34


 焼き上がったベーグルを皿に置き用意を終えた朝食は、飯にしようと言われた時に想像したものよりも華やかだった。俺が一人暮らしの時は、朝飯といえば菓子パンを齧るだけであったのを考えれば、豪勢とさえ言えるのかもしれない。卓上だけはまるで、幸せな家庭のよう。場違いなんて言うのは流石に悪いのだろうが、簡潔な部屋で対に並んだ膳を見るとは、想像すらしていなかった。
「凄い…」
 思わず呟きが零れる。しかし、何が凄いかと言えば、その状況に自分が居る事であろう。頂きますと手を合わせた後も、暫く目の前に並ぶ料理を堪能し、この事態に嘆息し、もう一度同じ言葉を唇から零す。
 水木が俺の呟きに軽く目を細め、ベーグルを千切りながら短く問う。
「何がだ」
「いや、あの…。料理、出来るんだなと」
 ヤクザの癖に、との一言は流石に付ける事は出来ないと飲み込み、無難な言葉で驚きを示す。だが、そう聞くと同時に、確かにビックリするよなと、改めて水木の器用さに感心する。
 先日食べさせて貰ったのは、レトルトだった。だから考えもしなかったのだが、水木の手捌きを見ていると、俺なんかよりも断然料理上手であるのがわかる。短時間でこれだけのものが作れるのだ。センスがあるのは間違いないだろう。抹茶が混ぜられた、鮮やかな緑色をしたヨーグルトを飲みながら、しかも美味いしと俺は舌を巻く。料理が得意とは、また意外な一面だ。マジでホント、単純に感心するに値する。凄い。
 だが、水木自身は何も思わないのか、パンを咀嚼しながらあっさりと否定する。
「簡単なものだ、料理とは言えないだろう」
「……でも、俺は出来ないから」
 何を言っている、お前。単純だな。そんな気持ちが篭っているような声に聞こえるのは、被害妄想だろうか。その物言いに思わず言葉が詰まるが、それでも先程した決意はまだ頭の隅にあり、我慢だ水木弁だ、悪意は多分ないと自分に言い聞かせ大人しく応える。
 けれど、これもまた逆効果だったのだろうか。
「数をこなせば慣れる。料理が出来るようになりたいのなら、面倒でも毎日何かひとつは作るようにしてみろ。直ぐに上達する」
「そう、かな…?」
「大抵の奴はそうだ。昔、俺が作ったものが不味いと、戸川がキレた。殺す気かと、暴れた」
「……は?」
 唐突に何だと目を剥くと、「そんな奴でも、慣れれば出来るようになるんだ。お前なら大丈夫だろう、心配するな」と水木は言葉を結んだ。心配って…?と頭にハテナを沢山浮かべながら、俺はコーヒーを飲む水木を見つめ、漸く気付く。
 もしかして、この男。俺がその手並みを見て自信をなくしたとでも、不安になったとでも思ったのだろうか。出来ないからとの俺の言葉を、感心ではなく、自虐にとったのか。俺はただ、器用だな褒めただけなのに。出来ない自分に多少呆れはしたが、心配など微塵もしていないのに。一体、どうなってこうなるんだ…?
 なんて気の回し方だ。そんな事を考えるのなら、他の事を考えろよ。確かに出来るに越した事はないが、出来なくとも俺は全然困っていないというのに、この終結はなんだ。そのズレた思考がおかしくて仕方がない。バカだアホだと胸中で突っ込むだけでは耐えられず、呆れるように俺が鼻を鳴らすと、水木はチラリとこちらを見てきた。端正なその顔は変わらないのに、何だか不貞腐れた子供のような表情に見え、思わず吹き出してしまう。一度零れたそれは止まる事を知らずに暴走し、俺は本格的に笑い出してしまった。本当におかしな、変な男だと思うと、気を使って止める気にもならない。
「あぁ、もう、可笑しい、喰えねえよ、止まんねぇ」
 肩を震わせ爆笑しながら、合間に悪態を吐くが、そんな俺に関心も見せずに水木は食事を進める。なんて奴だと苛立つが、いつもなら不満に変わるのだろうそれも、ヤな奴だよという呆れ程度にしかならず、それがまた俺の笑いを増長させる。こんな奴が、俺の料理の腕前に気を使う。これを笑わずにして何を笑うというのか。一応食事をせねばと思いフォークを握るが、それ以上の事が出来ない。ツボに入った笑いは、なかなか抜き出せない。
「若林が言っていた」
 それでも、流石に笑いすぎだと自分を落ち着かせかけた時、水木が静かに声を上げた。怒りもせず、注意もせず、また俺の態度に対して何の興味も見せず、今まで以上に平坦に言葉を繋げる。
「指導者でも用意しようか、と」
「――ハイ…?」
「賄いはいらないと言ったが、料理が得意なわけでもなさそうだからなと」
「……」
 水木の言葉は効果覿面で。笑いが一気に引き、瞬時に真逆になるマイナスの感情が俺の中に溢れかえった。握り締めていたフォークをカツンと音を立てながら置き、代わりに固いパンを手に取り、苛立ちのままに引き千切る。
 指導者ってなんだよオイ、冗談じゃないぜコラ。料理教室でも始めようと言うのか。俺はヤクザに世話までされて料理を覚える気はない。そんな事は願い下げだ。
「何を言っているんですか、要りませんよ」
「わかっている、断った」
 ベーグルに齧り付きながら低い声で拒否すると、水木はあっさりと頷いた。だったら言うなよと思ったが、これもこの男にとってはただの会話かと我慢する。もしかしたら俺の笑いが耳障りであったから、こんな風に黙るだろう話をしたのかもしれないし。
「……そう」
「ああ」
「…………」
 一気に、高揚していた気持ちが下がり、溜息が零れる。計算なのかもしれない水木の事も気になるが、それよりも若林さんの発言が引っ掛かった。あの人は何を水木に言っているのか。賄いの件は自分の一存だったと謝っていたのに、水木は関係ないと言っていたのに、何故また窺いをたてている。俺への断りは何処へ行ったんだと、俺は咀嚼したベーグルを飲み込み溜息を吐く。
 あの男、やはり水木二号なのか。話が噛み合わない。水木へのそれと俺へのそれが、どちらが先でどちらが後であったとしても、会話に矛盾が生じているのは明らかだ。一方は確実に、片方に断られてもなお話をした事になる。しかも、そこまでして拘らねばならない事柄なら兎も角、たかが居候の食だ。幼子ならまだしも、二十歳を過ぎた男にする面倒ではない。
 よくわからない人だ。普通の、どこにでも居るサラリーマンのような外見である分、見た目から警戒してしまう水木よりもタチが悪いのかもしれない。口から先に生まれたような戸川さんの方が、まだ安心出来る感じだ。水木以上に、何を考えているのか見えない。掴みかねる。
 普通ならば、一般的な生活の中での、一般人同士の話ならば。気にする事なんてないのだろうし、そんな奴だと俺も流せられるのだろうが。小さな事ひとつでも、出来るだけ多くの事を知っておいた方が自分の身を守れるんじゃないかと思うこの状況では、どんな人でも、どんな事でも、簡単に放置出来ない。少なくとも、自分と関わる人物だ。知り合った以上は、多少は知らねば不安だ。
「…若林さんって、どんな方なんですか?」
 俺にだけああいう態度をとるのではなく、相手が誰であってもああなのだろうか。若林某の人となりを知るべく、俺は水木に正面から尋ねた。だが。
「何かあったのか?」
「いえ、別にそう言うわけじゃなく…。ただ、何となく……」
 何かって、何があるというのか。意味深なツッコミに聞いておきながら耐えられずに葉を濁すと、水木が場の空気を読まずにふっと笑う。何が可笑しいのか、何だかムカつく笑いだ。だけれど、口は開かずに俺は耐える。何があるんだよなんて、言い返してはならない。我慢だ我慢、それが一番だ。現実逃避のようにココットへと視線を落とし、ソーセージを口に放り込む。
 普通に、旨い。美味しい。こういうところは器用なんだなと、水木の腕前などもうどうでも良いのだがもう一度思い、感心する。しかし。昔と言うのがいつの話であるのかは知らないが、一体水木はその時戸川さんに何を食べさせたのだろうか。先程は突っ込みもいれずに放置したその言葉を拾い戻し、敢えてそこに意識を向ける。
 キレる程に不味いものってどんな料理なんだろうかと、俺は半熟卵を掻き混ぜながら考える。多分きっと、水木は昔からこういう性格なのだろう。ならば、素で何でもやってしまいそうで、可能性は広がる一方だ。戸川さんの苦手なものを出したのか、ゲテモノ系に走ったのか。十代の頃からの付き合いならば、本当に何でも有りだ。何より、それこそ。料理の味が問題だったのではなく、妙なものを出した水木に戸川さんはキレたのだとも考えられる。キレられた側の水木がこの調子ならば、昔話の追求に意味はない。意味はないが、それでもやはり、気になりだしたら気にせずにはいられないというもので。
 バカな事で回転する頭に呆れながらも、考える事を止められない。
 そう言えば医大の同期に、凄い奴がいた。目玉焼きを作ろうとしてフライパンに穴を開けたり、唐揚げを作ろうとして火事を起こしたりと、凄まじかった。油は水のように沸騰させるものだと信じ込み煙があがる中華鍋の前に立ち続けた彼は、これまた料理のセンスが有るか無いか以前の問題で、頭のネジが抜けていた。カレーに買って来たままの未調理サバを入れ食した話を聞いた時は、実物を見ていなくとも気分が悪くなったものだ。鍋にそのまま魚を入れようと考えるその思考が、意味不明だ。料理をするしないの話ではなく、そこまでくれば常識を疑わねばならないものなのだろう。訳がわからない。
 だが、話を聞く限り、似たようなチャレンジを他の奴等もやっていた。生卵をそのままレンジに入れたり、玉葱を中心まで剥いたり、米を洗剤で洗ったり。火事や食中りを起こす事を考えればまだ可愛いと言えるものだが、それでも馬鹿は馬鹿だ。笑えもしない。しかも。
 かく言う俺も、そこまで非常識な事をしてはいないが、偉そうにいえる立場でもなかったりする。友人達ほどの馬鹿な行いをしなかったのは、ただ手を出す事をしなかったからであり、チャレンジをしていればフライパンのひとつやふたつ使い物にならなくしていただろう。とても褒められたものではないコンビニ弁当メインの食生活をしていたのは、そう昔の話ではない。
 実家を出てからは、コンビニかファミレスかファーストフードばかりの食生活。今にして思えば、良くも太らなかったものだと感心してしまう。だが、カロリー摂取過多だからこそ、ハードなあの日々を乗り越えていけていたのだろう。正しく言えば、やつれなかったのは偏った食事のお陰だ。だが、それでも確実に体力は落ちた。朝起きると朝食があり、家に帰ると暖かい夕食が出てくる。それが当たり前だと信じていた幼い頃の自分を思えば、母の有り難味が十二分に実感出来るけれど。それ以上に、一人で暮らすと言うのは大変で、とても寂しいものなのだと想像し、切なさが同時に胸に込み上げる。
 医学部生時代は周りも似たように一人暮らしをする奴等ばかりであったし、辞めてからは兄貴と叔母が面倒を見てくれたので、実際に一人になる事など殆どなかった。けれど、今後の選択によっては、俺は早々に孤独を味わう事になるのかもしれない。留学は勿論であるし、このまま大学に残るのだとしても、同期生と同じ様にゆっくりとキャンパスライフを送る事は出来ないだろう。退学まではいかずとも、きっと休学は避けられない。今の自分が学費の為に社会へと出て上手くやっていけるのか。その自信は全くない。直ぐに辛いと泣いてしまうのだろう。
 夢ではなく。大学という檻の中で甘えていずにもっと現実を見て、俺は生きる道を選ぶべきなのだろう。こんなところで、嫌な男と向かい合って飯など食べていずに、自分の足で歩き出すべきなのだろう。……それなのに、これだ。
 イヤだと言いながらのこれって、やっぱり甘えだよなと。俺はそれ程までに寂しいのかと、改めて思い知る己の現状に打ちのめされていると、沈黙していた水木が何かを呟いた。

「……えっ?」
 聞き逃した言葉に慌てて首を傾げると、「ワカバヤシクルミ」と一文字一文字区切るように発音し、「名前までは聞いていなかったか」と食事を終えた男は一人納得する。一体、何を完結しているんだと水木を暫し眺め、若林さんの事かと俺は遅ればせながらにも気付き、無意識に頭を振る。どうやら、先の質問は流されずにまだ止どまっていたらしい。
 若林、クルミ。それが、あの人のフルネームなのだろう。だが、名前を教えられてもどうしようもない。俺はそんなどうにも出来ない情報を望んだ訳ではないのだが。
「クルミ、ですか…へぇ……」
 男の方には珍しい名前ですよねと言う以外、俺に何が出来るというのか。これ以上話を広げるのは無理だと目を泳がせると、「来る海でクルミだ」と水木が付け加えてくる。
「はぁ…」
 だから、それが何だオイ。もうこれ以上、どんなに頑張ろうとも、オジサンにしてはお洒落な名前だとしか絞り出せない。クルミ来海と意味なく頭で唱え、俺は溜息を吐く。
 もしかして。先程聞き逃したのは、俺が首を傾げ聞き返したのは、若林さんの名前だったのだろうか。だから、こうも丁寧に、漢字まで教えてくれるのか。でも、だからって……。
「……」
 だからと言って、何をどうすればいい…?
 俺が、聞いたから。俺が、疑問を見せたから。成る程、そうか。そうなのか。だからこうして、ここまで丁寧に教えてくれるのか。だったら、なんて水木は親切なんだ!――などとは、到底思う事は出来ない。そんな単純な話ではない。だが、それでも。若干不審は消え、その合い間を埋めるかのように評価が上がりかけるのも事実。良い様に受け取り寛容な心で考えて見れば、こんな意味のないやり取りではあっても、水木の律義さが見えてきたのだ。見直してしまうのも仕方がないと言えよう。
 そう。元々が如何ともしがたいが故に、その効果は抜群で。相変わらず微妙ではあるのだが、それでも、俺はちゃんと相手にされているみたいじゃないかと思えてしまう。ちゃんとと言うのが、丁寧や誠実と言ったものと直結していないのが残念だが、水木は水木なりに出来る範囲の中で俺への対応をとっているのだろう。多分。
 いい加減に感じる事は多々あれど、そこに水木なりの誠意があるのも確か。俺が思う以上に、水木は俺を見ているのかもしれない。いや、見ていると言うか何と言うか。意識内に入れているような、思考の枠内に入れているような。そんな感じだと、今更ながらに俺はそれを認識する。
 こいつは自分のその範囲内で、最大限とはいかずともそれなりに、俺を意識しているんだなと。テーブルに乗った厚い右手を見ながら、剥き出された硬そうな腕を見ながら、静かに思う。普通の、一般的な常識やレベルで比較するから、水木の行為はふざけているように見えるが。本人はそう言うつもりでもないのだろう。打てば響くなど有り得ず、ウンともスンとも言わない、全く鳴らない男ではあるが。それでも、打つ事を他人に止めさせはしないし、打っても怒りはしない。無視している訳でも、支配している訳でも、放任している訳でもなく。打ち方を間違えれば、訂正が入りそうな感じであるので、関心がない訳ではないのだろう。ただ、静かだというか、動きが鈍い。そしてその微妙なタイミングが、凡人には計れない。だから、戸惑うだけなのだ。
 ……って。
 それほどの事を「だから」や「だけ」で締め括り片付けは出来ないぞ、俺。そこが重要なのだから、やはりそこをピックアップすべきだろう。水木の内面を、憶測で考慮しても意味がない。俺に対する態度が全てなのだから、そう扱うべきだろう。勝手に諦めて許せるのは、実害がない時だけだろ?
 妥協以上の許しを与えそうになったのを慌てて訂正し、ならばどう結論付けるかと考えてみるが、答えなど他に出るはずもなく。結局は、水木瑛慈はわからない奴でしかないと。わからないから、腹を立て怒るか、匙を投げ脱力するかになるのだろうと。自分を許す方向へと俺は話を切り替える。やはり水木は、理解し妥協するにはまだまだ程遠い、何とも厄介な奴だ。
 そうして、水木だけではなく、この事態も、それを受け入れている俺もまた厄介だ。よく考えずとも、ヤクザとこうして向かい合って朝食を摂っているなど、言葉を交わしているなど、やはり凄いとしか言えない。体験したくとも、普通は出来ないものだ。ヤクザとはいえ、戸川さんも若林さんも水木もその前にひとりの人間であるので、話をしたからと言って驚くべき事柄ではないだろうと思いもするが、正論であれそんな理屈が通用する状況ではない。ヤクザ相手の会話は、一方的なものになるのが通常だろう。まともに話しが出来ないからこそヤクザと呼ばれるのであって、例外はないように思う。それなのに。
 それなのに、こうして言葉を交わせてしまうから、時間を共に過ごせてしまうから、俺は彼等が世間から非難される人種であるのを少し忘れそうになってしまうのだ。忘れる訳にはいかないのに、この空気に慣れかけている。ヤクザなど嫌悪の対象以外の何者でもないと思っていたのに。まさか、関わりを持つとは。そんな自分を許すとは。
 この関係も、こうした自身の変化も。ある意味奇跡だよなと、俺は水木を見る。この男がそれを起こしたのかと、端正な顔を眺める。だが、外見に威厳はあれど、中身にはそれはなく。神と言う感じが全くないので、その奇跡に対する有り難みは皆無だ。それでも。いま自分がここに居る事がとても不思議で、けれど何故か自然で、奇妙な感覚に力が抜ける。奇跡などと言う程、良いものでも何でもないが。だからと言って悪いものでもないのかもしれないなと、俺の視線に気付き目を向けてくる水木を見返しながら、ちょっとだけそう思う。
 水木は、ムカつく。全てに腹が立つ。時に極度の緊張に押しやられ、逆に力を根こそぎ奪われもする。はっきり言って、その過程中は狂ってしまう程に不快だ。だが、それでも総じて振り返り考えて見れば。友人を前にする時のように格好を気にする必要はなく、また大人達と接する時のように気を使わなくて良いので、俺はきっとそういう意味で「楽」もしているのだ。
 水木相手ならば、餓鬼臭いところも、醜いところも、卑怯なところも見せるのに躊躇はない。見られるのに、羞恥はない。それは、ヤクザに蔑まれる程のものではないと自分に自信があるからか。それとも逆に、水木に敵う事などないと諦めきっているからなのか。はたまた、それとは関係なく、俺が水木をどうとも思っていないからなのか。その理由はよくわからないのだが、だからと言って決して水木にどう思われてもいいと思っているわけではない。だから当然、馬鹿にされれば腹が立つし、否定されたら言い返したくなる。正直に言えば、これ以上ないくらいに、水木には心や頭を掻き回されている。けれど、それでも。突っ張るのとは別のところで、やはり、気が楽なのだ。
 イヤな奴なのに、どうしてだろう。イヤな奴だからこそ、俺は安心するのか。正答など出ない事を知りつつ考え、直ぐに俺はそんな自身に呆れる。いつもいつも俺は、それらしいがいい加減な事ばかりを考え、途中で挫折しているのだから意味がない。終わりがないのなら、適当にせねば。
 御馳走さまですと手を合わせながら、やっぱり寝不足なんだよとそこに結論を置く。いつにもまして頭がぐちゃぐちゃしているのは、間違いなく眠いからだ。これでは、眠らない限り同じ事の繰り返しで、進展はない。騒ぎたくないのなら、もう止めよう。いち抜けし、去ろう。
 満腹になった胃の存在を感じながら決意し立ち上がると、水木の目が俺の動きを追って来た。そこで漸く、自分が見ていたように、相手にもじっくりと見られていた事に気付き、不覚にも心臓が跳ねる。己の事を棚に上げ、見てんじゃねぇーよとつい眉を寄せる。最早これはもう、条件反射のようなものなのだろう。気分的には不快とまでもいかないのに、そんな態度をとってしまう。はっきり言って、ただのガキ。だが、分かっていても簡単には治りそうにない。なにより、睨んで威嚇した程度では、反省まで行き着く必要はないだろうとも思う。そうコレは正当なものだ。
 だから、何だよとの意味を込めて睨むと、水木は無言で立ち上がった。今度は俺がそれを追う様に視線を上げるが、何となく気まずさからか直ぐに逸らす。決してビビった訳ではないぞと胸中で言い訳しながら空いた食器を纏めていると、横合いから伸びてきた手にそれを奪われた。
 背中を向けた水木が、シンクの前で腰を落とす。どうやら食器洗浄器がそこにあるようだ。
「アイツは根っからのヤクザだ」
「……誰が?」
「若林」
「……」
 根っからのヤクザという雰囲気ではないんだけどな、と。若林さんの何を指してそう言っているのかと思いながら、残る食器を運び水木に渡す。洗浄器は、家族用なのだろう。無駄にデカい。
「見た目からか堅物に思われがちだが、そんな事はない。戸川以上に柔軟で、手強い。余り懐くな」
「……。……あのさ」
 どれから突っ込めばいいのかわからず、とりあえず保身に走ってみる。だが、予想外にも、それは墓穴に繋がった。
「懐くなって、俺は犬や猫じゃないんだけど」
「床で寝ている奴が、何を言う」
「……いや、だってあれは、その、」
 そうくるか!と驚愕しつつも、一理あるその意見に羞恥も覚え、口篭ってしまう。反論したいのに出来ないもどかしさから、無意味に動かした唇を引き結び、俺は水木を見下ろし睨んだ。この男は確実に、無視して流すべき箇所を常に間違えている。最悪だ。
「…………別にいいでしょう」
「良くはない、風邪をひくぞ。第一、お前も寝難いだろう」
「…俺は、別に」
「次からはちゃんとベッドで寝ろ。今度見つけたら、横抱きで運ぶ」
 大丈夫だと、俺がどうなろうと構わないだろうと。それとも、リビングで寝たら邪魔になるのかよと言い掛けた反論は遮られ、非常な命令が降って来た。プラス、脅し付きだ。こんなものは全然要らない。熨斗を付けて返してやりたい。
 って言うか、オイ。
 横抱きって…それは、その。所謂、お姫様抱っこの事か…?
「…………」
 確かに、嫌だ。脅しにはなる。だが、現実味がなさすぎて、逆に何も感じない。子供が負け惜しみに吐く暴言と変わりなく、取り合う気にもなれない。
 だが、それでも。このまま水木の馬鹿な発言で閉めるのは、何だか面白くなくて。無駄だとしても、抵抗したくて。正当だが今更な、説明にもならない分かりきった理由を俺は口に乗せる。
「……でも、さ。あれは、貴方の寝床だろ」
 ちょっと床で寝たくらいで、子供のように扱われては堪らない。たったあれだけの事でお姫様だっこなどされたくない。だが、それを回避するには水木の理解を得なければならないらしい、この状況。またしても、あり得ない。子供を強制的に運ぶ手段か、バカップルのじゃれあいか。何にしても、どちらでもない俺にそれを実行しようなど、言語道断だ。腕力にどれだけ自信があろうとも、やってはならない。それをコイツはマジで言っている…のか?
 だったらかなりキツイ、理不尽だと思いつつも、それでも少しは分かって貰えるかもしれないと渇望し健気に続け紡いだ言葉は、しかし途中でバッサリと綺麗に切られてしまう。
「俺がいくら厚かましくとも、毎晩毎晩、占領は出来ない。それが普通でしょう。だから――」
「普通だろうと異常だろうと、すればいい」
 水木の言葉に眉が寄るのを止められず、顰め面で俺は言葉を吐き出す。
「……ですから、俺は出来ないと言ってるんです。ちゃんと話を聞いて下さい」
「それは、遠慮か?」
 わざわざ言葉にしてンな事を確認するな…!
「……俺だって、そのくらいの事は出来るので」
「する必要はない。俺が使えと言っているんだ、気遣いは無用だ。だが、それが嫌悪ならば、話は聞く」
「…………」
 ……なんだそれ。無意味に高い目線で何を言っているんだコイツ。聞くと言ったその言葉、一生覚えていてやろうかオイ。
 お前に人の話が聞けるのかよ、それならそうと早く言え、具体的にそれを態度で示して見せろよ、実践しろ。そう嫌味を次々と胸中で吐き出していた俺の不意を付くように、水木は前言を撤回するような言葉を繋ぐ。
「あのベッドが使えない、使いたくないのなら新しいものを用意しよう。お前専用の寝室を作れば良い」
 だから絶対床では寝るなと言った水木は、洗浄器の蓋を閉め立ち上がった。普通に何事もなかったかのようにシンクで手を洗う男の横顔を眺め、俺は聞こえるように大きな溜息を吐く。理解出来ない、したくもない言葉が耳を通り抜けていったのだが、追いかけ捕まえる気力も湧かない。聞くと言いながら、何を自己完結しているのだろう。閻魔に舌を抜かれやがれ宇宙人。いっぺん地獄へ行って来い。

 この先も絶対に噛み合う事はないのだと思わせる、根底から微妙にズレた会話にはもうほとほと飽きた。遠慮していると気付ける奴が、何故に新たな品を買い与えようなどと思うのか。全然わかっていない。そこまですれば相手が完璧に退くと、どうして気付かない。平坦な声で、表情で、簡単に爆弾を落とすなテロリスト。それとも、ホンキで俺を壊す気か?
 こいつは俺をこうして甚振り遊んでいるのだろうか。戸川さんが言うような、善意あるものではなく。やっぱりただの暇つぶしの嫌がらせなんじゃないかと、こういう面を見せられるとそう思わずにはいられない。マジで俺はヤバイんじゃないか?と。頭の半分では水木や戸川さんを信じかけているのに、心では疑いを持っていて、けれども精神的には頼れる何かが欲しくて甘えたいと願っていて、訳がわからなくなる。これでは、正常な判断など出来るわけがない。向けられた言葉に反応するだけで一杯いっぱいだ。
「……買う事はないでしょ、買う事はさ。俺、そこまで居ないよ…たぶん」
「ならば、居ればいい。好みのものを買ってやる。それを使え」
 ベッドに好みも何もない。寝られれば十分であり、俺は毛布一枚あれば何処だっていい。それこそ、毎日床でもいい。だから、妙な事を考えないで欲しい。
「ですから、買わなくていいってば」
「だったら、観念してアレで寝ろ」
「……」
 ……いや、もう、だからさ、なあ。ひとの話を聞けって、オイ。寝ろじゃないンだってばさ。観念って、俺が妥協してソレというのは変だぞ絶対。居候のレベルが上がってどうするよ?
 別に、水木のベッドを正当に評価し高位置に捉えているわけではなく、確かに観念せねば使えないモノに位置付けてはいるけれど。それでも、ベッドはベッド。床やソファよりも断然、居候には贅沢なモノで。どう考えても、観念でも、妥協でもない。
 有り難迷惑とはこの事かと胸中で嘆きながら、俺は頭を軽く振る。すると、水木はそれを否定と思ったのか、問題があるのかと問い掛けてきた。この状況で、問題がないわけがないだろう。そんなボケ、ちっとも面白くない。さっきの笑いで、俺のそれは涸れ切ったんだよコン畜生。
「じゃ、言わせて貰うけど、さ。貴方はどうするンですか? 帰って来て、ベッドが俺に占拠されていたら、ムカつくんじゃない? ここへは寝に帰って来るだけだと言っていたでしょう。だったら、あのベッドで寝られないのなら、帰ってくる意味がないだろ? ならそうなった時、アンタは俺を起こして退かせるの? 諦めてソファででも寝るの? それとも、別の眠れる家へ行き直すとか? 何にしろ、俺はアンタに余計な手間をかける事になる。だったら、つまりは始めから、俺がベッドを借りなければ問題ない。そうだろ?」
 次々と生まれる言葉を拾いあげ口に出した後で、そうだよ、そうすればいいんだよと俺は改めて納得する。アホみたいにズレた事で揉めているから、根本的な解決策を忘れていた。水木がいつ寝に帰ってくるかわからず苦労するのなら、俺が最初から違うところで寝れば何も問題はないのだ。ただそれだけの事。
「俺、そこのソファを借りて寝るようにします」
「駄目だ」
 即答。否定。でも、何で?
「邪魔…?」
「俺が、イヤ」
「……」
「嫌なんだ」
 まるで告白でもしている女子高生のように真剣な顔で、高い位置からイヤだと言う。これが本当に女の子なら、幼い子供なら、ヤダッ!と言う感じに短く区切って発音するその言い方は愛らしいのだろうが。一回り年が離れた男となると、話は違う。全く違う。断じて、違う。
「…………可愛くねぇ」
「そうか。だが、お前は可愛い」
 ふざけた物言いに素直な感想をストレートに述べると、更に馬鹿な一言が落ちてきた。おべっかのつもりなのか、からかっているのか、何なのか。可愛い?俺が? 冗談がキツい。ガキとはいえ、年が離れているとはいえ、よく二十歳の男に面と向かって可愛いなどと言えるものだ。そう、可愛いなんて――。
「……はァ? なッ、ヤ、ちょ、バ…!」
 繰り返した内容にではなく、そんな発言をした水木とされた自分を解釈した瞬間、羞恥が湧いた。なんて奴だと呆れながらも、端正な男のその台詞に素直に照れてしまう。よくもまぁ、表情ひとつ変えずにそんな事が言えるものだ。ある意味、感心する。だが、否定として侮辱として言った俺の言葉をただ拾いあげただけなのだろうが、向けられた側としはドギマギしてしまい、褒める気になど到底ならない。驚き焦る口から飛び出すのは、非難のみだ。
「バカ、可愛いって何だよ。ンな話はしていないだろっ!」
「だが、可愛いものは、可愛いだろう」
 明らかに、今度はからかっての発言だとわかる笑いを浮かべた水木に、俺は顔を顰め頬を膨らませる。
「だから、やめろって。可愛いなんて言われたくない」
「お前が悩んでいるのはわかっている。だが、俺にはその青さが微笑ましい」
「……」
「可愛がって何が悪い?」
「……それって、ただ馬鹿にしているだけじゃん」
 何を開き直っているんだと、いい加減にしろよと俺は水木を睨み付ける。だが、サラリと凄い言葉を落とされ、次の瞬間にはフリーズしてしまった。
「違う。愛しいって事だろう」
「…………」
 …………はい?
 イトオシイ――って何だよ、オイ。
 空耳か?と拒否しつつも頭で繰り返し、苦汁を飲むように噛み砕く。だが、それは消化不良になりそうなもので、出来ればやはり飲み込みたくなどない。吐き捨て、トイレにでも流してやりたい。
 最悪だ。俺が嫌がっているのが何なのか、この男は全然分かっていない。人の話を聞いていない。「可愛い」に対し呻いている奴に向かって、「愛しい」はないんじゃないか、なぁオイ? ダメージを受けている奴を更に甚振るだなんて…鬼畜だ。悪趣味め。誰かこいつを逮捕しろよ。
「…違うじゃないだろ。どうやったら、そうなるンだよ。訳分かんねぇー」
「どうもこうもない。お前も、隆雅に対し同じように思ったはずだ。わかるだろう」
 体の向きを変え、腰掛けるようにシンクに凭れた男が、ポケットに手を入れる。だが、ふと気付いたようにそこに見つけたものを取り出す事はせずに、そのまま手を抜いた。何も持たない指先を見つめ、ああ煙草か…と思い当たったが、吸えばいいと促す気にはならなかった。水木の趣向よりも、言われた言葉の方が気になる。
「何のこと…?」
「友達と喧嘩をしたと聞いても、馬鹿にはしなかっただろう。それは、4才児のそれを可愛く思ったからだろう。違うか?」
「……それはそうだけど、」
 おっしゃるとおり、可愛く思いましたともさ。けれど、アレとコレでは全然違う。俺は落ち込む子供を元気づけようとしたのだ。弄んだわけではない。上手い言葉はかけられなかったが、適当に流したわけではない。精一杯の対応はしたつもりだ。
「話が全然違うでしょう」
「違わない、俺もそれと同じだ。だから、そうカリカリするな。腹を立てるな」
「……」
 …いや、だから。俺が違うと言っているんだ。勝手に決めるな。そんな言葉ひとつで腹を立てずに済むのなら、こうも苦労はしていないだろバカ。
「何言って――」
「具体的にソコが悪いんだと言うのならば、出来る限り気を付けるようにする。それは可能だ」
「…………」
 ――ハィ? 今度は何の話に転がったんだ?
「だが、お前はそれ以前に、俺の全てにムカついているのだろう。ならば悪いが、そんなお前が気に入るように変わってやる事は、流石に出来ない。俺は、俺でしかない。他の誰かのようにはなれない。だから、なぁ大和。どうにか今のままで折り合いを見つけてくれないか」
「折り合い? え、あ、いや…折り合いって、そんな……」
 覗き混むように僅かに体を傾けた水木に、俺は言葉を詰まらせながら目を瞬かす。まるで俺とリュウの様子を再現するかのような、子供を宥めているかのような相手の雰囲気も、そんな風に扱われている自分も嫌だが、上手く拒絶出来ない。それくらいに、中身はともかく水木の言葉は意外な程に柔らかくて、温かくて、俺は不覚にも見事に戸惑ってしまう。キャッチ出来ずに転がったそのボールを、拾うべきなのか遠ざけるべきなのか、すぐには決められない。筋が通っていないグズグズな理論であるのに、頭で分解し飲み込むには時間が掛かりそうなのに。心は理屈を無視し、貪欲にそれを取り込もうとしている感じだ。まるで俺は、欲張りな子供のよう。欲しいわけではなかった物なのに、目の前でちらつかされると気になって仕方がなくなる。
 愛想無しな口調であるのに、すんなりと体に染み込むような水木の言葉は、どこかこそばゆい。俺が焦る必要はないのに、落ち着かない。例えば今、同じような調子でお前は間違っているぞと説かれたならば。俺はそうなのかとあっさり納得してしまうのだろう。服従心が生まれるような強い口調でも内容でもないが、そういうのとは違う次元の場所で、まるで俺は水木の言葉が事実であるのだと知っているかのような。そんなふざけた錯覚を、俺は起こしかけてしまっている。
「…………」
 俺は知らずに洗脳されているのだろうか?
 いや、そんな訳ではなく、ただ単純に。正しいのは水木だけのようなおかしな感覚を持つのは、そんな力が水木にあるからなのだろう。それとも、やはり俺の方に問題があるのか…? 訳がわからない。悔しいのかなんなのか、このまま泣き出してしまいそうだ。子供だ。完璧に、まるで子供だ。水木の言うように、リュウとかわらない。だが、何であれ、聞き分けのよい素直な子を無意識に演じてしまいそうになるのはどうにかしにければならない。しかし、今の俺にはどうにも出来そうにない。流れ込んで来た異常なまでの温さが、頭をも侵し抵抗を消し去る。
 何がなんでも抗いたい程、不快な訳ではない。だが、無害なものでもないのだろう。これではまるで麻薬のようだなと考え、麻薬は言い過ぎかと思い直す。喩えとしても、流石に適さない。洒落にならない。しかし、ならば何と言えばいいのだろうか。この感じを日常の中で探すのは難しい気がする。それでも、あっているのかどうなのか判り難いが、何となく想像を含め考えてみると。憧れのヒーローに会い感動しながらも、実際に接した相手の平凡さに、感触を掴み損ねたような。高揚感や優越感を持ちつつ、いまひとつパッとしないような、そんな微妙な感じと言えるだろうか…?
 ……って、何で悪い方になっている。逆だろう。例えるならば、そのヒーローが大好きなパパだったとか言うべき何じゃないか? 命令された訳ではなく請われたのだから、もっと自分の立場を上にしても良いんじゃないかオレ。折り合いって、そう言う意味だろ? 下手な水木にビビったか、小心者。
 濁流に飲み込まれ足掻くように、頭の中で次々に言葉を生み出し、自分自身に浴びせかける。けれど、何一つ頷けるようなコレと言ったモノはなく、己のそれに溺れかける。水木の発言に動揺しているのだとわかるが、それが何故なのよくわからない。どうして俺は、折り合いなんて見つけられるかよと顔を顰めないのだろう。頼まれたら断れないタイプな訳でもないくせに、そんな気を使わねばならない相手でもないのに、何故即答出来ない?
 一体、俺は――俺は水木に何を思っているのかと探りかけ、結論など出せそうにない散らかった思考を一掃しようと軽く頭を振る。自分の事なのに、何ひとつ上手く言い表せない己に辟易し、溜息を落とす。だが、それでも。
 それでも、奇妙は奇妙でありつつ、その中で心地好さを感じるのも間違いではなくて。疲れと柔らかさが混ざり合った感覚に、酔ってしまいそうだ。
 何故か焦った時のように頭の中を無意味に騒がせながら、片隅で俺は冷静に端的な判断を下す努力を試みる。これが自分の面白みのない箇所だとか、なんて融通の利かない奴なんだとか思ってもみるが、今出来ることはこれしかない。妙な感覚に飲まれていては、自分が自分でなくなるような気がする。だから。  だから。これって何だかんだ言っても結局は、巧く丸め込まれているんじゃないか…?と。だったら冗談じゃないぞ!と、心の中で勢いをつける。
 しかし、己を嗾け気持ちを奮い立たせようとするが、何故か外にまでは出て来ない。やっぱり、湧き上がって来ない。俺の最大の欠点は、ここなんじゃないだろうか。何だかんだと不必要な程に沢山考えるのに、最後の最後で大事な一歩が踏み出せない。実践に結び付かない理屈を捏ねるばかりなのだ。それも、似たような事を、何度も何度も繰り返している。
 これもヘタレと評される部類に入るんじゃないだろうか、情けない。しっかりしろよ、頑張れよ俺。雰囲気に流されるな。自分の事だろ、迷うなよ。気合いを入れるために、表情を引き結び、腹に力を込める。
 そうして漸く、俺は口を開いた。
 だが、声が出たのは水木の方が早かった。


2007/05/21