『おはようございます。』
一番のりで出勤し、人気のないオフィスで恋人からのメールを読む。それが俺の一日の始まりだ。
『こちらは夕方から雪が降り始め、ほんの少しですが、溶けずに地面に積もっています。滑らないように気をつけながらの帰路は、舞い散る雪を堪能する余裕を僕から奪い去ったので、部屋に着いてから天からの贈り物を味わっています。
ホワイトクリスマスです。東京では珍しいからでしょうか、道行く人々が毎年以上にはしゃいでいる様に感じます。あなたがこの場にいたのなら、きっと子供の様に喜ぶのだろうと想像してしまい、ひとりで笑ってしまいました。』
そう言う彼は、寒さが苦手であるので、決して手放しで喜びはしていないのだろう。だが、もしそこに俺がいたのなら。はしゃぐ俺に呆れながらも、仕方がないと一緒に降り積もる雪の中に並んで立ってくれる事だろう。寒いと文句を言いながらも、首を竦め背を丸めながらもあの恋人ならば付き合ってくれそうだと想像し、俺もまたひとりで笑いを落とす。
『こちらと違い、そちらは今日も暑いのでしょうね。暑いクリスマスとはどんな感じなのでしょうか。なんだか、想像しようとしてもピンときません。でも、寒がりな僕としては、羨ましく思います。今年は暖冬だと言っていたので安心していましたが、どうやら天気予報はハズレだったようです。残念です。』
冷房が効いた中、外からの喧騒を耳に入れながらも、遠く離れた場所で寒さに耐えている恋人を思う。冗談ではなく、彼の場合半ば本気で、温かい地域に暮らしたいと思っているのだろう。
今はブラインドで遮っている陽射しは、朝とは言え日本の真夏の真昼並に強い。だが、日本の夏と違い湿気がないので、サラリとしていてこちらの方が過ごし易いのだろう。日中は殺人的なまでに気温が上がるので、決して快適だとは言えないが、設備がある程度は整っている会社にいればそう問題にもならない。
確かに、寒くはない。しかし、まだまだ発展途上にあるこの国は、決して治安がいいわけでも生活がし易い場所でもない。この国に来て、半年。未だに俺は、恋人をこの国に来させる勇気も、覚悟も持てないでいる。
この半年、俺と彼の繋がりは、他愛のない日々のメールのみだ。
『こちらは、クリスマスと言う感じは全くないよ。日本と違い飾りつけなども全くなく、いつもと変わらない街並みだ。クリスマス・イヴだというのを忘れてしまうくらいだよ。俺はやはり、雪が舞うクリスマスの方がいいね。寒い冬を味わいたいくらいだ。』
寂しくないといえば嘘になる。このメールのやり取りを、味気なく感じた事もある。離れたその距離を、ずれた時間を、空しく思った事など沢山ある。やり切れなくなり、何もかも放り出し、恋人を抱きしめに日本へ帰りたくなる事などそれこそ腐るほど経験したし、これからもするだろう。
だが、それでも。俺は仕事を手放す事は出来ないし、行って来ると言った俺を見送ってくれた彼の元へ逃げ帰る事も出来ない。プライドは人並みにあり、その責任も自覚しているつもりだ。ならば、今出来る事を、しなければならない事をと前を向いて歩いている。それに後悔はない。愛しい者が傍にいない事を寂しく思うが、こうした繋がりもまた、ひとつの形だと思う。
そう思えるようになるのに、確かに時間はかかったけれど。
『出会ってはじめてのクリスマスに、君は食事に出掛けるのを拒否したが、覚えているかい? あの時は、二人でいられればそれでいいと言う君の言葉に感動していたが、実際は寒い外に出たくなかっただけなんだろう。後から君の極度の寒がりを知って、へこんだのを覚えているよ。この恋人をどうしようかと、本気で悩みかけたな。この俺に、君が扱えるのかとね。』
俺は毎朝、仕事を終え家に帰り着いた恋人から、おはようのメールを貰う。そうして俺は仕事を始める前に、おやすみのメールを返す。
俺が仕事を終えれば、今度は逆に、彼へのおはようのメールを送る。そして、そろそろ眠ろうかと言う時に、おやすみなさいとメールが返ってくる。俺と同じように、仕事を始める前に会社から送ってくる、恋人からのメッセージだ。
半日ずれた時間を過ごす俺達の間に、確かに溝はあるのかもしれない。俺以上に、恋人は心を揺らせているのかもしれない。この距離が、そうさせるに相応しいものであるというのは、よくわかっているつもりだ。だが、それでも。俺はこの関係に、安らぎさえ感じるようになった。
『君なら唐突に、寒さ逃れに東京を離れるくらいの事はするんじゃないかと、気が気じゃないよ。頼むからその時は、居ないのが悪いと言わずに、きちんと教えてくれよ。』
それが何だったとしても、一緒に味わえないと言うのは、確かに寂しい。だが、それだけではないと思う。
俺は、恋人が先に過ごす時間を、同じように味わう事が出来る。今、聖なる夜にいる彼を、俺は感じる事が出来る。そうして半日後には、俺は実際に自分の時間で、彼が過ごしたのと同じ夜を迎える。その頃は、日本は朝陽に包まれているのだろう。彼は太陽の下で、星空の下にいる俺を感じてくれるのだと、そう信じる事が出来る。
こうした繋がりを、この関係を、俺は愛しく思う。
俺は、俺の時間を。そして、彼の時間を味わえる。ずれているからこそ、二度、楽しい時を過ごせるのだと、そう思う。
不満や辛い事は、探せば尽きる事無く溢れ出てくるものであり、それを意識し続けては大切なものを見落としてしまうだろう。会えないからと寂しがるのではなく、離れなければ知りえなかった、築けなかったこの関係を、今は楽しみたいと俺は思う。
『君の部屋からだと、雪が降る街はとても綺麗なんだろう。来年は是非、その光景をみたいよ。
Merry Xmas. いい夢を。おやすみ。』
こんなクリスマスを迎える恋人がいても、おかしくはない。
世界はきっと、俺たちを見捨てはしない。
愛しい者が過ごしている聖夜に、俺が半日後に迎えるその夜に、優しさはきっとあるはずだ。
END
2003/12/23