# 14

 ガヤガヤと、学生の団体が僕の後ろを通り、店を出て行く。
「ありがとうございました」
 カウンターの中に居たバーテンの声が、酒で高揚した学生達の背中に流れていく。ちらりと出入口に視線を向けると、幼さが残る青年達の笑顔が扉の向うに消えて行くところだった。
「そういえば、何故岡山と一緒に居たんだ?」
 会話が途切れた後、ふと思い出したように男はそう言った。
【あなたは、何故、あそこに居たんです?】
 僕は答えず、逆に同じ質問を返した。
「たまたまだ。信号待ちの時お前を見つけた。よく見ると、岡山も一緒だ。だから、気になって降りた」
【僕は、歩いていたら、彼があそこに座っていた。だから、足を止めた。
 そこにあなたが来た。そして、ここに来た。それだけです】
「…それだけ、か。
 だが、お前、あいつの事覚えていなかったんだろう、何故関わった? 普通、見て見ぬ振りをするだろう」
【怪我をしていた】
「手当てをしてやろうと?」
 僕はその言葉に首を振る。
【珍しいから、見ていただけです】
 その僕の言葉に、男は器用に片眉を上げた後肩を揺らせた。
「危なっかしいな。愛想がないわりには、好奇心は旺盛か。そのうち、トラブルに巻き込まれるぞ」
 僕の言葉を本心と取っているのか、いないのか、男は軽口をたたく。
「いや、もう巻き込まれているか。俺みたいなヤクザに絡まれているんだからな」
【絡んでいるんですか?】
「そう思っていないのか?」
【別に、僕は何もされていませんが】
「…やっぱ、お前は面白いよ」
 男はそう言い、全く訳がわからない僕を置いて、一人で楽しげに笑った。

 会話の合間を見計らったように、ピピピと電子音が近くで鳴り響いた。男が軽く眉を顰め、スーツの内ポケットから携帯を取り出す。
「はい。…ああ、それで?」
 男から視線を逸らし、僕はグラスを空けた。
 テーブルの上の、書きなぐられたメモ帳が、何だか一気に冷めたものに見えた。
 急な呼び出しなのだろう、「わかった、直ぐに向かう」と言い男は通話を切ると、僕を振り返る。
「誘っておいて悪いが、用が出来た」
 僕は男に視線を合わせ、頷く。
「送れないが、大丈夫か?」
 一体僕を何だと思っているのだろう。声が出せないというハンディは確かに持ってはいるが、移動が困難な障害者というわけではない。
 僕は軽く笑い、首を横に振った。
「そうか。済まなかったな」
 男の言葉に再び首を振る僕の視界に、先程の福島と言う細身の男が店に入ってきたのが見えた。扉を指さし、その存在を男に教える。
「ああ。じゃあ、慌しくて悪いが。
 保志、楽しかったよ、お前と酒が飲めて」
 やはり気になるのだろうか、気にしていたのだろうか、男はそう口にして笑顔を向け、そして、身を翻した。直ぐに扉の向うへと消えて行く。
 男が消えた扉を暫く眺め、テーブルへと向き直る。カウンターの端に居たバーテンをテーブルを叩いて呼び、僕は空のグラスを指さし、その指を目の前で立てた。
 同じものを、もう一杯。
 僕が喋れない事をわかっていた若いバーテンはその意味を直ぐに理解し、笑顔で頷いた。まだ、学生なのかもしれないその青年は、少し不慣れな手付きでそれでも丁寧に酒を作る。
 その動きを見ながら、僕は糸が切れた凧のように、ぼんやりと意識を漂わせた。
 一気に世界が色褪せたようでいて、逆に現実が戻った安心感が沸き起こる。例えるなら、夢の中から抜け出した、そんな感じだ。
 交わした会話も、あの笑顔も、いつもの僕が受け取るには大きすぎるものだと言うのだろうか。こうして今一人になってみると、あの男が去ってくれた事に僕は安堵している。
 けれども…。


 長居した店を出て、最寄りの駅に着いた時はもう、終電間際になっていた。閑散としたプラットホームで電車を待つ。
 さすがにこの時間になると、冬が来たような寒さだった。薄着だった僕の肌はその気温に悲鳴を上げ粟立っていた。だが、僕自身は気持ちが良かった。痛いくらいの冷たい空気が、とても気持ち良かった。
 乗り込んだ電車は、酔っ払い客と仕事疲れで眠りこけるサラリーマンの姿がちらほらとある程度だった。けれども、空いた座席に座る事はなく、僕は扉に体を預けてそこに立っていた。暗い外は見えず、窓には車内の様子が映る。
 ガタゴトと一定のリズムを刻むその震動に身を任せ、僕は目を閉じた。
 このまま何処かへ行ってしまうような、まるでこれが昔読んだある話のあの汽車のような、そんな感覚が僕を襲う。
 震動以外の音はない、人のざわめきがない静かな電車は、とても不思議なもののような気がしてならなかった。
 いや、不思議なのは、僕の方だろう。
 心の中が、ざわめいている。

 筑波さん。
 そう男を呼び止め、言いたかった言葉が僕の中で消化できずにぐるぐると回る。
 僕も、楽しかった。
 他愛のない、けれども伝えたかった言葉。思いを伝えられない歯痒さを僕は今夜味わった。

 喋れないのは、寂しくないか?
 そう言った男の言葉を、僕はやっと理解した。

 寂しい。

 僕の心には今、それがあった。

2002/12/07
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