だと気付く。なんて事はない、水木の義弟くんだ。
「…あぁ、ビックリした……。なんだ、リュウくんか」
「ちがうよ」
「え…?」
安心したところに返された否定に、俺は子供相手だと言うのに、つい眉を寄せてしまった。だが、それに気付かず、リュウが元気に叫ぶ。
「今日はね、サンタなの!」
「…さん太?」
長男次男三男のサンタを思い浮かべ、そんな名前の小人がいただろうかと考えてしまう。保育園で劇でもするのだろうかと。だが、無垢な瞳に見上げられながら、その姿を眺め悟る。
「あぁ…なるほど。サンタって、サンタクロースの事か」
「そうなのー!」
「あは、良く似合ってるよ。立派なサンタさんだ。それで、サンタのリュウくんはどうしたのかな?」
誰とここへ来たんだいと問い掛けようとした俺に、小さなサンタが両手でしっかりと持っていた箱を差し出してきた。茶筒を短くしたような、円柱の箱の蓋にはクリスマスのシールが貼っている。
「これヤマトくんの!」
「俺にくれるってこと?」
「そう、あげるのー!」
「何かな、開けてもいい?」
「うん!」
目線の高さが合うように膝を折り、可愛いサンタクロースからのプレゼントを受けとる。箱の中には、これまた可愛いクッキーが入っていた。雪だるまにモミの木に、人型に星に三日月に。聖誕祭を連想させる形をしたそれらには、チョコレートで飾り付けがされている。少しバランスが取れていないスノーマンの目玉をみると、これが市販のものではない事がわかった。
「リュウくんが作ってくれたのかな?」
「お母さんといっしょに作ったの」
「そうか、上手だね。素敵なクリスマスプレゼントをありがとう、サンタさん。ちょっと勿体ない気がするけど、ちゃんと食べさせて貰うからね」
そう言い赤い帽子の上から頭を撫でると、リュウは猫のようにゴロゴロと喉を鳴らすのではないかと思うくらいの気持ち良さげな笑顔を見せてくれた。この場合、思わず勢いで抱き上げてしまったのも、仕方がない事だろう。
腕に抱えたサンタは想像以上の笑顔を向け、そのテンションのまま俺の顔の前にクッキーを一枚差し出してきた。
「ハイ!」
「……いただきます」
行儀が悪いと逃げる事は可能なのだろうかと考えかけたが、この状況でこのサンタから逃げられるはずがないと瞬時に悟り、俺は覚悟を決め可愛い雪だるまを口にした。
「おいしい?」
「んー……」
…ごめんよ、リュウ。いま俺の口内は渇ききっていて、クッキーを受け付けられる状態ではないんだよ。本当に悪いけど、飲み込むのもやっとです……。幸い、酒は飲みすぎていないので胃の方は問題なく、吐き気はないが……咳き込みそうだ。
「ヤマトくん?」
「…うん、とっても美味しいよ。ありがとうね」
なんとか吐き出す事も詰まる事なく喉を通過させ、そう答える。だったらもうひとつ食べてと言われたらどうしようかとリュウの笑顔に焦ったが、その前にキッチンに到着した。もう一度心でごめんなと謝りながら、中に入ると俺は早々にリュウを降ろす。とにかく、水だ。水をくれ……。
「おはようございます、千束さん」
「あ、は――ッ!」
返事をしかけた途端喉が騒ぎだし、はいの「い」が、見事せきに変わった。ちょっと待って下さいと、リビングから声を掛けてきた戸川さんに掌を見せる事で断りを入れ、先に水を飲ませてもらう。一気にグラスをあけ一息ついたところで、心配げに見上げてくるサンタの頭を撫でながらリビングを振り返り、俺はまた驚きに息を飲んだ。
大丈夫かと聞いてくる戸川さんの後ろには、ドデンとクリスマスツリーが置かれていた。俺とあまり変わらないくらいの大きさだ。デカい。デカ過ぎる…。
「ヤマトくん、いこう」
「ああ、うん」
唖然とする俺を、リュウが手を引きリビングに連れて行ってくれた。そんな俺達の様子を眺め、戸川さんが笑う。
「…おはようございます。それ、どうしたんですか?」
戸川さんの後ろで、彼の部下である波田氏によって着々と飾りつけられているツリーを指さし、首を傾げる。さすがに、これは水木の趣味には思えないのだが、どうなのだろう。
「クリスマスですからね、これくらいは良いでしょう? 他意はありません」
「はぁ」
何だそれはと、いまいち良くわからない返答に頷きながらも、やはり水木の指示によるものではない事を悟る。水木が命令したのであれば、戸川さんはもっと俺を困らせる事を言いそうだ。からかうチャンスを見過ごす人ではない。
「ヤマトくん、キライなの?キレイなんだよー?」
「嫌いじゃないよ。ただ、大きくてビックリしただけだから」
「なら、スキ?」
「そうだね、うん」
ツリー自体を嫌う理由はない。だが、ちょっとこの大きさは邪魔だ。しかし、それはさすがに言えない。
なので、好きだよとリュウには答える。それが年上の義務だろう。だが、会話を聞いていた戸川さんは少し意地悪く笑った。
「…何ですか?」
リュウが飾り付けの手伝いを始めたのを見ながら、俺は問い掛けてみる。
「別に何でもありませんよ。ただ、本当に仲がよろしいなと思っただけです」
「可愛いですからね、リュウくんは」
「ええ、本当に。実はこのツリーも、彼からのプレゼントですよ」
こんな大きなものを運び入れていたから、騒がしかったのだなと。戸川さんにからかわれるのなら、寝ていた方が良かったかなと。波田氏に抱え上げられ、ツリーの天辺に星のライトをつけるリュウを眺める俺の耳に意外な言葉が入ってきた。
「え…!? リュウくんがコレを?」
「ここにツリーがないのを聞き知りましてね、ヤマトくんが可哀想だからと」
「本当ですか?」
「ええ。自分にはいくつもあるからと、ひとつお裾分けする事にしたようですよ」
……お裾分けって、そんな簡単に言われても…。リュウとて、ツリーは自分で買ったものではなく、与えれれたものだろう。それを、俺のところに持ってくるなんて…。
「いいんですか?それって問題はないんですか?」
「大丈夫ですよ。両親の許可は得ていますし、気になさる事は何もはないですから」
「でも…。さっきクッキーも貰いましたが、俺は何も用意していませんよ。どうしましょう…?」
真剣に真面目に本気で、心から頼って向けた質問には、訊かなければ良かったと思う答えが返った。
「ああ、そうですね。それならば、ほっぺにチュウでもしてあげれば充分ですよ。大丈夫、絶対喜びますから」
「……いや、それは駄目でしょう…」
何て事をいうんだ、この人は…。確かにリュウは、純真無垢な幼児だが。今時の四歳児ならば、多少の損得勘定は備わっており、感謝の抱擁だけでは誤魔化されないのではないだろうか。何より、俺としても手抜き過ぎてしのびない。
「茶化さないで下さいよ」
「これ以上はないくらいのイイ案ですよ、茶化してはいません。水木にしても、それで充分ですよ絶対」
「ハイ…?」
何だって? 水木がどうした…?
「それとも既にもうプレゼントは用意されていますか?」
「……誰に、です?」
「ですから、水木に」
「エッ!? 要るんですか…?」
「クリスマスですよ。普通、あれば嬉しいでしょう?」
頬にキスが駄目なら、そうですねぇ。貴方が選んだものなら何でも喜ぶでしょうから、適当に贈ってやってみて下さい。
戸川さんはそんな爆弾発言を、とても楽しげに笑いながら落とした。だが、俺としては笑えない。その話自体に……何だろう、何というか――ショックを覚える。衝撃が治まらない。
ヤクザがクリスマスだなんて、それこそ普通、誰が考える…?
「……俺が水木さんに、プレゼント…ですか?」
「嫌ですか?」
「……」
…嫌というか、考えた事すらない。驚くばかりで、何がなんだかわからない。
「だって、おかしいでしょう?」
「そうですか? クリスマスは普段世話になっている人へ感謝を表す日でしょう?」
「……そ、そうですね…」
それを言われれば、耳が痛い。だが、外国と違い、日本は恋人色が強くもある。年頃の俺にはちょっと抵抗が…と言うか。些細なものであっても贈ればまた、この戸川文彦に遊ばれるネタになるような……。
「まぁ、無理強いはしませんよ」
「…はぁ」
「それより千束さん、出かけませんか?」
「え、何処へですか?」
「いい時間になってきましたし、お昼にしましょう」
そう言い、戸川さんはリュウにも声を掛け、さっさと動きだす。しかし、俺はと言えば、戸川さんの発言から意識が切り換えられず……。
「ヤマトくん、いかないの?」
「……あぁ、ゴメン。行こうか」
差し出される小さな手を握りながら、俺はこっそりと溜息をついた。
リュウの希望を聞き、昼食はショッピングモールに入るオムライスの店に行った。昨夜の酒は完全に抜けていたので食欲もあり、デザートまで戸川さんにご馳走なった。
昼食後は、クリスマスの人込みの中をうろうろとし、途中に立ち寄ったゲームセンターでサンタにお礼をするべくクレーンゲームと格闘をして、見事ドデカイ猫型ロボットをゲットした。しかし、四歳児には自分よりも大きなぬいぐるみを抱えて歩く事は出来ず、縦だけではなく横にも太いそれは波田氏の世話になる事に。心底悪いなと思いつつも、MIBに捕獲された宇宙人の図のような彼とドラえもんの組み合わせを、俺は密かに笑ってしまった。本当に、重ね重ねスミマセン、だ。
そんなこんなで、気付けば時刻は夕方前になっており、俺は休みの買出しをするからと近くの駅まで送ってもらい、彼らとはそこで別れた。
クリスマスセールで賑うデパートの中を歩きまわりながら考える。戸川さんにハメられたわけではないが、世話になっている事を考えれば確かにいい機会なので、日頃のお礼として水木にプレゼントを渡すのも悪くはないと思う。だが、相手があの男となると、難しい問題も出てくるので簡単にはいかない。ヤクザだというのは抜きにしても、あの外見だ。中途半端な物は贈れはしないだろう。それがかなり厄介だ。
クリスマスだとはいえ、サンタクロースが貧乏学生にお金をくれるわけではないので、何万もするようなものは俺には買えない。だが、だからといって、学生が仲間内で交換し合うような物は絶対にやれない。安いアイテムでは、水木にとっては隙になりかねないだろう。使わないのならそれでもいいが、意外に律義な男だ。何度かは試すのかもしれない事を思えば、俺がそれを作るというのは余り気分の良いものではない。
よって、同じ贈るのならばやはり不可なくそれなりに活用出来うる物にしたいので、仕事に関係するようなものは買わないのが賢明だ。
だったらオフ時に必要なものは何だろうかと考え、無難なところでは煙草かなと思い付く。畏まった物よりも、そのくらいの方が俺としても渡し易い。だが、実際問題として、水木がどの銘柄の煙草を好んでいるのか俺は知らない。戸川さんに訊くのは今更であり、若林さんにも気恥ずかしく尋ね難い。ならば、この案は却下か…。
では、次は――消費率の高さで言えばビールか。これは、絶対無駄にはならないアイテムだ。悪くはない。しかし、いくら他意はないとは言え、クリスマスに贈るものとしては無粋と言えるのだろう。センスを疑われても問題はないが、ダサイ事に変わりない。アルコールを選ぶならば、ワインかシャンパンにすべきだろう。聖夜に拘らないのであっても、精々ウイスキーか日本酒かだ。この場合、ビールはちょっと似合わない。しかし、ウィスキーも日本酒も、好みがあるだろう。加えてそれらの知識を殆ど持ち合わせていない俺には、買えない。21歳の餓鬼には、無理がある。
ならば他に一体何があるだろうか?
…………。
……何もない。
水木に俺が贈れる物などないじゃないかと、難問を投げてきた戸川さんが恨めしくなる。まさか本気で、頬にキスなど出来ないし……クソーッ、全くわからない。いい案が思い付かない…。
これが恋人ならば、アクセサリーでも花束でも、女の子が喜ぶものでいいのだ。実際に彼女の趣味ではなくとも、恋人だったらクリスマスという雰囲気を大事に考えてくれるはず。それと同様に、仲間内でのものならば、自分が欲しいものを買えば間違いない。友人達とのコミュニケーションを盛り上げるには、それがベストだ。
しかし、水木の場合はそうもいかない。流行のゲームソフトや話題のDVDを贈っても、話のタネにもならないだろう。
ひと回りも離れた大人の男にプレゼントを渡した経験は、俺にはない。当然ながら、知人達も同じであり、この手の成功談も失敗談も聞いた事がない。父親に対しての話ならば耳にした事はあるが、流石に、水木にそれを適応させる訳にはいかないだろう。ジジシャツもモモヒキも腹巻きも、たとえ必要だとしても、俺がやるものではない。
そんな風な笑いに逃げたい気も、ちょっぴりするが。実行しても思惑通りに笑ってくれる相手でもないのだ。黙殺されるのがオチだろう。ギャグに走り滑っっても、収拾は自分自身で付けねばならず、俺は年末にそんな片付けはしたくはない。
結局、購入したのは水木へのものではなく、俺が食す為のザッハトルテと赤ワイン。例の如く、わからないのに無理をして買う必要はないと開き直り、プレゼント案は却下にした。我ながら、少し情けなく思いもするが、決められないものは仕方がない。これは、決断力のなさではなく、もっと別の問題があるからだ。俺の腑抜け具合ばかりのせいではない筈。
だが。
そう結論付け帰った部屋に水木が居るのだから、何とも居た堪れない気持ちになってくる。何も、こんな日に帰って来ずとも良いのに……。タイミングが悪過ぎると、玄関に脱がれた革靴を見下ろしながら、俺は思わず愚痴る。
しかし、単なる八つ当たりだ。忙しい同居人の早い帰宅は、労ってやりこそすれ、不服を申したてるものではない。
気持ちを切り換えリビングの中へ入ると、ソファに座っていた水木が顔を向けてきた。その向こうでは、クリスマスツリーがチカチカと瞬いている。…誰が付けたんだ?タイマーか?
「…お帰り」
「お前もな」
「あぁ、うん…ただいま。――ね、電気落としてみてもイイ?」
「ああ」
了承を得たので早速、部屋の明かりを最小限にまで絞ってみる。薄闇の中に浮かび上がるツリーが幻想的で、思わず綺麗だと俺は嘆息を漏らした。赤も黄色も緑もイイが、青い光が一番、この部屋には似合っている。
「大和」
イルミネーションを堪能し明かりを戻したところで、名前を呼ばれた。仕草で着席を求める男に、少し待ってと言い置きキッチンへ入る。デパ地下の袋のまま、買ってきたものを冷蔵庫へと押し込み、俺は水木のもとへと行った。
座る男を正面から眺め、未だネクタイが緩められていない事に気付く。
「まだ、仕事…?」
ひとり掛けのソファに座りながら、問いを向ける。
「ああ、また出る」
「もしかして、俺、待たせてた?」
「時間が出来たから寄っただけだ、待っていたわけじゃない。だが、丁度いい。渡しておく」
そう言って水木は、テーブルに置いていた小さな紙袋から灰色の箱を取り出し、俺の前に置いた。
「えっ? 何?」
「クリスマスだろう」
確かにそうだ。でも…。
「……何で?」
「だから、クリスマスだろう。違うのなら、アレは何だ」
笑う事もなく真面目な声で問われたそれに、俺もつい真面目に答えてしまう。
「アレは、ツリーだけど…」
「知っている」
…それは、俺も知っている。訊いたのは、アンタだろう……。
「……よくわからないんだけど、リュウくんが俺にもと持ってきてくれて…。あ、あとクッキーも貰いました。それと、戸川さんには昼食をご馳走に…」
「そうか」
「はい…」
……って。
この話は、今は関係ないか…。俺は、クリスマスがどんな風に水木の中で、俺に物を与えるに繋がったのかを聞いているのだが…。俺はそんなに、変な事を言っているのか?
「えっと、それで…だから、これは…ナンです?」
「中身は、自分で開けて確かめろ」
…いや、だから。その「ナニ」じゃない。中身の前の段階を質問しているのになと思いつつも、言われて興味が向いてしまい、つい首を傾げてしまう。
「開けもていいんだ…?」
「お前にやったんだ、好きにしろ」
「…これって、クリスマスプレゼントなんだよな?」
「……他に何がある?」
お前は子供のように、サンタクロースからのものしか認めないのか? だったら靴下に入れるかと、水木は呆れるようにしながらも、そう言い笑った。確かに、ここまでボケられれば、誰だって苦笑を零すだろう。しかし、水木の言い方も悪い。こんな風に予想外の事をされたら、詳しく説明を聞かないと、ピンとこないものだ。だが、それでも俺が鈍いのも確かだと、漸く気付く己の反応の馬鹿さ加減に恥ずかしさも覚える。
「お前、リュウのも戸川のも、素直に貰ったんだろう。なのに、俺のに対してはそれか?」
「……だって、アンタのキャラじゃないじゃん…」
何だか悔しく、珍しくからかってくる水木にそう返しながら、俺は渡された包みを開けた。
中には、腕時計が入っていた。青と黒と銀で表現されたスタイリッシュなデザインのそれには、あまり見かけないメーカー名が記されている。俺の記憶が正しければ、世界的に名の知れたヨーロッパの時計屋だ。大衆向けの有名なブランドとは違い、商品などというものではなく、マイスターが作っているような、いわば作品とも言える類のものだったと思う。
「…………何で?」
中身の正体を知った俺の口からは、先程と同じ言葉が自然と零れる。
「しつこいぞ」
直ぐに返ってきた言葉に、俺はブンブンと勢いよく頭を振った。
「そうじゃなくって…! どうして俺にこんな物を…?」
「嫌か?」
嫌ではない。だが、素直に喜べはしない。受け取るには、重いものだ。だがそんな事は、買った本人が一番わかっているだろう。俺の性格を、考慮するかどうかは別にしても、知らないわけがない。
「…………勿体ない」
「そうだな」
心を駆け回る思いの中からひとつだけ拾い上げ告げた俺の言葉を、意外にも水木は否定しなかった。ならばこんな高価な物を寄越すなと、少しムカッときて睨み付けるが、向けたそこには柔らかな瞳しかなく、慌てて視線を逸らす。
「だが、一生モノと考えたら全然安いものだ」
一生…って。そんなに凄いのかよ……。
「……怖くて嵌めれませんよ…」
「冗談だ。そこまで高いものじゃない」
「……」
多分、それは嘘だ。水木の金銭感覚は兎も角、ここの時計ならば一番安いものでも、きっと車が買えてしまうような値段が付いているハズ…。たとえそこまでじゃなくとも、同居人に対するクリスマスプレゼントの範疇は、軽く超えているだろう。それは、間違いない。
「あまり高価だと、退くだろうからな」
「……これでも、充分退いています…。貰えないよ、こんな……」
「まあ、そう言うな」
気に入らないのなら、しまっておけと。やったんだから、どうするかはお前の自由だと。水木はそう言い、ソファから立ち上がった。そして「じゃあな…」と、あろう事かこんな爆弾を置き逃げしようとする。
「ちょっ…待って!」
冗談じゃないぞと慌てて止めると、相手は不思議そうに振り返った。
「何だ?」
何だ、じゃない。そのアンタの態度が、ナンダだぞオイ。ただの学生に、こんな物を贈りつけやがって…。しかも、強制ってか?受け取るのは決定ですか、コラ。
畜生とむかつきながら、俺はケースごとそれを取り上げ、水木の前に突き出した。それでも動かない男の手を掴み、無理やり受け取らせる。
「……オイ」
どういう事だと眉間に皺を寄せる男前を見上げ、唇を突き出しながらも俺は言葉を紡いだ。こんな事をする水木は腹立たしいが、それでも、俺の中にあるのはそれだけじゃない。
「実は俺も、アンタにはとても世話になっているし、何か贈ろうと思ったんだ。だけど、何が良いのか全然思い付かないから止めたんだよ」
「……」
「だって、そうだろ?何でも自分で買えるじゃん、アンタはさ。でも…それでも、次は必ず何か贈る。絶対そうするよ。貧乏学生には大した物は買えないけど――ちゃんと考えて、選んでみます」
「……。次とは、いつだ…?」
「貴方の誕生日に。流石に、これのお返しと言えるような物は無理だけどね」
「それは…、これを受け取ると言う事か?」
「だから、言っただろう? 自分じゃ怖くて嵌めれないと、さ」
そう言って左腕を突き出すと、意図を察した水木は少し不器用な手つきで、俺の手首に時計を装着した。まるで特注品のように、ぴったりとベルトが嵌まる。
正直、重い。重すぎる。だけど、時計ごと俺の腕を撫でるようにして離れていく水木の指を見ていたら、心は若干軽くなった。高価とわかっているものを受け取る勇気は、俺にはやはりない。じんわりとした怖さが付き纏う。それでも、俺に贈る事が水木の満足ならば、俺が受け取る事が水木の喜びならば。
何も用意出来なかった俺は、それに協力するしかないじゃないか。
「誕生日、知っているのか…?」
「ネコの日、だろ?」
「……戸川だな…」
「ハズレ」
「……」
「情報源は秘密だよ、アンタには内緒」
意地悪くそう告げ水木の手の中から手を取り戻し、俺はその手を軽く振った。腕に嵌まった時計の感覚が、妙にこそばゆい。
「行ってらっしゃい」
誰が俺に誕生日を教えたのか、聞き出す事は無理だと悟ったのかなんなのか、少し顔を顰めた水木は無言で俺の髪を掻き回した。
行って来るとの挨拶は、メリークリスマスの言葉よりも優しく響いた。
END
2005/12/23〜2005/12/26