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知人の息子の卒業祝いを買うのだと言う安斎さんに付き合い、ペットショップへ行った。ショーケースの中で騒ぐ仔犬を示し、オレに選べと言う。当人の希望は訊いていないのかと驚くと、贈るのは自分だからと安斎さんは言い切った。
それなのに。
その後、オレには「明日は誕生日だろう、何が欲しい?」とちゃんと訊くのだから、堪らない。考える手間を省いているのか、オレの希望を尊重するつもりなのか、どう捉えればいいのか疑問だ。
「折角ですが、生き物はちょっと…」
「別にこの中から決めろとは言っていない」
オレが抱く仔犬を指一本でからかいながら、安斎さんが軽く笑う。
「欲しいものはないのか?」
「充分に頂いているので、今は特に思いつきません」
少し前にも同じような質問をされたなと、あの時は古椎さんだったと思い出しながら、オレは促され仔犬を店員に渡す。安斎さんは茶色の小型犬に決め、手続きを控えていた男に指示した。持ち帰りではないらしく、そのまま店を後にする。
「お前は犬より猫と言った感じだな」
「猫ですか?」
「独りで平気なつもりの寂しがり屋」
「だから猫?」
「少なくとも犬じゃない」
何が楽しいのか、口元に笑みを浮かべて安斎さんはそう言うが、オレにはその意味は半分もわからない。だけど、オレに説明する気はないのだろう。安斎さんの口振りはそんな感じだ。楽しげな彼のそれにオレは納得し、追及を止める。自分が猫っぽいのかどうかは兎も角、反論するほど安斎さんの分析は間違いではないと思う。
今まで誰にも言われた事はないが、オレは確かに寂しがり屋であるのかもしれない。少なくとも、人付き合いは上手くはないが、傍に人が居ないよりも居る方が安心する。幼心に刻まれた孤独によるトラウマか、人恋しい性格なのかわからないが、誰かが居ないのは確かに不安だ。
養父母を失い、こうして温もりに囲まれて、二十二になって漸くオレは自分を少し知る。こんな風に、人は認める事で自分を理解し作っていくのだろうか。昔は、己を分析する事などなかった。他人の指摘に耳を傾け考える事などなかった。その時その時の感覚が全てだったなと、オレは過去の自分を思う。
成長かどうかはわからないけれど、歳をとるというのはこう言う事なのかもしれない。あの頃は無理だったけれど、今なら出来る事もあるのだろう。だから、もしも、オレが何かを誰かに与えられる人間であるのならば。今、養父母がこの世に居ない事を心底から残念だと思う。もっと早く大人になっていれば、オレが出来た事は色々あったのだろうにと後悔すら浮かぶ。
「何か考えろ」
車に乗り込み、運転手に行き先を尋ねられ、安斎さんはオレに話をふってきた。どうやら古椎さんと違い先の答えで了解したわけではなく、誕生日祝いを贈るのを止める気はないらしい。運転手が困り顔だが、オレだって困る。
「別に改まらずとも、何でもいいんだぞ?」
「何でもと言われても…、今ある全てが安斎さんに貰ったものですよ。これ以上思いつきません」
「それはそれ、これはこれだ。私が決めたら、それこそいつも通りだろう?」
「……ええっと、じゃあ……」
何か思いつかないかと唸りながら頭を捻るが、閃きはやって来ない。眉を寄せ本気で悩むオレを、安斎さんは欲がないだとか、本当に二十二になるのかとか言いからかってくる。こんな事で時間を取らせ待たせているのは確かに悪いが、邪魔はしないで欲しい。本気で、思いつかない。
「…やっぱり、イイです」
「つまらない奴だな。お前ぐらいだぞ、何も欲しがらないのは」
スミマセンと答えつつ、他の人達は何を望むのだろうと考えてみるが、それも全然わからない。生活も日常も、全て与えられているオレには、更に必要なものなどない。安斎さんに皆は何を強請るのだろう。
子供の頃の誕生日は、養父母がおめでとうと言って祝ってくれた。カレーだったりハンバーグだったりエビフライだったりの、オレの好物が夕食だった。特別に物を貰った記憶はない。だけど、それで充分だった。ありがとうと、照れを隠して礼を口にすれば、二人がとても優しく幸せそうに笑ってくれるので、オレにはそれが何より嬉しかった。
時に、アレが欲しいコレが欲しいと思ったりもしていたのに。どうして、誕生日ならば微笑だけで満足できたのか。その答えに気付けたのは大きくなってからだ。この人達は、オレがこうしてここで歳を重ねた事を本気で喜んでくれているのだと。いつもは忘れている、二人がオレの成長を見守っているのだという愛情がそこに見えたからだ。
オレにとっては、本当にそれで充分で。
だから。何でもというのなら。
この先もずっと、オレを側に。
今を、この日々を、出来るだけ長く続けて下さいと。衝動的に馬鹿なことを口にしそうになった自分を押さえ込み、オレは安斎さんに笑いかけるに留めた。
「それで、結局どうなったんだ?」
祝いだと言ってケーキを持ってきた白名さんとお茶をしながら、昨日の安斎さんとの遣り取りをオレが話すと、白名さんはその結果を訊ねてきた。安斎さんからは何も聞いていないらしい。
「暫く出掛ける先を、ボクが好きそうなところへしてくれるらしいです」
「良かったじゃないか。どこでもいい、連れて行ってもらえ」
白名さんの言葉に、オレは困りつつも小さく笑う。何だか、愛人でも部下でもなく、ただの子供のようだ。
ケーキを食べる白名さんを見ながら、オレはこの和やかな空気にまどろむ。まだ三月の上旬だけど、先月までの寒さを払拭するように、日差しが温かい。日当たりのよい室内ではエアコンも要らないくらいだ。
また寒さが戻る日もあるのだろうが、季節は勢いよく春へと進んでいる。
「伊庭。お前の名前って、生まれが三月だからだったりするか?」
「ええ、ひな祭りを捩ったのだと聞いています。女の子ならヒナにするつもりだったらしいですよ」
「どこの親も同じだな。俺の嫁は、弥生だぞ」
三月一日生まれだ。だから、もし一日早く生まれていたら、違う名前になっていた。そう言って笑う白名さんに、オレは思わず、結婚していたんですかと言ってしまう。しかし、よく考えずとも、白名さんとていい年だ。奥さんが居たとしてもおかしくない。いや、むしろ居る方が自然だ。
「まあ、一応しているな」
「知りませんでした」
「会うわけでもないし、わざわざ言い触らすものでもないだろう」
聞かれたら答えたけどなと苦笑する男に、胸に浮かんだモヤモヤを誤魔化すように、だったら聞いてみようとオレは質問する。
「白名さんの下の名前は、何ていうんですか?」
オレのそれに、白名さんは少し目を張り、次の瞬間には「…知らなかったのかよ」と眉間に皺を寄せる。だが、言い触らしてくれなかったのだし、今の今までオレも聞いていいのかわからなかったのだから、当然だろう。知らなくても、別に不都合もなかったし。
「俺は生まれ月には関係ない、勝馬だ。因みに、古椎は辰寛だな」
空で指を振り漢字まで教えてくれた白名さんに礼を言いながら、オレはこんなにも一緒に居るのに、名前も知らなかったんだなと改めて思う。知った嬉しさよりも、知らなかった事実が、心を占める。
オレは、生活の全てを、人生そのものをぶつけているけれど。他のものは一切ないけれど。この人達は違うのだ。オレの知らないところにも、ちゃんとこの人達の生活が、人生がある。オレに向けるのは、この人達の一部でしかない。
知らない事の方が多いのだとわかっていたけれど。目の前に示され、互いの間には幾重もの隔たりがあるのだと思い知る。白名さんには、家族が居る。当然、安斎さんにも古椎さんにも、大切な者が居るのだろう。オレが知る事のない時間を、想像すら出来ない時間を、彼等は過ごしているのだ。
多分、一生呼ぶ事はないのだろう名前を、口内で転がし。
オレはそれを紅茶と共に飲み込んだ。
2008/05/14