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ふと気付く。最近、オレは養父母を思い出す事が少なくなっている。
季節を感じた時、料理を用意している時、誰かと喋っている時、テレビを見ている時。いつでも、何かに託けて思い出していたというのに、この頃は考える事すらあまりない。薄情なのか、また余裕がないのか。それとも、無意識に意識してのものなのか。
オレは今の事ばかりを考えている。
「アレはパフォーマンスだろう」
白名さんはそう言い、同意を求めるように古椎さんを振り返った。古椎さんは新聞から目を離さずに、あぁと短い返事をする。パラリと紙が捲くられる音が応接室に響いた。本部のこの部屋は必要以上に広いのに、閉塞だ。音が篭り、小さなそれを端まで届ける。
「でしたら、もう次はないんですか?」
二人の意見に、オレは首を傾げる。アレが余興であったのなら、被害が何もなかったのも頷ける。夜遅くにだが、安斎さんがその日の内に駆けつけたのも納得出来る。驚いたオレとしては、危険ではなかったと言われるも同然で面白くはないけれど。本気で狙われたと言われるよりもマシだ。
だけど。それが本当なら、そうわかっているのなら、どうしてこんな事になっているのかと、現状に疑問が湧く。
襲撃にあってから、オレは常に誰かと一緒に居る状態だ。眠る以外は、マンション内であっても、いつも人が置かれている。殆どが、古椎さんや白名さんで、二人の様子に変わりはないからよくわからないが。時たま他の人がつく時は、今までとは違う緊張を感じる。だから、多分、オレには具体的には知らされていないが、警戒は強まっているのだろう
しかし、周囲はそういった状態でも、オレ自身は相変わらずだ。言われた事を言われたようにするのみで、何も変わっていない。これも多分だけど、オレにとっては驚くべき事態であったが、彼らにとっては予測範囲内の事態だったという事なのだろう。だから、オレが気にするべきことじゃないのだと、努めて忘れるようにしていたのだけど。
襲撃者の判明が進まないことを古椎さんに語った白名さんが、あの襲撃はそもそも本気ではなかったのだろうと言い出した。調査の結果か、ただの勘か何かは知らないが。相手が本気でないのならば、以前のような状態でオレはいいんじゃないのかと思う。
むしろ、いいと思うというか、是非とも戻してもらいたい程だ。正直、オレが頼りないばかりに迷惑をかけている事態は、本当に申し訳なく、また息苦しい。
だから、少し期待を込めて聞いたのだけど。白名さんは、「そんな訳がないだろう。あるだろうから、網を張っているんだ」と肩を上下に動かす。
「近い内に、また仕掛けてくるだろうな」
「可能性は高い」
こちらも予想していたのか、平坦な声で応えた古椎さんが顔を上げオレを見る。
「問題ない」
「…はい」
いや、問題ないと言われても。
「周囲は固めている。お前のところまでは行き着かないだろうが、まあ、それでも気を付けろよ伊庭」
「はい…」
だから、気を付けろと言われても。
オレが出来るのは従う事のみで、危険回避などの能力は自分には全く備わっていない。頼まれたとしても無理だ。
「怖いか?」
眉を寄せたオレを、白名さんがからかってきた。だが、言われて考えてみるが、そう言う意味での恐怖はなかった。確かに、暴力を受けるのかもしれない事は怖い。痛さを避けられるのなら、それに越した事はない。当然だろう。だけど、そう言う意味じゃなく、オレが狙われる事に対しての恐れはない。
それは、オレ個人に向けられているものではないと思うからか、実感がただ沸かないだけなのか。それとも、問題ないという二人の言葉を心底から信じられているからか。安心はしていないが、やはり怖くはない。先日の襲撃は驚いたし、恐ろしかった。多分、また同じ事があったら、同じように驚き震えるだろう。それでも、逃げ出そうとは思わない。
「怖くはないです」
「頼もしいねぇ」
「いえ。ただ、そういう危険を、恐怖を、想像しきれないからだけだと思いますけど…」
「けど、何だ」
入り込んできた古椎さんが、続きを促してくる。
深く考えていたわけではないのだが、請われてオレは頭の中を探る。
「けど…、その、なんて言うか。安斎さんの本物の愛人さんが無事であるのは嬉しいので、役立てている安心感の方が、ボクの中では強いです」
ああ、そうだ。オレはこの為に居たのだとまでは卑屈にならないけれど、狙われたのが自分であって良かったと思っているのだと言葉にして気付く。待ち伏せされ狙われるくらいに、自分は安斎さんの愛人として見られているのだなと実感する。
実際には、ただオレ自身が目障りであってのものだったのかもしれないのだけど、と。安斎さんの傍に居れば、そう言う意味での個人的な恨みは買って当然かと考えるオレの目に、顔を歪めた古椎さんが映る。
もしかして。オレの余計なひと言で、本物の愛人が襲撃されたら…と、悪い想像させてしまったか。
「……あの、他の人達は、大丈夫なんですよね?」
犯人の目的が安斎さんの愛人で、それがオレだけならば安心だけど。一人に搾るとは限らないし、オレだけで終わらせるとも限らない。他の人達が襲われるような事があったら……、そう考えると、確かに恐怖が湧く。もし、安斎さんの大切なものを守りきれなければどうなるのか。想像すらしたくない。
オレの価値を上げる為、オレを大事にして見せ付けるのもわかるけれど。オレが餌なのならば、もっと適当でいいと思う。こんな風に、常に人を張り付けておかずとも、見せ掛けの警護でいいんじゃないだろうか。他の人達にも、当然、危険が及ばないよう手筈しているんだよな…?
「ボクよりもその人達を守る方が――」
「あのなぁ、伊庭。お前は、組長が今一番気に入っている愛人だ」
浮かんだ焦りを口に乗せたオレを、白名さんが制した。
「それを作ったのは俺達だ」
「はい」
「だからな、心配はする必要はない。お前自身のことも、他の奴のことも問題ない。間違っても、組長に訊くなよ」
「はい、…って、え? 安斎さんに、ですか?」
「そうだ」
強く言われたそれに、釘をさされるほど安斎さんに訊ねてはならないような事かとオレは首を傾げるが。確かに、素人であるオレなんかに、自尊心が高いヤクザが心配されるというのは沽券に関わるようなことなのかもしれない。愛人自身がどうこうよりも、ちゃんと考えて対策を立てているのだろうから、部外者に口を挟まれたくないはずだ。
自分の感覚で物事を口にするのは気を付けなければと思いつつ、わかりましたとオレは白名さんに深く頷きを返す。その向こうで古椎さんが冷めた眼を向けてくるが、何も言わない。多分、馬鹿な事を言っていると呆れているのだろう。
「お前、またズレた事を考えているだろう?」
神妙な気持ちになったオレに、白名さんが唇を歪めながらそう言った。そんな事はない、ちゃんと理解していると真面目に答えると、「周りから天然だと言われていただろう?」と、妙な方向へ話を飛ばされる。
「誰がですか?」
「お前意外に誰が天然だと言うんだ」
「いえ。あの、ボクもそんな風に言われたことは一度もありませんけど…?」
真面目にクソをつけられた事はあれ、面白くないと面と向かって言われた事はあれ、天然だなんて言われたことはない。それに付きものなのだろう愛嬌が皆無なのは自分でわかっているので、白名さんのその判断がどこから来たのか、全くわからない。
だけど。ひとまわり以上歳が離れた彼から見れば、二十歳そこそこの餓鬼など全員がそうなのかもしれない。
「お前は天然だ、伊庭。自覚しろ」
言い切る白名さんに、オレは苦笑する。
何だか、急に子供に戻ったようなこそばゆい感覚に、オレは決して褒められているわけではないのに心地良さを覚えてしまう。
2008/04/30