# 23
「ここはうちの店だ」
「そう、君の店じゃない」
「……」
「君がそう言うのなら、僕は君より上の者に入店の許可を得ようか。面倒だけれどね」
耳に入る会話は、相変わらず笑みを浮かべた男の方が上らしい。
隠す事もなく嫌悪を見せる男に、それを向けられても気にすることはない男。そんな二人の、どこか子供じみた会話を耳にしながら、僕は僕の与えられた仕事をする。
僕はカクテルが得意ではない。それでも簡単なものは作れるのだが、客に出す事は殆どない。なので、カウンターに居ても、役に立たない事が多々ある。
注文を受けてきた同僚に酒瓶を渡す。種類を覚えていないわけでも、作り方を知らないわけでもない。ただ、僕の場合は、やる気のなさが影響しているのだろう。それは努力ではカバー出来ないもの。そして、味にも影響が出るもの。
常に同じものを提供出来ない僕のカクテルは、客には合わない。だから、僕はあまりカクテルは作らない。時たま、自分が飲みたい時や、同僚のために作るだけだ。
だが、嫌いなわけではない。いくつかの酒が混じり、新たな酒となるのは、面白いと思う。そして、混ざり合い色を変えるその姿も。
シェーカーから出てきた白い液体を眺める僕の名が、小さな笑いを含んだ弾む声に呼ばれた。
「ねえ、保志くん」
同僚の手元から視線を上げ、僕はゆっくりと振り返る。
「僕がここに来るのは、迷惑かな?」
説明を必要としないのは、それだけでも意味が通じる言葉だからか、それとも自分達の会話を聞いていた事を承知しての事か。
笑顔を向けて訊かれた問いに、僕は迷うことなく首を横に振った。数歩、男達に近付きながら。
客相手に頷けるはずがない。これでも一応はサービス業である事は理解しているつもりだ。ただそれを差し引いても、受け入れられない事も多々あるのだが。
迷惑ではないと答えた僕に、男は良かったと笑う。そして。
「これで問題はないね」
隣の男を見てそう言葉を紡いだ。
一体何故そうなるのか。僕は彼の上司ではない。
どういう関係なのかは知らないが、言い合いをしていたのは二人であって僕は関係ない。それなのに、何故、僕のその答えでそんな結論が導かれるのだろうか…。
だが、わからずに軽く眉を寄せる僕とは違い、言われた男には理解出来るものだったらしい。
筑波直純は軽い舌打ちをしただけで何も言わず、僕が出したグラスに口をつけた。
どんなに不味いものを飲んでいるのか、と思わずに入られないほどの顰め面。
隣の男は、そんな男に軽い笑いを落とし、同じようにグラスに手を伸ばす。
けれども、口をつける事はなく、中の氷をまわす様に揺らすだけだ。
その手元から目を離せずに居た僕の耳が、店のドアが開く音を捉える。
入って来たのは、先日怪我をして街中でのびていた青年だった。
店内をさっと見渡し、真っ直ぐと目的の人物に向かってくるその姿は、スーツを着ているからだろうか、あの時と同じ人物とはあまり思えない。怪我をしていたせいもあるのだろうが、街中で以前に会った事がある者だと気付かなかったのも無理がないのかもしれない。
身なりを整えると、雰囲気まで変わる。若者特有のあどけなさが消えている。
彼もまた、裏の世界にいる者なのだと、僕は妙に実感した。
「失礼します、筑波さん」
カウンターまで来た青年は、頭を下げながら男に声を掛けた。
「…何だ」
落とされたその不機嫌な声は気にならないのだろう、躊躇うことなく更に近付き、男に耳打ちをする。
「……そうか、わかった」
直ぐに行く、と答えながら、男はポケットから携帯電話を取り出した。
「電池切れだな、悪かった」
手の中のそれを青年に渡しながら、「先に行け」と出入口を顎で示す。
失礼しますと青年は頭を下げ、入ってきた時と同様、真っ直ぐと扉まで進み、姿を消した。
「忙しいね、君も」
立ち上がった彼を軽く見上げながら、クスクスと笑いを落とす男が、ゆっくりと揺らしていたグラスを下ろす。
「いや、君に比べたら、僕はまだましなんだろうね」
「そんな事はどうでもいい」
忌々しげに、男は肩を揺らして笑う男に言葉を投げつける。
「いいか、佐久間。妙な真似はするな」
「妙な真似って、どんな真似?」
その問いには答えず、男は僕を見ずにただ顎で示しながらいった。
「何を企んでいるのかは知らないが、そいつは俺達とは関係のない奴だ」
「一般人、だと言いたいの。なら、僕もそうだね」
「…どこがだ」
「どこをとっても、だよ。
そうか、君が言う妙な真似って保志くんを苛めるなってことなのか」
「……」
「君達が仲良しだったとはね」
「単なる知り合いだ」
「そう? ま、僕はどうでもいいよ。君達の間など関係がないから」
話が見えない。いや、言葉自体は意味のわかるものだが、何故こうも自分が彼らの話題に入っているのかがわからない。
関係がないという言葉は、この男の場合興味がないというものだろう。例え僕に何かをする事を考えていたとしても、男にとってはそれが真実となる言葉なのだ。そう、ヤクザと知り合いの人間だとしても、自分の意思に影響はないということ。
それは、言葉を受けた男にもわかる事なのだろう。
多分、僕以上にこの医者である男を知っているのだから、それも当然の事なのだろうが…。
「…何をするつもりだ」
「さあ、何だろう。色々ありすぎてどの事を言われているのかわからないや。…なんてね」
心配しなくても、何も企んでなんかいないよ。
にこりと微笑んだ男は、「ねえ、筑波くん」と呼びかけ、店のドアに向かって指をさした。
「それより、早く行ったらどうだい。彼、待っているよ」
男はその言葉に更に眉を寄せ、そして、僕にその強い視線をむけた。
この男には、気をつけろ。
その目はそう訴えていた。
「人を狂犬みたいに扱わないで欲しいな」
笑いを含んだ声が響く。
「誓って僕は保志くんに危害を加えないよ。そんな理由もないからね。何なら一筆書こうか?」
「煩い。…さっきの言葉は忘れるな」
肩を竦めた青年は、続けて落とされた忠告もするりとかわし、軽い笑いを漏らした。
そんな彼を見下ろし、男はサッと身を翻し、店を後にした。
僕の口からは、自然と深い息が零れた。
それはどうしてなのか。
間違えようもなく、男が去った事への安堵だ。
けれど、何故…。
僕と佐久間秀との関係が、男には伝わらなかったからなのかもしれない。
だが、それは本の短い間でしかない。
すぐに、男は知ることになるのだろう。
そんな予感がする。そう、これは外れる事はないだろう。
それなのに。
僕は、たった一瞬といえる時を得ただけだというのに、それでも息を吐いたのだ。
それは、何故――?
知られたくはないという思いはないのに、知られる事を避けている僕が居る。
2003/01/31