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アルバイトスタッフの都合がつかなかったからと、料理店へ助っ人に出された。店を手伝うのは何度目かだったので失態をする事はなかったが、普段と違う仕事をするのは疲れる。一度事務所に顔を出すつもりだったが、終業時間は大幅に過ぎていたのもあり、オレは電話で上司に許しを請い帰路に着く。
来週にはクリスマスだ。細い枝だけの木にも電飾が付いており、街は無駄に明るい。表通りから見える路地裏でも、灰色のビルに光が這っている。あちこちに、トナカイが出没している。
本当にサンタクロースがいるのならば、オレは何を願うだろう。
安斎さんに何度も欲がないと言われたけれど、あれは満たされていたからであって、今ならひとつに決められず沢山のものを強請りそうだ。日々の生活は順調でも、人生としてのそれは、足りないものがある。
けれど、欲しいものは手に入らない。だから、サンタクロースがいたところで、オレには意味がない。
彼等が望まない限り、会いたいとは言えないのだろうから。
あまり利用した事のない駅に足を踏み入れ、切符売り場で路線図を眺める。小銭を券売機に投入しパネルを押し、吐き出された切符を指先で取る。踵を返し、改札へ向かう。そんな、意識もしない動作の中で、唐突に身体を衝撃が襲った。
「……えっ…?」
オレの視界の中に、白名さんが居た。呆れるくらいに、あっさりと、そこに存在している。
オレの世界だけが、時を止める。色を無くす。その中で、彼だけがゆっくりと動く。存在を示すように。
改札を通り抜けた白名さんはオレに気付かず、オレの視界の中を右から左へと動き、そして消えた。
「……嘘だろ…」
笑ってしまうくらいに、自然だ。だけど、笑えない。
零れた声が視覚と聴覚を一気に呼び戻し、同時に身体の硬直も解く。
「白名さんッ!」
気付いた時には、オレは駆け出していた。人波の中を走り、消えた背中を追い求める。
「白名さん! 白名さんッ!!」
駅を飛び出し左右を見るが、どこにも白名さんは居なかった。それでも、まだ近くに居るはずだと、目の前を横切ったサラリーマンにつられるように、オレは同じ方向へと身体を向け走る。焦りか、緊張か、何なのか。上手く吸えない息で、それでも声を振り絞り彼の名前を呼ぶ。
会えないと思っていたはずなのに。関わらない事を彼等は望んでいるのだとわかっているのに。
だけどオレとしては、会いたくなかったわけではないので、目の前に餌をぶら提げられては抑えようがない。
「白名さん…!」
数ブロック進んだところで信号に足を止められる。こっちじゃなかったのかもしれないとオレは方向を変え、走ってきた道を戻ろうとしたその時。
「元気そうだな」
息が上がるオレとは違い、スラックスのポケットに両手を入れた余裕の表情で、白名さんが歩道の真ん中に立っていた。
「…………白名さん」
「人の名前をそう連呼するな、恥ずかしい」
口の端を上げた男は、半年前と何ら変わっていなかった。眼鏡の奥の眼も同じ。順番に色を変えるイルミネーションが、彼の穏やかな眼差しをオレに見せる。
会えたのだ。やっと、会えた。
去る気はない様子に息をつき、オレは首元を覆うマフラーを解きながら足を向ける。
「…白名さんも、お元気そうですね」
「ああ、元気だ」
歩道の真ん中で向かい合う。一年前に戻ったかのような錯覚に包まれ、色々言いたい事があったのに何処かへ飛んでしまう。
「安斎さんも、お元気ですか?」
「一昨日見た限りは、俺よりも元気そうだった。今は日本に居ないんだがな」
「ご旅行ですか?」
「ま、そんなもんだ。因みに、古椎も元気だ」
「古椎さんも、安斎さんと一緒に?」
彼もまた日本には居ないのかと訊ねたそれに答えは返らず、白名さんは静かな笑みで沈黙を作った。
核心に触れない会話。それでも、確実に時は過ぎたのだとオレに教える。半年前の続きのように認識しかけた頭が修正をはかるにつれ、身体の中で冷えた部分が広がっていく。
「…あ」
捕まえて、言葉を交わして、失態に気付く。
オレは何て事をしたんだと襲ってきた焦りに、オレは無意識に白名さんを見上げたまま足を一歩引いた。
「あ、あの、オレ……スミマセン」
「何がだ?」
「……追いかけてきて、スミマセン」
帰ります。お元気で。
許されるなら、もうひと言。ありがとうございました。
そう言い去るべきだと思うけれど、この偶然はもう二度とないのかもしれないと思うと、あの時のように自分から去る事は出来ない。オレは固まった足を見下ろし、手を握る。走って汗ばんだ肌が冬の風に冷やされ、血の気だけでなく体温をも奪う。
「相変わらず、お前は聡いのか疎いのかわからないな」
呆れたような声音と共に、俯けた頭に衝撃が来た。白名さんが頭に置いた手に力を加え、オレに顔を上げさせる。
「別に、お前から逃げているわけじゃない。確かに会おうとはしていなかったが、会ったのに会わなかった事にする必要もない。何をびくついているんだ伊庭、再会を喜べ」
「……いいんですか?」
「良くも悪くも、これが運命なんだろう?」
自分のそれに自信を持て。俺はお前の元気な顔を見れて良かったと思うぞと。白名さんが口をあけて笑い、オレの額を指で弾いた。喰らったデコピンは痛くはなかったけれど、オレは冷えた指でそこを撫で、そのまま腕で滲む視界を覆う。
オレは真剣に悩み、出した答えを粛々と受け止めていたのに。何だよこれは。軽すぎるぞ白名さん。何かオレ、馬鹿みたいじゃないか。
心では文句が溢れるけれど。それは安堵が呼ぶ他愛ないもので。
口からは何ひとつ零れずに。変わりに、眼から涙が溢れた。
泣き出したオレを放り出すこともせず、白名さんは寒い中付き合ってくれた。
そして、予定していたかのように言う。
「前に言っただろう、伊庭。行きたいところくらいないのかと、いつだったか聞いただろう?」
そろそろ決まったんじゃないか?との唐突なその問いに、オレはまず記憶を探る。確かに、一度そんな話をした事があったように思う。あれは正月が終わった頃だから、一年も前の事になるのか。
けれど、あの後。オレは古椎さんに養父母の墓参りに連れて行って貰ったが…?
「今はあるだろう、言ってみろ」
「でも、あの時は、」
「古椎に連れて行って貰ったんだろう?」
ハイと頷くと、「あれはアイツが勝手にした分で、俺の分はまだだ」と白名さんは言う。
「ほら、言えよ」
どこでもいいぞと笑う白名さんは、けれども既にオレの答えを知っているように待っている。
「お前が今、欲しいものは何だ?」
「オレは…」
「あるのなら、言わなきゃわからないぞ。それをやれるかどうかはわからないが、協力は出来るかもしれないんだ。言ってみろよ伊庭」
とりあえずやってみろと、出会った頃に言われた声が耳奥に蘇る。
この人は、いつもオレの背中を押してくれていた。
そして今も、オレをどこかへ誘おうとしている。
「どこへ行きたい?何が欲しい? お前はわかっているんだろう?」
白名さんの言葉に、オレは明るい辺りを見回し、行き交う人を眺め、星の見えない空を見上げる。
欲しいものは、沢山あるけれど。
譲れないものは、ひとつ。
これが一度限りのチャンスだと、オレは視線を戻し口を開く。
「オレは、古椎さんに会いたいです」
真っ直ぐと見つめて返した答えに、白名さんは満足そうに笑い頷いた。
そう、オレは。
古椎さんに会いたいのだ。
2008/05/21