7


 鳩羽が亡くなり一年が過ぎた。この寒い季節が変わる頃には、三代目國分組組長襲撃事件から丸二年なる。
 濃密でいて、全てに忙殺された二年だった。その中で、半年程の間に何度も接触した紀藤たかしの存在は、鮮やかなほどに異質であった。だが、その異質さが、殺伐とした仕事の処理に追われる俺には必要だったのかもしれないと今更に思う。
 大きな所帯となった今、組内が落ち着く事はもうないだろう。危険分子は付き物だと端から踏まえて見てみれば、まだ二年前の余韻は濃厚ではあるが、それでも静けさを感じるようにもなってきた。事件につられ怪しい動きをしていた面々も、静観出来る程度に大人しい。
 だから、余裕が出きた――という訳でもないだろうが。
 最近、組内で噂に上る程度に、神戸の女遊びが復活したようだ。臥せっていた時の事を思えば、付き合いの長い個人としては、良い兆候だと安堵を思える。だが、その立場を思えば、それを表に出すわけにもいかない。
 報告では、俺もよく知る馴染みの店へ足繁く通っている程度なので、神戸の事はその周囲に任せている。しかし、これ以上遊びが広がるようならば、多少の手は打たねばならない。正直、神戸に飼われている自分には荷が重い役だ。だが、鳩羽の後を引き継いだ以上、仕方がない。
 まさか神戸のこの手の事を処理する立場に就く日がくるなど、数年前まで考えた事もなかった。
 俺の前には常に、俺を赦す人達が居て。
 自分は彼らに従いついて行くのみだと、本気で思っていた。

 昔気質な面を持ちつつも、飄々とした性格の神戸の機嫌は、如何なる時であれ表面的には常に落ち着いている。だが、腹の中では何を思っているのか。四十年近い付き合いで、漸く少しわかるようになった。
 俺を認めた途端、いつものように目尻に皺を作り笑った男は、けれどもどこかで確実に、俺の存在を疎んでいた。外出を咎められると思ったか、それとも相手をするのも惜しい程に急いているのか。一瞬それを思ったが、パフォーマンスならば兎も角、流石の神戸もそんな内面を見せる男ではない。
「お出掛けですか」
「ああ」
「どちらへ?」
「知っているのだろうに、聞くな」
 野暮な男だと肩を竦めるその態度に違和感はない。先程の感情は、俺が見たのではなく見せられたものかどうなのか。判断材料さえ、この男はもう与えてはくれないのだろう。一瞬のそれを見極められないのも、いかせられないのも、己の力不足に他ならない。
「ユリ子さんが、雅さんに会いたがっていましたよ」
 風花が、神戸の軽口を受け取らず、話を掬い上げた。本気ではぐらかすつもりはやはりなかったのだろう、神戸がその言葉に頷く。
「そう言えば、そんな事を言っていたな。雅、お前も今度時間を作れ」
「はい」
 ユリ子とは、神戸が二十年程前から面倒を見ている女だ。去る者は追わず、また機会があれば進んで送り出す神戸の関係者は多くいるが、その中でもユリ子は特別に近く、内縁の妻だと見られてた時期もあったくらいだ。しかし、男女問わずに浮世を流す神戸に、その噂が消えたのも当然だろう。ユリ子自身、庇護を望んでいた節はない。
 今は、幾つかの店を持ち、金銭面でも精神面でもユリ子は独立している。ただ、それが過去とはならず現在進行形で関係を維持しているのは、何よりも二人の気が合ったからこそなのだろう。
「お気に入りにフラれ続けているんですよ、組長は」
「なかなか手強い奴でな」
「雅さんが顔を出せば刺激になるでしょう」
「お前は役に立たなかったからなぁ風花」
 機嫌良く笑う神戸と風花を見送り、与えられた自室で一息ついた時、来客を告げられた。
「お邪魔します」
 入室してきたのは、神戸と共に出掛けたはずの風花だった。聞けば、車に乗り込む直前になって追い払われたらしい。瞬時に寄った俺の眉を見たのか、供は付けているので心配なくと目を細める。
 案外、神戸の指示でこの男はここに来たのかもしれない。
「組長は相当本気のようです。雅さんも早めに一度会っておく方がいいですよ」
 風花が口にしたのは、意外にも神戸の女遊びそのものだった。関わりはしても、この手の事に口を挟む性格ではない男のそれに、先程の神戸との会話を反芻する。
「…ユリ子さんのところの女ならば、心配は要らないでしょう」
「女ではなく、男ですよ」
「いつからローズは男を…?」
 今、ユリ子が直に手を掛けている店はホステスしか置いていないはずだ。
「組長が狙っているのは、三十路前のボーイですよ。物腰の柔らかい、賢そうな青年です」
 趣味が変わったというよりも、彼自身を気に入ったようですね。
 その風花の言葉に、俺は驚きは勿論、同時に疑問も強く持つ。神戸の男の趣味は確かに、勝気な性格をした若い男だ。女の趣味は幅広いが、男のそれは今までに動いた事はない。ならば、余程そのボーイを気に入ったのだろう。
 しかし、今。その立場とこの状況下で、神戸が己の嗜好を満たすだろうか。遊びならば兎も角、本気で…?
「……こちらでも調べる必要がありそうですか?」
「組長の事ですから、その辺は大丈夫でしょう。私はただ純粋に、貴方も一度見ておくべきだと思うのですよ」
「……」
 男が囲われたならば、報告は即上がってくるだろうし、また神戸の性格を思えばいずれは会うだろう。
 それが、今までと同じならば。
「今は渋っていても、きっと彼は組長の手を取るでしょう。あの男は、神戸の側に付けば化けるような気がします」
 気を付けろとも、阻止しろとも言わない。ただ、その目で見ておけとだけと風花は言う。
 俺に神戸の全てを見極める事はまだ出来ない。それは、風花も、そして神戸自身もわかっている。わかっているが、だから赦すとも、見逃すとも限らない。
 女遊びだとか何だとかではなく。突きつけられたのは、俺への試練か…?
 風花が出て行った部屋でひとり。
 息を吐く間もないのだと、改めて実感する。

 あの、廃ビルが、頭に浮かぶ。


 先に俺が見つけられていたならば、と。
 後悔する日が近くまできている事に、この時の俺はまだ気付いていなかった。


2008/10/27
Novel  Title  Back  Next