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引き摺られ連れて行かれたのは、コンビニ内の事務所だった。
受けた暴行のダメージでまともに力の入らないオレは、床に寝そべって肩で息を吐く。耳に入ってくる、警察だとか、それは後だとか、オレの対応を決めているらしい声に、勝手に閉じようとする目瞼を抉じ開ける。
見える範囲に、先程のコンビ二店員と、もう一人同じ格好の中年オヤジ店員と、スーツ姿の眼鏡男が居た。店員らしくはないし、オレを殴った相手にも見えない、さっぱりとした感じの男だ。だったら、攻撃してきた相手はどこかに居ると言う事で、この部屋に居るのかどうかと意識を巡らそうとするが上手くはいかない。元よりそんな器用さはないのだから、体調万全であっても背中の様子を感じるのはオレには無理だ。
だが、わからない現状に冷や汗が滲み出る。身体の痛みが、無視を許さない。恐怖が煽られる。
闇雲に動かすオレの視線に気付いたオヤジ店員が、「おう、兄ちゃん」と呼びかけ目の前にしゃがみ込んできた。言葉に似合った関西系の顔だと思ったのは、ある意味現実逃避なのかもしれない。
「アホな真似してくれたのゥ。警察、行くか?」
疚しい事がある身には、警察なんていう言葉は脅しになるのだろうが。オヤジ店員の影が、そのまま俺の頭の中にかかる事はなく、寧ろオレにとってそれは光だった。最初からそれを望んでいた。何より、今はもう一刻も早く、この現状から解放されたいと思う。
急くようにハイ、と。掠れる声と共に瞬きで頷いたオレに、オヤジ店員が顔を顰めた。
「なんやお前。警察に捕まりたいんか?」
「…はい」
「と、言う事は。金を取ろうとしたのも、弁当盗んだのも、火ィつけたのもその為か?」
「……はい」
「兄ちゃん、『ハイ』しか言えんのかい?」
「…………あの、警察、呼んで下さい。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
体を起こそうと頑張るが、無理だった。仕方がないので、不安定な姿勢のままそう言ったオレに、オヤジ店員は立ち上がり溜息を吐いた。顔を上げ、オレはオヤジ店員が背負う蛍光灯に目を細めながらも見上げる。
「何が、申し訳ないやッ!」
視線が合うと同時に、オレは顎に衝撃をくらい後ろに飛んだ。
「警察行きたけりゃ、勝手にいけや。捕まりたけりゃ、ちんけな事してンと人でも刺せやアホゥ!」
ノータリンが、胸糞悪い。
吐き捨てるオヤジ店員が、ソファにドカリと腰を降ろす。オレの性根が気に食わないらしい。だが、息すらまともに吸えないオレには、それを詫びている余裕はない。
「…ッ、ァ、…ン」
口の中に溢れる血に噎せ返るが咳き込むことも出来ず身悶えるオレを、誰かが起こし座らせた。涙で滲む視界で捉える四人目の男も、堅いスーツ姿。だが、ずっと部屋の中にいたのだろうが気配も見せなかったそれに、オレを殴ったのはこの男だと憶測する。
しかし、不思議にも。覚えたはずの恐怖は、俺の中に一切ない。鈍く打たれた先程と違い、今オヤジ店員から流血を伴う暴力を受けたからだろうか。男に対する畏れが、とても鈍っている。
「切れただけだ」
片手でオレに口を開けさせた男は、そう言っただけで俺の身体を離した。汚れただろう指を気にせず、両手をポケットに仕舞いオレをじっと見下ろす。同様に、オレもまた口を伝う滑りをそのままに男を見上げた。目からも雫が流れる。
「何故、捕まりたい」
静かな問いは当然のものかもしれないけれど、オレの状況には似つかわしくないように思えた。初めてと言えるほど酷い暴力を受け、支えるのは難しい体を無理やり起こし、血と涙に濡れながら、それでも自分の現実を披露せねばならない滑稽さ。痛みが一瞬どこかへ飛んだような気がした。
だけど、それでも。迷惑を掛けられた方としては、どんなに馬鹿げた理由だと憶測出来ても、それを聞きたいものなのだろう。殴って、痛めつければ、もうそこに何があろうと関係ないのに。それでも問わずにいられないのだろう。
迷ったのではなく、息を整える為に使うオレの間を、男は邪魔せずに待つ。その様子に、これは義務だとオレは思い、痛む口で言葉を繋いだ。
「……刑務所に、入れば…生きていけるかと、思って…」
言葉尻は自然と小さくなる。
それしかないと、それでいいのだと選んだ時は思っていたのに。こうして人に迷惑をかけたからか、痛みを与えられたからか、言葉にしたからか。今になって、違ったのかもしれないという気持ちが生まれてくる。馬鹿だとはわかっていて尚、選んだつもりであったけれど。オレは全然わかっていなかったのかもしれない。
何て事をしたのだろうと気付けば、男の目を見る事なんて出来るはずもなく。家は?仕事は?家族は?と続けられる問いに、全て俯けた頭を横に振る事で答えるオレに、関西弁の濁声がまた上がった。
「ほんならお前、自分じゃ何も出来んから、他人様の税金を使ぅたろォ思たンかい!」
「……」
そんな事も、言われて初めて思いつく。
オレはただ、自分が生きていくべきなのかどうかがわからなくて、決められず悩んでいる間にも腹は空いて。けれど、己の空腹を満たす為に何処までの事をしていいのかわからず、自分に許せる範囲で思ったのが、小さな罪くらいならばというもので。
そして、それを考えた時、そのまま刑務所に入ればいいんじゃないかと思ったのだ。捕まり罰を与えられれば、三食食える。生きるべきかどうかも悩まずに仕事を与えられる。単純に、ただ本当にそう思っただけなのだ。
人に迷惑を掛ける事は出来ないからと、人を傷付ける選択はしなかったつもりで。オレがとった行為は確かに「強盗」に分類されるのだろうけど、相手の心に傷を作るような恐怖を与えたつもりもなく、自分が決めた定義の中では、オレの行動は正しい思っていた。信じていた。だけど、今になって疑問が浮かぶ。
税金なんて思いもよらなかった事を言われ、それが更に揺らぐ。
刑務所にいくような事をしでかそうとも、オレのそれによって迷惑を掛ける人はいないと思っていたのに。掛けるつもりはなかったのに。結果は全然そうではないのだ。オレは根本的なところから、一番初めから間違っていたのかもしれない。
「ロクに税金も納めた事のない奴が、図々しいこっちゃ」
「……スミマセン」
血が混じる唾液を飲み込み謝罪を口にすると、オヤジ店員はドンッと向かいのソファを座ったままの状態で蹴りつけた。
「立て」
前に立ったままの男が、手を伸ばしながらそう命令してきた。また殴られるのかと、どうしてもビクついてしまう身体は言う事を聞かず、オレは男の手を見つめるしか出来ない。
「骨に異常はない。力を入れろ」
二の腕を捕まれ、強い力で引き上げられた。骨は大丈夫でも、身体も精神も震える状態では力なんて入らない。自力で立つのは無理だと気付いたのか、男が青年店員にオレを支えるように命令し、そのまま数歩後ろへ下がった。
「白名。この男にする」
振り返る事もせず、呟くように。落とした声のまま男はそう言った。
「本気か?」
眼鏡男が眉間を寄せながらも、振られた話を理解したのだろう肩を竦めながら応える。
「なんやねん。お前ら、こんなガキどうするんや」
怪訝な顔をするオヤジ店員のように表情には出せなかったが。
じっくりと見てくる男の視線に、何かを考えているその顔に。
オレは自分の運命が再び大きく変わっていく音を聞いた気がした。
2008/04/04