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 日本を代表する財閥が主催するパーティーには、当然ながら各界の大御所が顔を並べていた。そんな中で仁科が接触を持った政治家は、芸のないテレビタレントよりも更に退屈な人物だった。自分がそう思われている事にも気付かぬ鈍さには救われる方が大きかったが、いまひとつこの接触の意味を知らない仁科にとってはつまらない事この上ない。これならば、徳原に連れまわされ遊ばれている方がマシかもしれない。
 きっと、多分、そこにこそ今夜自分がここに居る理由があるのだろうと、目の前で鼻の下を伸ばし喋る土田議員の後ろの光景を眺め、仁科は気付かれぬ程度に眉を寄せる。政治家秘書にどんな用があるのか。一歩離れながらも注意深く周囲を窺い控えていた付人が、いつの間にか現れた男と共に姿を消すのを見送り、己の仕事が終わった事を悟る。たったこれだけの為にこんな姿を強要された自分が、僅かではあるが虚しい。情けない。
 用は済んだが暫く腹の出た議員サマに付き合い、持ち掛けられた誘いを適当に流して場を辞する。見るからにオカマでしかないだろう相手に、場所も弁えずに次の接触を望む男に付き合う趣味は、仕事だとしても1ミクロもない。幸いな事に、上司からもこれ以上の業務は命じられてもいない。
 中身がどんなものであろうと掲げている看板は政治家という大きなものであるのだ、接見を請う者は大勢いるのだろう。数歩足を進める間は背中に男の視線を感じたが、直ぐにそれは挨拶から始まる決り文句のような会話とともに外される。立ち代り入れ違う面々の中に毛色の変わった人物が居た事をあの男はいつまで記憶しているだろうかと考え、明日には綺麗さっぱり忘れていろよと仁科は願望を込めて思う。なんなら、今この瞬間に、先程の数分間をなかった事にして貰いたいものだ。
 敢えて失敗などしたくはないが、別段成功もしたくはない仕事。望むのは、この今の自分を忘れたい、ただそれだけである。ターゲットが何をどう思おうと、どうでも良い。だが、あの男が記憶に残す事で、また、忘れる事で、それを理由に熊谷は同じような事を自分に強要する時がまた来るのだろう。一度ある事は、二度ある。一度させた事は、次もさせる。そこに部下の意思など考慮されない。部下は、一度実行した事は、それ以降も遣り続けねばならないのだ。拒否権はない。
 命令されるのが今回の続きとなるのか、新たな仕事であるのか、今の時点では仁科にはわかりようがないが。その時、自分はどうやって抵抗するのか。どこまで、粘れるのか。何をもって妥協するか。
 きっと自分ならば、今のこの不満さをも日が経てば簡単に忘れてしまうだろうと仁科は思う。そうして、嫌だと思いつつも上司に刃向かうのが面倒だと、悪態を吐きはしてもまた同じ様に実行するのだ。そう、だからこそ今、この気持を忘れないうちに。そんな未来の、必ずあるのだろう次回の対策を考えておく必要があるのかもしれない。
 いや。正直、そんな事をせねば、間がもたない。退屈だ。
 用が済んだからといって、直ぐに退場するのはあからさまだろう。もう少し時間を潰さねばならないが、やる事が全く無い。こんな場所で他人と会話をして楽しむといった高等な趣味は、一般庶民の中でも更に下層な位置で生きてきた自分は持ち合わせていない。
 通りすがりのスタッフに頼みミネラルウォーターを貰い、細身のグラスを持って壁際へと移動する。離れた場所から視界の端で今夜のターゲットを確認すると、土田は目の前の美人タレント相手に身振り手振りで何かを一生懸命話していた。その斜め後ろには、いつ戻ったのだろうか件の秘書が立っている。誰の用かは知らないが、そちらも終わったのだろう。
 時間を潰すのも面倒になってきた。これで引き上げようか。
 何より、ストールを掛けただけの向き出しの腕が、寒い。
「一瞬、誰かと思ったよ」
「……」
「似合っているじゃないか」
「そのまま誰だろうかと思い続けていて下さい」
 願いなのか命令なのかわからないその一言で終わりにしたいのだが、そうはいかないのが現実だ。唐突に声を掛けてきた相手に、仁科は気付くなよと舌打ちを落としながら仕方なく振り返る。
 一体いつ自分を見つけたのか、知った顔が笑みを作ってこちらを見ていた。意識を向けていた真逆に立っているのは、意図してのものなのだろうか。もしかすると、声を掛ける機会を窺い待っていたのかもしれない。
「よお、奇遇だな」
「……」
 本当に奇遇であるのならば、特に用件を持っていないのであるならば。俺は本気で放っておいて欲しいんだと、若干恨みを込めた視線で仁科は笑う男を見る。
 真中清治。職業は?と訊ねられ、臆面もなく探偵ですと答える馬鹿男だが、本当は馬鹿などではない。マヌケさを見せるのは性格以上に計算によるものだろう。己の上司よりも断然信頼に値する器の持ち主であり、人格者であると第三者に紹介する事を躊躇わない、真中はそんな人物だ。だが、残念な事に、それでも仁科の上司は熊谷であり、真中ではない。
 このパーティーに真中が来るとは熊谷から聞いていない以上、適当に逃げるべきか相手をするべきか考えねばならない。
「本当は訳アリで来る予定はなかったんだが、来て良かったな。面白いものが見られた」
 気崩してはいるが、この男の普段の恰好を考えれば正装とも言えなくない見慣れぬスーツ姿。珍しいものが見られたのは、こちらも同じだ。だが、真中と違い喜ぶものでもない。例えこの男が女装していようと、自分は楽しむ事はしないだろう。きっと他の知り合いの女装であっても、関心は向かないはずだ。それこそ、熊谷のそれであっても笑いもしないだろう。その程度だからこそ、自分はこうした恰好が出来ているのかもしれないが、大抵の人間はそれでもやはりこのネタには食いつくようである。なんとも面倒くさい。
 鳳凰と龍が刺繍された、紺のチャイナドレス。裾はミニではなくロングが用意されていたのは良かったが、両脇に入るスリット位置の高さ考えれば、何の慰めにもなっていない気がする。身体のラインを強調させるデザイン。薄いストール一枚では、誤魔化しにもなっていない。改めて、この姿の何に必要性があったのか、今夜の仕事を不満に思う。
 寒気も以上に、嫌気が増す。
 丁度いい機会だ、この場で全て脱いでしまおうか。そう本気で思うが、こうしてバレてしまった後ではもうそれも意味がない。しかし、これ以上新たな人物に指摘されない為に、今後の対策のひとつとしてこの男の衣服を奪い着替えるというのは悪くはない案だ。脱ぐのならば、先に調達せねばならならない。だが、問題がある。
「何なら写メでも撮りますか、一緒に」
 現実逃避のような愚かな思考を、仁科は自ら軽口で振り払う。この男相手に、そんな無茶は出来はしないのだ。力で向かおうが、頭脳で向かおうが、簡単に押さえ付けられて終わり。仕掛ける前から結果は決まっている。するだけ無駄だ。
 そう、結局。一番の策はさっさとこの仕事を終え、帰路に着く事なのだ。それ以外は無謀である。
「どんなものでも付き合いますよ」
「例えば?」
「腕を組むだけじゃつまらないでしょう、キスのひとつくらいサービスしますよ」
「まるでホステスだな」
「客はアナタだけだ」
「それは嬉しいね。だが、遠慮する。悪用されそうだ」
「そうですか」
 残念だと、全く感情を込めずに口にした仁科は、僅かに見上げる形で見ていた真中から視線を外し瞼を落とす。冗談で口にする中で本気が混じりかけたのを気付かれたらしい。悪用とまではいかずとも、それをネタに仔犬で遊べるかもしれないと一瞬思い浮かんだのは事実だ。真中に懐く仔犬は、何故か仁科にも懐いている。
 そう言えば、こういう場には自分でも真中でもなく、社長令息であるその仔犬こそが似合う。しかし、その条件で言えば真中とてそうであるのだが、こうした華やかさはこの男には似合いはしない。実際、熊谷が仁科を入場させる為に選んだ人物は、真中ではなく徳原だった。
 今回の協力者の人選基準が、オカマを連れていて違和感がない人物というだけなら問題はないが、上司の考えている事などわからない。それ以前に、何をやっているのかも知らされていない。
 熊谷は、真中の出席を予期していたのかどうなのか。こういう不測の事態をどう処理すればいいのか。当然何ひとつ聞いていない。ただの知人に偶然会っただけであるのならば、この姿をからかわれ、不思議がられ、疑われて終わりだ。相手の不信など、どうでもよい。しかし、これが真中となると、やはりどう考えても話は別だ。軽口などでなかった事に出来るものではない。
 ここにいるのが仕事であれ何であれ、情報屋との接触は如何なる時でも避けたいものだ。
「……」
 真中自身を苦手としている訳ではない。まして、仕事に情熱を注いでいるわけではない。ただ、今後。仁科としてはこれから先、自分が面倒に巻き込まれないよう、その為に下手を踏みたくはないのだ。ただの探偵ならば兎も角、いつ足元をすくってくるかわからない情報売買がメインの仕事人に、不必要には関わりあいたくはない。なんとも余計な人物に見付かってしまったものだ。
「あの男の趣味を知っているか?」
 あからさまに迷惑がる仁科を他所に、真中がシャンパングラスを持った左手の指を一本動かし、誰かを指す。視界の中で動いたそれにつられる事はなかったが、見なくとも誰の話を始めたのか疑いようがなかった。土田議員だ。この情報屋は俺が何の為にここにいるのか、本人以上に知っているのかもしれない。いや、知っているのだと、仁科は確信する。
 ならばこれは、熊谷に対する牽制と取るべきなのだろうか。また、厄介な。
「昔は少年趣味だったらしいが、最近はニューハーフ専門の高級クラブに嵌っている」
「…それで?」
「いや、それだけだ」
「……何が言いたいんだ」
「お前、その恰好で凄むなよ、可愛くない」
「勝手にほざいていろ、俺は帰る」
 政治家の趣味になど期待していない。あの男が変態だとしても、自分には何の関係もない。だが、いつもはそう思えても、流石に今この瞬間はそんな余裕は一切ない。己がそういうセクシャルな意味で見られたのかと思うと、当然ながら終わった事とは言え虫唾が走る。熊谷に命じられた時点で予想はしていたが、真実となればまた感情は変わる。敢えて知りたくはなかった、他人に面と向かって指摘されたくはない話だ。
 何もかもが面白くない。
 ここが引き時だと、仁科は宣言と共に踵を返す。だが、テーブルにグラスを置いたその手を、真中が包み込むようにして捕えた。思いもよらぬ行動に、振り払う事もせずに重なった温もりを見てしまう。
 これは、何だ。どう言う意味だ。
 見知った顔をからかう以上の用があったという事か。
「細いな」
 ニヤついた笑みを消し、真面目な顔で、真剣な声で、真中が感想を述べる。
「熊谷も良くやるよ」
「…俺の前であの男を褒めるな」
「別に褒めちゃいない。ただお前に同情しているだけだ」
「必要ない」
 離せと腕を振ると、悪いと短い謝罪を口にしながら真中は力を緩めた。自由になった手を、仁科は軽く振る。土田とは違いそう言う意味ではないとわかっていても、男になど握られたくはない。
「必要、ない事はないと思うぞ仁科。お前、ヤツの趣味を知らなかったんだろう? 仕事は考えた方がいいんじゃないか?」
「俺が考えてどうにかなるのなら、考える」
「熊谷は使えなくなったら簡単に捨てるぞ。今のように中途半端な事をしていたら、一人前になる前に潰れる」
「それは何か?俺に本腰入れて調査員になれっていうのか、馬鹿らしい」
「熊谷はそのつもりだろう」
「知るか。俺は聞いていない。気になるのなら、あの男と直接話せ」
 俺はこれ以上自分からどうこうするつもりはない。だから、そんな話をされても困る。関係ない。そもそも、知り合いの便利屋の従業員の行く末など、コイツ自身にも何の関係もないだろう。
「あんたは俺の何だというんだ、鬱陶しい」
「まあそう言うな」
 お前は手負いの獣か、何でもかんでも噛み付くなと真中が苦笑しながら仁科にシャンパンを勧める。向けられたグラスを首を振る事で断り、呑む代わりに溜息を吐く。
 会場の隅であるとは言え、人が側に居ないわけではない。この場に似合わない会話をしても誰も気に止めない程には騒がしい。それでも、密度は薄いはずだというのに、急に息苦しさを覚える。人、人、人。喧騒は耳を通り抜けずに、脳の奥深くへと埋まっていく。ドロリとした膿が垂れ流れてきそうな感覚に吐き気を催す。
 俺はそんなに弱くはない。繊細じゃない。
 仁科はゆっくりと息を吸いながら、自分自身に言い聞かす。他人が勝手にする同情なんて、放っておけ。関係ない。俺は、人に哀れまれる弱者ではない。自分の事は自分で何とか出来る大人だ。可哀相だと泣かれる子供ではない。
「…それで、何の用ですか」
「お前、情報をひとつ買わないか?」
「情報…?」
 何だ突然。解せない展開に眉を寄せ睨んだ仁科を、真中は軽い笑いで流す。
「冗談だ。売る程のものじゃない、タダでやる」
「何を言っている?」
「まあ、言いから聞けよ」
 そう言い、真中は軽く仁科の向き出しの肩を手の甲で小突いた。きっとこの為にこの男は今夜自分に声を掛けてきたのであろう。熊谷と違い強要はしないが、強制力を持ったその言葉にはもう諦めるしかない。
 しかし、何でしょうかと応える程、やはり協力する気にはならない。そもそも、こんな風に、こんなところで。まるで熊谷の目を盗むように不意打ちで、この男が自分に接触をはかってきたのが解せない。
「今月の初めに人探しを手伝えと、俺のところに知人がやって来た」
「それがどうしました、俺はアナタの事情に興味はない」
 勝手に仕事に勤しめばいいと仁科が顰めた顔を、真中は顎を取り無理やり横を向けさせた。
「佐藤大助、だったか」
「……なに?」
「ヤツはずっとソイツを探しているようだ」
 ホラあそこを見てみろよと示された先に居た人物に瞠目し、仁科は小さなうめき声を落とす。どうしてあの男がここにいるのか。小竹成昭の姿が、人垣の向こうに見える。
 先日の恰好とは違い、フォーマルなスーツに身を包みきちんと髪を纏めた姿は、驚く事にこの会場内の誰よりもこの場に似合っているように見える。それくらいに、インパクトは最大級だ。
「奴をからかったのは、仕事じゃないんだろう? 仕事だったら、こんなヘマはしないよな」
 俺の顔に何を見たのだろう。真中の声音に仁科は頭の隅でそう思うが、すぐにそれも消えてしまう。壮年の男達に囲まれ談笑している小竹の姿に、思考が固まらない。何故こんなところに居るのか。奴は何者なんだ。その疑問の裏で、自分がしくじったのかもしれない悪戯の結果に苛立ちが浮かぶ。
「…………」
「小竹成昭。心当たりはあるだろう、仁科」
「ああ…それで?」
 今更、嘘を吐いても意味がない。真中が自分相手に引っ掛け質問をするはずがなく、既に裏を取っているのであろう。何より、嘘を吐く余裕もない。
 本当に、驚いた。
「探しているぞ」
「探しているねぇ……アンタ、俺を売ったのか?」
「いや、俺は仕事を請け負ったわけじゃない。わかったら教えてやると言っただけだ、話してはいない。だが、それはもう先週の話だからな。それまでも自分で探していたようだし、もう掴まれているのかもしれないぞ仁科」
「だとしても、別に問題はない」
「そうか。だったら、会うか?」
 感動の再会だと喉を鳴らした真中が、丁度人の輪から離れた小竹に片手を上げ挨拶をする。知人に気付いた彼もまた、手に持つグラスを軽く上げて応えた。
 男の身体が真っ直ぐとこちらを向く。ゆっくりと足が進んでくる。
「…真中さん」
「なんだ」
「俺はこれで失礼します」
 口にした通り、佐藤大助が偽名であり本当は仁科一希というのが本名であるのが知られても、全く問題はない。それこそ、あの弁護士事務所にも、マンションにも、一切関係のない人間だと。仕事がらみだったのだと知られても、仁科自身はあまり害はない。確かに、熊谷には何を言われるかわからないが、それはいつもの事だ。何より。
 真中が上手く納めるだろう。何かあれば、熊谷に言う筈だ。自分のところに直接こうしてきている事を考えれば、事は大きくなっていないのだと安心して間違いはないはず。
 だったら、これで終わり。さっさと逃げるのが得策だと、仁科は「後は頼みました」と声にはせずに眼で伝え頭を下げる。
 だが、真中はそれを承諾しなかった。
「まあそう言うなよ。お前の所にまだ来ていないのなら、あいつはまだ情報を得ていないという事だろう。気に掛けた奴をそのまま放置出来る性格はしていないからな」
「……」
「健気じゃないか、なあ仁科。世話になった奴を気にして訪ねてみれば、そんな人は居ないという。だったら、自分が会ったのは誰だ?いや、この際、佐藤でも鈴木でも何でも、誰でもいい。自分を助けた男は、病に侵された男は、確かに居た。そいつにもう一度会いたい。理由なんてない。兎に角会いたいんだ。なんてイイ話だ、なあ?」
 ちょっとは協力してやりたくなっても不思議じゃないよなと、仁科を見下ろし真中が笑う。逃げを打つ身体を押さえ付けるように、人目を憚らず、今度はしっかりと肩を抱く。
「お前が上手く化けられれば、バレないかもしれないぞ」
「……」
「なあ仁科」
「…………」
 相手の顔を覗き込み笑う真中の行動をどう見たのか、視界の隅で小竹が足を止めるのを仁科は見る。キスでもしているように見えるのだろうか。有り得ない。だが、チャンスだ。思うと同時に目の前の男の頬に手を伸ばし、仁科は真中の耳朶を思い切り引っ張ってやった。
「痛てて…!」
 真中の身体がくの字に曲がる。その向こうに、何をしているんだと呆れるような、苦笑を浮かべて傍観者に徹する男が居る。その足は完全に止まっている。好都合だ。
 仁科は真っ直ぐとその姿を眺め、やはりどう考えようと腹なんて括れるわけがないと、自分の気持を確認する。ただの遊びだったのだ。バレるのは仕方がないが、それ以上の展開は勘弁だ。面倒になど巻き込まれたくはない。
「言ったら、殺す」
 手を離し、背中を伸ばした真中に凄む。
「俺が言わないまでもない」
「だったら、アンタが上手く誤魔化せ」
「俺は熊谷と違って、生憎便利屋じゃないんだ」
 悪いなと肩を竦める真中の向こうで、小竹の顔に先程まで浮かんでいた笑みがない事に仁科は気付く。
「……」
 長居しすぎたのかもしれない。
 不審気な表情を作る男から視線を外し、間近で鳴った喉の音に舌打ちを落とす。
「ああ、気付いたのかもしれないな」
 地声、出すからだな。馬鹿だなぁお前。
 腹立たしい事この上ないその言葉を背に、仁科は身を翻した。

2007/12/26
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