# 13

「嫌なら、答えなくていい」
 そう前置きをして、男は僕の声の事を聞いた。何故喋れないのか、と。
 僕はそれに答えられるだけのものを持っておらず、ただ首を傾げ肩を竦めた。真実となる答えが僕の中にあるのなら、僕は隠すことなく話すだろう。だが、それが何処にもないのだ、話す事は不可能というもの。
 軽い笑みを向ける僕から、男はその意味をとらえられなかったのか、視線を外し謝罪を口にした。
「済まない、無神経だったな」
 手元に視線を落とした男の意識をこちらに向けるため、指先で軽くテーブルを打つ。僕達の間に落ちる雰囲気とは違い、それは、温かみのある柔らかい音だった。
【僕自身わからない。答えられる答えがない】
 男にそれを示し、僕はもう一度肩を竦めた。
 そんな僕の仕草に、男が表情を緩める。
【精神的なものです。きっかけとなるものは確かにあった。けれど、それが自分をこうしているのかどうかは、わからない。それほど、僕に影響を与えているとは思えない。
 だから、僕自身、本当に何故声が出ないのか、わかっていない】
 あの出来事は確かに衝撃的なものだった。だが、心に傷を持ったつもりはない。ただの過去として、僕はそれを受け止めている。だから、声が出なくなったのは、本当はそれには全く関係がないのかもしれないとさえ思う。
 本当に、わからないのだ。
 他人と関係を築くのは得意ではなく、面倒だと思う部分さえ僕にはあるが、言葉を交わしたくないと思っているわけでもない。まして、自分の声が嫌いだったわけでもない。
 なのに、何故、僕は声を手放してしまったのだろうか。
 それについて考える事はあっても、悩む事はない。いつも、出ない答えに、肩を竦めるだけ。
「喋れないのは、寂しくないか? いや、悲しいか…」
 だから、男の問いに、僕は首を横に振った。
「自分の意見を直ぐに伝えられない歯痒さはないのか?」
【それが、僕にとっては当然の事だから。寂しいと思った事はない】
 それは事実だ。いや、けれども、少し違う。
 僕は自分の意思をどうしても相手に伝えたい、というほどの場面にあまり遭遇したことがない。これは、声が出ていた時もそうだ。相手に何かを伝える努力を僕はしない。
 無口だ、冷めている、愛想が無い。以前僕は大抵そう表現されていた。そして、実際にそうだった。今は声が出ないということで、そのせいにされているところもあるが、僕は元々話をするのは得意ではないので、周りが思うほど、声が出ないことに不都合を感じてはいない。
 けれども、それは男にはわからない事で、僕の言葉に苦しげに眉を寄せた。男が胸を痛める必要はないのに…。
 僕は軽く首を振る。
【元々、相手と意見を交わすのは得意ではない。だから、そう不便だとは思っていない。それだけのことです】
 声が出せないといっても、それには色々なパターンがある。僕のように精神的なもので言えば、全く音が作り出せない人もいれば、幼児が意思を表す程度に言葉としては意味が成り立たない音を作り出せる者もいる。僕の場合は前者に近いが、全く音が出せないわけではない。
 声は出ないが、喉を鳴らすことは出来る。言葉は話せないが、音は作り出せる。
 例えば、咳をすれば、ゴホゴホといった普通の人のような大きな音は出せないが、軽い音は出るし、意図的に喉を震わせると、ゴッゴッといったおかしな音も作れる。機能的には欠如した所はないのでそれは当然だろう。だが、それ以上のものは出ない。あー、うー、と言った声となる音は作り出せない。
 呼吸以上の音を作り出せない者に比べれば、僕はまだマシだと言うのかもしれない。こんな言い方はいけないのだろうが、事実そう感じてしまうほど、音が出せない人はとても悲しい感じがする。
 普段は意識しないが、喉を震わせて笑うことが出来、サックスを吹くことも出来る自分は、充分に幸せだといえるのかもしれない。
 僕は自分がふと思いついたその考えが可笑しくて、笑った。
 指先でペンを転がしながら肩を震わせる僕に、男が小さな息を吐く。
「…クールっていうよりも、お前は無口ってタイプか?」
 わざと軽口を叩くように、男は軽く鼻を鳴らして笑った。頷いた僕に「なるほどな」と更に喉を鳴らす。
【喋れないから、ではなく、元々愛想がない性格です。よくそう言われていた】
「今は表面上はそんな風には思えないな。確かにそんなところも感じるが」
【これでも、少しは大人になったと言う事です】
「客商売だから、ってか。
 だが、それだけじゃないだろう。お前といると、俺は楽しいよ。いや、落ち着くっていうのか、心地良い」
 男の言葉をどう受け止めればいいのかわからず、僕は軽く眉を寄せた。
「確かに愛想はないし、反応も薄いが、それがいいんだよ。聴き上手って事でもないのにな。面白いよ、ホント。
 不思議な奴だよ、お前は」
 笑みを浮かべる男に、優しさが見えると感じるのは、それが自分に向けられていると感じるのは、錯覚なのだろうか…。
 そう、今夜は始めから機嫌が良かった男だ、僕だけに向けられるものではないだろう。もし、ここに違う者がいたとしても、この笑顔を見たはずだ。
 僕は、あなたの方が不思議です。
 それを男に伝える事はせず、ただ、男の笑みに笑い返した。
 
 何が、今このような状況を僕にもたらせるのかはわからない。
 けれども、その何かに願うことが出来るのなら、もう少しだけ…。
 もう少しだけ、何も考えずに、ただ、この男と笑い合いたい。

 僕は確かにこの時、そう願っていた。

2002/12/07
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