□ X Day

 卒論発表の準備の為、ゼミ仲間と集まりああだこうだと遣り合う日々を過ごしつつも。その日が近付くのを意識していた。
 だが、意識していたが、既にいつもの事だと諦める気持ちもあった。
 なので、まさか。
 前日の晩である今夜。友人たちと食事をしアルコールも入っていい感じで帰宅したその時に。
 青天の霹靂と言ってもいいような事態がやってこようとは思ってもいなかった。

 もっとも。戸川さんはいつも、俺をそうして振り回すのだけど。

『あ、千束さん。寝ているところをスミマセン』
「いえ、まだ起きていたので……どうかしましたか?」
『突然ですが、ちょっと私に協力して頂けないでしょうか』
「……協力?」
『水木が明日誕生日なので、貴方をプレゼントにしようかなと』
「…………ナニ言ってるんですか…」
『貴方自身が実行するのは、いつの時代の荒業だってものですけど。私ならば大丈夫でしょう?』

 問題はなしです。ですから、20分でそちらに行きますので、出掛ける準備をお願いします――と。
 何ひとつとして、俺は頷いてはいないのに。呆気にとられているうちに決定されて電話が切られた。
 暫くケータイ片手に呆けていたが。ハッと意識を戻し、俺は慌てて風呂へと掛け込みシャワーを浴びた。
 戸川さんは、誕生日だからと言って水木に贈り物をするようなタイプではないし。誰であれ、ンなプレゼントはもう時代錯誤もいいところだろうし。そもそも、水木は喜ぶのか? 迷惑なんじゃ?だし。
 っつーか、そのつもりならばもっと早く言ってこいというものだ。20分ってどこから電話してるんだよ!?  こんなことなら、酒なんて飲むんじゃなかった…と。シャワーを浴びつつ同時に歯磨きをして、俺は何とかチャイムが鳴るまでに身支度を整えた。
 日付が変わろうかという夜中に、必要以上の疲れを持って、戸川さんの車に乗り込んだのだ。

 早まったか…と思ったのは。
 今夜水木が泊まるホテルの部屋に案内され、ひとりそこに落ち着いてからだ。
 広々とした、しんと静まり返った部屋で、水木の帰りだけをひたすらに待つ孤独に。俺は早々に匙を投げたくなった。
 これではいつもと一緒じゃないかと。馴染みの無い場所で、更に不安が煽られて、心が沈む。
 そして。
 それと同時に、意識も沈みそうな睡魔が俺を襲い始めた。
 摂取したアルコールも効いている、丑三つ時だ。当然だろう。
 落ちるのも時間の問題だ。
 だが、ここまで来て寝入るのは避けたい。寝たら、水木は予定通りやってきたとしても、俺を起こさずに終わらせるだろう。
 戸川さん自身にはからかう意図しかないのだとしても、折角得たチャンスだ。逃がしたくはない。
 どうしても、俺は今夜、水木に会いたかった。これを逃せばまた、いつになるかわからない。来年の今日は、去年までと同様、会うチャンスすらないのかもしれない。
 そう思うと、寝入る訳にはいかなかった。
 だけど。冷たいシャワーでも浴びるかなどと思うが、そんな意思に反して、身体は動かない。
 限界だ。
 うつらうつらして、ハッと気づいて浮上し、そしてまた意識を危うくさせて。冗談抜きでやばいと、俺は据わっていたソファーから這うようにして動き、入口へと向かう。
 帰って来た水木に気付くよう、ドアが開けばそれが当たって寝ていても起きるよう、適当に距離を測ってそこに座りこむ。
 壁に凭れては、確実に深く眠るので。
 通路のど真ん中で膝を抱えて座り、重そうなドアを睨みつける。
 早く開け、早く帰って来い。そんな念を飛ばしながら、落ちそうになるのを踏ん張る。

 だが。結局幾らもしないうちに落ちてしまったようで。

 小さな衝撃に、意識が浮上した。
 寝ていたのに気付く前に再び、膝に何かが当たる。
「……ァ」
 痛みと言うか痺れというか、鈍いそれに声が零れ。漸く、自分の現状を探る。
 いつの間にか、俺は寝転がっており。胎児のように小さくまるまうようにして、ドアの前を占拠していた。
「あ、――うッ!」
 鈍い衝撃は、ドアが俺の足に当たっているのだと。俺が寝ているから開けられないのだと悟り、慌てて起き上ろうとして。
 俺は強く壁に頭をぶつけてしまった。  首をめぐらした程度の勢いだったので、星が飛ぶほどのそれではないが。寝起きに脳への振動は、かなり来た。
「うぅ…」
 頭を抱え、唸る。
 俺のその前で、ドアが先程よりも開き、今度は爪先にぶつかった。
 もっと避けなきゃと思うが、今は無理だ。もう少し待ってくれ…。
 マジで痛いと、痺れる箇所を掌で抑えて探っている俺の耳に、幾人かの声が聞こえた。ドアを開けた人物が、俺が居る事を話しているようだ。水木の声ではない。
 戸川さんは俺の訪問を、どこまで教えているのだろうと。面白がって教えていない事も、あの人ならあり得ると。時刻を考えてか密やかに交わされる声に、悶絶を打っている時でもないと顔を上げる。追い出されては、堪らない。
「ぶつけたのか?」
 水木が戻るまで居させて欲しいと、あんまりよく回らない頭でもそれだけははっきりとしていて、頼もうと上げた俺の視線の先には。
「ぁ、」
 待っていた男の姿が会った。
 俺のせいで半分ほどしか開いていないドアから半身を覗かせ、俺を見下ろす。
「ドアか?」
「……いや、…寝ぼけて、壁と、自爆で・・・」
「大丈夫か?」
「ああ、うん…全然」
 頷き、そのまま俺は俯く。待ちに待った水木の帰還に、軽いパニックが起こる。
 なんていう状態だよ、俺…ダサい。ダサすぎる…。
 全くこんな予定ではなかったと、頭に手を掛けたまま固まる俺に水木は手を伸ばし。二の腕を掴んで俺を立ち上がらせた。俺を押すようにして中へと入り、俺の髪を梳き、掛けていた手を掴んでくる。
「少しコブになっているか」
 空いた手で頭をそっと触れられたが、痛みなど全くなかった。いや、あっても俺は感じていないのだろう。全身は、距離はないほどに近い水木だけを感じている。
 冷やすか?との問いに、数拍遅れで大丈夫だと返す。
 タンコブなどどうでもいい。
「あ、あの、戸川さんが、その、」
「ああ、祝いがどうだの言っていたが。お前だったか」
「……返品する?」
「眠いのだろう。こんなところで寝ず、ベッドを使え」
 しないという代りに、そんな言葉で滞在を許可した水木が俺の頬をひと撫でし、寝室へと俺を促した。
 ドアを開け、自分もスーツを脱ぎネクタイを外す男を眺めていると、顎でベッドを示される。
「シャワーを浴びたら、俺も休む。先に寝ていろ」
「あ、おい、」
 淡々とそう言い、出て行きかけたところを思わず止める。
 俺も一緒に…と言うのは、恥ずかしいし、何より疲れている水木の邪魔になりそうで。でも、傍に居たいと思う気持ちは溢れて、だけども流石に風呂場までというのも変であり。かといって、背中を流すというのもどうなのだろう…で。
 なんて言えばいいのかと。まだ寝ぼけているのか、それとも、酒に加えて水木に酔っているのか。上手く働かないまま、掴んだ腕に視線を落とし迷っていると、逆に手を取られ、一度強く握られた。
 そして。
 離れていく手を惜しく思いながら眼で追っていると、「来い」と呼ばれた。

 風呂場で、もう一度、ぶつけた頭を診られた。
 俺の髪をかきあげた手がそのまま項へと伝い、触れるだけのキスを一度だけ交わした。
 何となくまだ俺は夢うつつのような状態で、相変わらずいい男だとか、いくつになったんだっけかとか、そんな事をぼんやり思いながら湯船に浸かっていたのだけれど。
 キスをした途端、なんだか一気に覚醒したような感じになり。現状がとてつもなく恥ずかしくなって、お先にと逃げ出すように、早々に風呂から上がってしまった。
 強請った割には、愛想なしだ。
 でも、これ以上は心臓が張り裂けそうなので致し方ない。
 髪を拭くのもそこそこに、小さな冷蔵庫から水を取り出して飲み、それを持ってベッドへと潜り込む。腕を伸ばしてナイトテーブルに置きながら、水木が居るよッ!どうしよう!と、ひとり悶絶する。今日この日に会えたそれが、想像以上に俺を興奮させ訳をわからなくさせる。
 なんだかもう、充分過ぎてこのまま逝っちゃいそうだ。興奮死なんてかっこ悪すぎだけど。
 戸川さんに感謝だが、もう少し心の準備をする期間が欲しかった…。
 暫くでかいベッドでひとり悶え、漸く落ち着いてドアの向こうを意識すれば。水木の声がかすかに聞こえた。電話だろう。
 何時だよと確認すれば、午前三時半。有り得ない時間だ。
 どこまで仕事人間なんだと。そんなに忙しくて大丈夫なのかと。今の今まで騒いでいた心が、スッと冷える。
 本気で忙しい男なのだと。いつも会えない事に不満を覚えている自分が情けなく思えて、俺は布団に顔を突っ込んで目を閉じる。
 時刻を確認したからか。水木に会い興奮し、さらに風呂に入って眠気は飛んだと思ったのに。
 俺はそのまま沈んだようで、ふと気付けば、水木がベッドに入って来るところだった。
「あ、悪い…」
 ド真中で寝ていたので、横へとずれる。だが、直ぐに水木に引き戻され、腕の中に閉じ込められた。
 ……いや、初めてじゃないけれど…何故だろう。今夜は非常に恥ずかしい…。
 暫く大人しくしていたが、何も言わない男に痺れを切らし。俺は上半身をひねるような形で、後ろを振り返る。
 俺の動きに気付いた水木が拘束を緩めたので、全身でひっくり返り、手を伸ばし閉ざしたままの瞼に触れてやった。
 まるで俺の指から魔法が出たように、精悍な男のそれが開き、俺をその目に映す。
「寝ろ」
「……うん」
 口先だけの言葉とわかったのか、小さく目元が緩み、まじないのように額へキスをされた。
 再び目を閉じた男をジッと見ているうちに、じわじわと欲望が湧いてきて、我慢できなくなり。
「アンタは寝てていいからさ…」
 俺はそう呟き、もぞもぞと少し布団の中へと潜り込んで、伸ばした手で水木の下半身に触れる。
 石鹸の匂いの中に見つけた雄のそれに、ドクリと胸が打つ。暗闇のなか手探りで探し当てたそれを包み込むようにし、更に潜って鼻先を近づけようとしたところで、ガッシリ両手首を掴まれた。それでも進めようとすると、力にものをいわせて引きあげられ、布団を退けつつ水木が腹筋だけで体を起こす。
「……だから、寝ていていいのに…」
 変態オヤジだと自分のことを少し思うけど、飢え前では些細なことで。恥もなく口にする。
 疲れているんだろうと唇を尖らせ不満を示すと、「そうだな」と肯定された。
 そして、おもむろに俺の首へと齧りつく。
「え? あ、ちょっ!」
「戸川が、生モノだから今夜食わないと腐ると言っていた」
「は? 戸川さ、――うわッ!」
 鎖骨の辺りで喋った水木の言葉に反応したところで、勢いよくベッドへ倒された。
 覆いかぶさって来る男の意図に気付き、俺は慌てる。
 どうせ数時間もすればまた仕事へ繰り出すのだろう男から睡眠を奪うつもりなんてないし。何より。俺は、今はもうホント、水木が傍に居るだけで満足で。少し触れられたら充分なのだ。それ以上は、正直言ってヤバイ気がする。
「ちょ、待て!」
「腐ると困る」
「いやいや、もう既に腐りかけだから…!」
 だから、もっとそっと、少しだけでいいんだと。熟れた果実は丁寧に扱わないと潰れるんだぞと。マジ、ちょっとだけでいいんだよと。
 焦りから自分でも良くわからない話だが、そう言う意味で言った俺に、「一番美味い頃だな」と水木が笑った。
 そして、そう言った通り。
 俺は男に美味しく頂かれてしまった。


 翌朝は、案の定。
 七時に俺が一度目覚めた時、傍らに水木はいなくて。
 どんだけタフなんだと思いながら、俺は再び意識を落とした。

 折角イベントデイに会えたのに、プレゼントどころか。
 おめでとうの言葉すら向けなかったのに気付いたのは、昼過ぎに復活してからだった。
 自分の馬鹿さに落ち込みつつも。リベンジ出来る日はあるのだろうかと思いながら、俺は慣れない事はするものでもないなと苦笑する。

 それでも。この一歩が、繋がれば。
 いつか。


END
2010/02/22