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 養父母の初盆は、何もせずに過ぎた。
 オレの毎日のスケジュールは、ほぼ決まっているけれど。それでも、何処かへ行きたいと言えば叶えられるのだと思う。実践した事はないが、時たま古椎さんなり、白名さんなり、「用はないか?」と気に掛けてくれる。大抵、無いと答えるから、予定通りに動く事が殆どだ。だが数回だけ、食料調達の為、帰路の途中に買い物へ寄ったことがある。しかし、それもイレギュラーとはいえない程度のものに過ぎない。
 強制ではなく自主的に、オレは決められた枠に収まっている。一度欲を出せば際限がないからと、危惧して己を戒めているわけではない。単純にオレが、これまでの人生と、今ここでする生活を切り離した方がいいと思うからだ。
 確かに続いているものなので、こんな事は馬鹿げているのかもしれないけれど。この世界は別物だという意識を捨てて考えるわけにはいかないだろう。裏社会に関わる事で、平穏だった生活の記憶が、侵略されるだとか、汚されるだとか、そういう訳では決してなく。それぞれを大事にしたいから、混ぜ合わせたくはないと思う。合わせてしまえば、絶対に今を否定する事が多くなる。
 だから、墓参りへは行かない。薄情だと彼らに言われようと、ここに居る間は、養父母には会わない。
 彼らがどこへ戻ったのか、オレはあえて考える事を放棄し、日常になった生活でその数日を終えた。
 今のオレは、ここで生きている。


 月は変わっても、まだまだ暑い日が続いている。だが、サマースーツもそろそろ終わりなのだろうか。古椎さんに連れられて、オレは何度目かになるテーラーに足を運んだ。
 高校を出て就職した先では作業服が制服であり、成人式も出席しなかったので機会がなく、初めてスーツを身に纏ったのは養父の葬式だったりするのだが。そのフォーマルを数に入れなければ、この仕立屋で袖を通したのが、オレのスーツデビューだ。キクさんのところで住むようになって一ヶ月も経っていない頃で、既製品を手直ししたものだった。
 キクさんの家にいる間は、たまに外出する時に着るのみだったので、シャツやネクタイを替えるだけで充分であり、一着でよかった。だが、正式に愛人となるとそうもいかないらしく、今は安斎さんと会う都度、出掛ける場に合わせた衣装を用意されている。シックなものから、華やかなものまで色々だ。いつの間にか普段着も、無難だからだろうかスーツが多い。
 今回のものに加え、数ヵ月後もこの生活を続けていたならば冬物も新調するのだろうから、更にクローゼットの中身は増えるのだろう。これまでの人生で買ってきた服よりも、この数ヶ月で用意された服の方が断然多い。金額となれば、何倍にもなるんじゃないだろうか。
 仮縫いの衣装を合わせ終えたオレは、出されたお茶を飲みながら、別室へと消えた古椎さんを待つ。長居しても可笑しくはないこの手の店は、何かと役に立つらしい。人の良さそうな店長さんだが、それ以外の顔もあるの顔しれない。
「待たせたな」
 ぼんやりとそんな事を考えていたところに、古椎さんが戻って来た。店員に見送られ、店を後にする。
 本当は安斎さんと来る予定であったのだが、都合が悪くなりこの後の食事も流れた。その為に時間が空いたのはオレだけではないようで、駐車場で車に乗り込んだ後、古椎さんが用はないかと訊ねてくれる。だからって決して暇なわけではなく、彼にとってはこれも仕事の一部なのだろうけど。なんだかちょっと、オレなんかをそこまで面倒見ている古椎さんには悪いが、正直嬉しい。
 だけど、残念ながら、特に用はない。古椎さんが淡白なら、オレは愛嬌なしだ。
「マンションでいいです」
「食事はどうする?」
「古椎さんはどうするんですか?」
「外で食いたいのなら、付き合う」
「いえ、特に…」
 その主はオレだと解釈し、反射的にそう答えるが。外食をすれば古椎さんが付き合ってくれるので、一人で食べなくて済むんだなと後から気付き、オレは直ぐに悔やむ。寂しくはないが、一人で食べるよりも誰かが居る方が断然いい。外食は、立場的に気が進まないけれど、しくじった。
 折角気を使ってくれたのに馬鹿だと自分に呆れ、けれども、その優しさにしがみ付けないかとオレは欲を出してみる。
「時間があるのなら、上がって食べていきませんか?」
 外食ならば、上司の愛人の相手をするのは仕事かもしれないけれど。わざわざ家食に付き合うほどの暇はないかと思いつつ、訊くだけでもと訊いてみる。大したものは作れないが、これまでにも何度か食しているのを見ている限りは、オレの料理が口にあわない風でもない。
「作り置きがあまりないので、一時間程用意に掛かりますけど…。良かったら……」
 マンションの駐車場に着いて漸く、あのまま無言だった古椎さんにオレは提案する。毎日のように顔を合わすので、丁度食事時に部屋に来た時だとかは普通に訊ねたけれど。こうして改めて誘うのは、初めてだ。意味なく緊張してしまう。
「面倒だろう」
「一人分作るのも、二人分作るのも変わりません」
 ハンドルを握った腕の時計を見る古椎さんに、オレは駄目押しするように言い切る。何を頑張っているのか。思う以上に自分は、安斎さんとの鮨が流れてしまったのが残念だったのかもしれない。
 ご馳走になろうと古椎さんがエンジンを切った時、オレはとてもホッとした。

 定年を迎えた養父は、基本暇だったのか、台所に立つ人だった。そんな風に、オレは男が料理をする事が当然の環境で育ったので、包丁を握る事に違和感は全くない。だが、この年齢の男としては、少し珍しくもあるのだろう。
 マメだなと言った古椎さんに、貴方が食べているのは豆じゃなく芋だと言いそうになり、そう言う意味ではないと気付き慌てて飲み込む。本気でボケかけ言葉を詰まらせたオレを気にする事もなく、古椎さんは肉じゃがを食べながら、「料理、好きなのか?」と訊いてきた。今までに何度も食べていて、今更であるその質問に少し笑ってしまう。
「嫌いではないですけど、好きというほど凝ってはいません。普通です」
「普通じゃないな」
 感心したわけでも貶したわけでもないとわかる、ただの事実のように聞こえる感想。表情は変えず、けれども淡々とという風にではなく意志をもって口へと運ぶ箸を眺めながら、オレはこの瞬間に満足を覚える。本当に、好きだとか嫌いだとか、そう言うものではなく。料理をするのはただ、栄養を摂る為の手段のひとつに過ぎないものなのだけれど。箸を勧める男の様子が楽しくて、多少なりとも腕があって良かったと思う。
 子供のころは手伝い程度で、特に作れる物はなかったが。養母が膝を痛めてからは、台所に立つ機会が増えた。養父が入院してからは、殆ど夕食はオレが作った。だが、食が細くなった養母と二人きりのそれは簡単なものばかりで、感心されるほども上手なわけではない。
「少し、慣れているだけですよ」
 レパートリーは多くない。和食が中心で、後は子供が好きなファミレス食だ。安斎さんと食べるような洋食は、本がなければ絶対に無理だ。名前を訊いても思い浮かばない食材がいっぱいなので、本があっても怪しいかもしれない。
「古椎さんは、自分で作ったりしないんですか?」
「出来ない」
 しないではなく、出来ない。それは忙しくて無理なのか、それともセンスがないと言う意味か。どう取ればいいのか少し考えてしまう短い言葉は、けれどもとても古椎さんらしくて。
「教えましょうか?」
 からかうつもりはなかったが、気付けばそんな言葉をオレは向けていた。顔を上げて視線を向けてくる古椎さんに、にこりと笑ってしまう。
 ほんの少しだけ眉間を寄せた古椎さんは、何も言わずに食事を進めたけれど。
 オレはなんだか、凄く胸がいっぱいになり。同時に、どうしてだか、ちょっぴり泣いてしまいそうな感じになった。
「もっと喰え」
 箸を置いたオレに、半分以上残った皿を指して古椎さんは言ってきたけれど、身体は受け付けなくて。
 困って笑うしか出来なかった。

2008/04/08
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