□ 小さな約束

『久し振りだな』
 突然携帯に電話をかけてきた男の声は、あの頃に比べて、低く太い、歳相応の声になっていた。
 高校時代を共に過ごした時間よりも長い空白を埋めるには、俺達は随分変わりすぎてしまっているのが、その声でわかった。懐かしさと戸惑いが同時に存在する、奇妙な感情が俺の心に浮かぶ。
 先日行われた同窓会で、欠席した俺の電話番号を誰かから仕入れたらしい男は、俺同様に小さな気まずさを含みながらも、懐かしげに話し近況を報告した。
『当たり前だが、15年も経てば、皆変わるもんだな』
 あの頃一緒にバカをやっていた者が、不況の中必至で働いているんだからな、当然か。あいつなんて、絶対にサラリーマンなんてやりそうになかったよな。ガリガリだった鈴木も、今や完全にビール腹で笑ったよ。
 同窓会で顔をあわせた友人達を餌にして話す男もまた、変わっていた。あの頃は、こうも饒舌ではなかった。騒ぐ俺達に付き合いながらもどこか大人であり、常に冷静な判断をしていた。少しノリが悪い自己中な奴だと誰もが口にしていたが、皆一目置いていた。そう、少し特別な存在だった。
「お前も、変わったな」
 無意識に俺はそう言っていた。
『そうか? 自分ではわからないな』
 卒業して15年。俺は平凡な、けれども幸せだと言える人生を歩いている。
 他の友人達のようにこの男と会う事はなかったが、その存在は確認していたので知っている。男もまた、望んでも誰もが手に入れられる事はない地位と名声を手に入れているのだから、幸せと言えるだろう。
 変わるのが当然の事。
 けれど俺はそれを忘れ、ただ一人の男同士として向き合い、過ぎた年月を見ずに指摘する。小さな寂しさから。
「よく喋る」
 そんなに喋らなかった、あの頃は。
 意味のないバカな事を口にし、けれど、ふと、ある事を思いつく。
「…もしかして、酔っているのか?」
『……ああ、そうだな』
 飲まなきゃ、お前に電話なんて出来ないよ。
 自嘲する男の声に、俺は目を伏せた。
 何故?
 その問いは必要なかった。

 言葉をなくした俺に、暫しの沈黙後、男は喉をならせた。
 あの頃、俺はこの、低く喉を鳴らして笑う男の仕草が好きだった。きっと今も、あの頃と同じように、微かに口の端を上げているのだろう。そして。あの時と同じように、切なげな瞳をしているのだろか…?
 変わらないものもあった。確かに、ここに。
 だが、男も俺も、それに気付き、それから目を逸らす。
 あの時と同じ、けれども過ぎ去った時間だけ色を変えた言葉を男は笑いに乗せた。
『黙るなよ、…悪かった』
「いや……」
 俺もまた、あの時と同じ言葉を返す。
 若かったのだ、あの頃の自分達は。
 そう思っていたが、そうでもなかったのだろう。年を重ねても、俺は同じ反応しか返せず、同じ行動を相手にとらせてしまう。
 男は何もなかったかのように話題を変え、俺の事を少し聞いた。他の者から聞いていたのだろう、妻子がいる事を知った上での会話は、友人というよりもどこか世間話のような味気ない言葉ばかりだった。だが、それでも男の声は色を持ち、一言一言俺にその存在を思い出させていく。
 離れていた年月を埋めるかのように。
『じゃあ、またな』
 突然電話をして悪かったな。
 男の言葉は、昔と変わらない。
「ああ、また」
 短い、一瞬の沈黙を作り、どちらからともなく通話を切った。
 またな。
 卒業式の日、そう言って笑った男とは、あれから一度も会っていない。
 今夜、こうして連絡がくるまで、15年かかった。
――じゃあ、またな
 声だけではなく、実際に会う日が来るのはいつになるのか。
 曖昧なものでしかない、それでも確かに交わした、小さな約束。
 けれど、眺めた携帯電話の画面に映る自分の目を見ながら、俺はそれがそう遠くではない未来のようにも思えた。


END
2003/02/22