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 明け方に見る夢は本当に起こるのだと聞いたのは、確かまだ小学生の頃だった。
 それがどんな夢だったのかは忘れたが、幼い俺はとても楽しい夢に喜び話をした。すると、俺と同じように嬉しそうに笑った堂本が、それは正夢になるかもしれないと、夜明けに見る夢は、未来を予知しているのかもしれないと教えてくれた。
 それが本当に起こったのかどうかは、わからない。後で知ったところ、人は毎朝夢を見ているそうなのだから、特別でも何でもないのだ。だが、あの時の感動は今もこの胸の中にあるような気がする。
 あの時の幼い俺にとっては、凄いことだったのだ。信じる、信じないではなく、ただ強烈なことだった。意味もなく興奮した。未来を見たかもしれない自分が、とても特別な存在に思えた。
 だが…。
 今は、俺は子供の頃のように無心に信じることなど出来ない。いや、そんな事はありえはしないのだと、単なる空想だと否定する。
 夢は夢でしかないのだ。

 そう。
 あの朝見た夢は、絶対に起こることはないものだった。
 幸せな夢の先には、悲しい現実が待っていた。

 彼が俺の名を呼ぶ事はなかった。





「失礼します」
 軽いノックの後、一呼吸の間を置いて開く扉を俺はぼんやりと眺めた。現れたのは、堂本だ。最近は、この男の顔しか見ていない気がする。
 いや、気だけではなく、実際にもそうなのだが、それを強く実感するほど、俺は記憶にも心にも止めていないようだ。堂元がこうして俺を訪ねてくるようになり、一体どれくらい経つのだろうか。わからない。
 壁に凭れ、足を投げ出して座っている俺を見下ろし、堂元は少し呆れるような苦笑を落とす。そこに悲しみが見えなくなったのはいつの頃からだろう。俺とは違い、堂元の中では、時は正確に流れているようだ。
「またそこで寝たんですか」
 その言葉に、今が朝なのだと気付く。俺はゆっくりと立ち上がり、堂元が開けたままの扉をくぐり寝室を後にした。後ろから、深い溜息が聞こえる。
「まだまだ日中は暑いですが、もう夏も終わりますよ。きちんとベッドで寝ないと、風邪をひきますよ」
 小言を言いながら、キッチンに入る俺の後ろをついてくる堂元は、「私にも、コーヒー淹れて下さいね」と当たり前のように言う。拒否するほどのものでもなく、俺は二人分のコーヒーをセットし、先に席についていた堂元の前に腰を降ろす。テーブルの上には、すでにいくつかの書類が広げられていた。
「先日話した、FCのファミレスの件ですが。加嶋に任せようかと思っています。一度お会いになりますか?」
「お前が決めたのなら、会う必要はないだろう。…勝手にしてくれ」
「では、そうします。あ、あと霧島から。東方がそろそろヤバイようで、来週にでも不渡りで倒産するんじゃないかと」
「そうか」
「どうします?」
「どうでもいい」
 広げられた書類を見せられるが、何も頭には入ってこない。けれども、いつの頃からか堂元はこんな俺に仕事の話をするようになった。
 何もする気力がなくなった俺を放っておいてくれたのは、半月ほどばかりという、とても短い間だ。それで充分心の整理はついただろうと言うように、堂元は俺を現実へと戻そうとしている。強引ではないが着実に。
 もう、何もかもが、これまでそれだけに力を注いできた仕事さえもどうでもよくなり、ただ自分の殻に閉じ篭った。なのに、俺のその殻は早くも崩れ始めている。
 応える気力もなかったはずなのに、気付けば俺は堂元の言葉に反応するようになっている。だが、まだ、元に戻るほどでもない。
 俺の心は、未だ、彷徨い続けている。
 近い未来は立ち直るのであろう自分を思い描きながら、俺はそれを少しでも先に延ばそうと、足掻いている。

 香るコーヒーをブラックのままで喉に送る。
 俺が砂糖を入れると、実に不味そうに口をつけていた青年の姿が思い浮かぶ。
 目の前に座る堂元は、カップを片手に書類を見、未だ何かを言っているが、言葉として俺の中には届かない。その場所に座っていた青年の姿をそこに見ようと、俺はじっと堂元を見つめる。
 だが、そんなことは、無理というもの。
「…どうかしましたか?」
「……」
 俺は無言で立ち上がり、寝室に戻り扉を閉めた。今度はそのドアを壁にし、その場に座り込む。
 ベッドの上には、誰の姿もない。
 何度そこにあの青年が寝たのか。数えてみれば、たった数回といったものでしかないだろう。だが、何故かその印象が強く、俺はそこに彼の姿を求める。
 一緒に暮らしたのは、約2ヶ月だ。その間、同じ空間を共にした時間など更に少ない。だが、この広い部屋のいたるところに、青年の薫りが残っている。
 仕事に明け暮れていた俺よりも、その間殆どここに居続けた青年が残したそれが、今の俺を支え、そして苦しませている。




 マサキ。
 俺は、とても楽しかったんだ。お前と居るのが。
 お前が迷惑がっているのも怒っているのもわかっていたけれど、それがやめられないくらいに、とても楽しかったんだ。
 子供のようなわかりやすい反応を返してくるのも、冷たすぎるその態度も、何もかもが俺には新鮮で、かまわずにはいられなかった。
 だが、子供だったのは、お前ではなく俺だったんだよな。
 あの頃もそれを感じた事はあった。けれど、その事実が楽しいんだから仕方がない。そんな風に居直っていた。
 こんなにも人との関係を楽しく思ったのは、多分お前が初めてだったんだよ。だから、止められなかった。
 こんな事を言うと、お前なら嘘だろうと顔を顰めそうだけどな、マサキ。
 本当に楽しかったんだよ――

 ――なあ、マサキ。
 お前はどうだったのだろう…。

2003/04/03
Special Thanks to Rei_sama