# 33

 自分の今の姿はどんなに考えようとも、客観的に見れば呆れるもので、主観的に見れば情けないものでしかない。そう、他の言葉はないだろう。
 男二人に物のように押さえられ、更に拘束されようとしているのを、結局はそうなる事を知りながらも少しでもその時を先に送ろうと、無駄な抵抗をしている。そんな僕に、頑張れと応援する事など自分でも出来ないというもの。負ける事がわかっていながらも、それを認めず足掻いているのは、情けないものでしかない。
 そう、滑稽とさえ言えるだろう。
 だが、誰かに、自分自身にどれだけ笑われようとも、僕は意地を張ってでも抵抗するしかない。同じ結果が来るとしても、あっさりとそれを受け入れるほど、僕は僕を捨ててはいない。

「…ったく、こいつ…おい、手を貸せよ」
 力を入れる僕に苛立ち、長髪の男が僕の体に乗せたを持ち上げ重い衝撃を与えた。押さえられた肺に、喉元で耳には聞こえない音が鳴る。圧迫による苦しみに、更に僕は腕に力を入れた。
「無駄な抵抗しやがって」
 自分でもそう思う。だが、この男に言われたくはない。
「お前も、鈍臭いんだよ」
 金髪の男が呆れたように言い、僕の両足首を踏んでいた足を下ろした。
「それよりさ、後ろ手の方がいいだろう、逆向けろよ」
「ああ、それもそうだな」
 長髪の男も、その言葉に腕を緩め、僕の体から離れようとする。

 これはチャンスか、それとも罠か。僕に見極めるほどの力はない。だが、罠だとしても、そこをつける事には変わらない。

 頭で考えるより早く、僕は痛む腹と眩暈を無視し、渾身の力で体を起こした。
 力を緩めていたところだった長髪の男は、直ぐに脳は逆の動きを命令する事が出来ず、自分で体を離す力に加え僕の体を起こす力と重なり、勢い良くその身を床に転がした。
「うわっ!」
「なっ、こいつっ!」
 立っていた男に足を押さえられる前に、僕は足を曲げ、そして力いっぱい伸ばした。男の足にそれは命中し、男が真っ直ぐと倒れてくる。それを起き上がることで避け、僕は扉に手を掛けた。だが、開かない。
 丁寧にも、鍵とチェーンが掛けられているのだと気付くと同時に、僕は腕を捕られ、勢い良く引っ張られた。
 無我夢中で、迫ってくる力を避けた。こちらも、腕を振った。狭い場所だったのが僕にとっては良かったのだろう。二人相手であっても、ある程度の抵抗は出来た。
 だが、それは素手だったからだろう。彼らが二人とも何か武器を持っていたのなら、僕の抵抗など一瞬で終わっただろう。喧嘩をした事がないわけではないが、昔の話だ。喋れなくなってからは、社会に出てからは、子供のようなそんな事はしていない。
「この、やろっ!」
 飛んできた手を、横に避けた。だが、相手の右手からの攻撃を右に避けるのはあまり意味がない。首に起こった熱に、僕はその事を思い出した。
 反射的にそこへ伸ばした手を見る間はなく、次の攻撃が来る。だが、見なくともぬるりとした感触で血が出ているのがわかった。ナイフで切られたのだ。
 拭った血を振った手が、壁に埋められたシューズボックスの小さなノブに当たった。そこで漸く、自分が立つのは玄関だと再確認する。部屋にはないが、ここにはバッド代わりのものがある。
 鍵とチェーンを外す間はないが、その軽いノブを引く間は幸いにもあった。対峙する金髪の男を見ながら、僕は後ろ手にそこから傘を取り出した。
 再び向かってきた手を傘で叩き、僕はそのまま、男を殴った。何度目かで、ガクリと男が倒れる。だが、飛んだナイフを拾い上げ向かってきた長髪の男が、腕を縦にして僕に迫り傘を捕らえた。反対の手に持っていたナイフが振り上げられる。
 僕は傘を捨て、その手首を両手で捕まえた。どうにかナイフを避けようと、放させようとする。しかし、ナイフを意地でも放さないという風に、男もまた両手で力を入れてきた。
 力を入れ合い、動きを止めた僕達の足元から、頭を押さえた茶髪の男が少しふらつきながら立ち上がった。
 そのせいで、僕と男の力の均衡が崩れ、左右に腕を振り合う事とになった。
 そして。

 僕も、長髪の男も予期していなかっただろう。
 まして、ふらつく頭で立ち上がったはいいが、体がいう事を効かない金髪の男は、自分に起こった状況を直には理解しなかっただろう。
 偶然と言えるのだろうが、それにしては、出来すぎている。
 何度やろうと、その結果はもう生まれない。そう思えるほどの、確率がとても低いものだ。
 そう、正に奇跡と言えるほどに。

 ナイフに気を取られていた僕と長髪の男は、まとも金髪の男にぶつかった。
 僕は必至で、自分にナイフが向かないよう男の手首を逸らし、その男はナイフを離さないようしっかりと握っていた。
 そして、ちょうどそのナイフが、金髪の男が、自分の頭にかけた手と同じ高さだった。
 ただ、それだけのこと。

 だが、それだけのことで、金髪の男にとっては最悪の事態が訪れる。
 それは、僕にとっては、状況の好転。

「うわっ、――うあああっ!!」
 ぶつかられた軽い衝撃に発せられた男の声は、一呼吸の間をおいて、絶叫に変わった。正しく、闇を引き裂くような声。
 僕はその声を聞きながら、壁に男の手がナイフで固定されているのを見た。目の前の光景は、映画の中のようなものだった。
 指が微かに動き、血が溢れる、ナイフを咥え込んだ手。薄闇の中、壁にそのシルエットがのびていた。
 男が恐る恐る、自身の手を見、そしてまた叫ぶ。
「あ、あ…シンジ…」
 先程までナイフを握っていた自分の手と、それにより壁に縫い付けられた男の手を見比べながら、長髪の男が膝を折り床に座り込んだ。その姿に、僕の手に、男の手を突き刺す重い感触が蘇った。
 実際は、そんなことはないのだろう。ナイフを握っていた男はともかく、間接的な僕には、それほどの感触はなかったはずだ。なのに、僕はそれを感じていた。
 僕は、壁に伝う数本の血を眺めた。一本の赤い雫が、床へと到達した。それに、はっと我に返り、僕はドアに飛びついた。
 震える手でチェーンを外し、鍵をあけ外に飛び出す。

 冷たい夜気が全身を包んだ。だが、寒いとは思わなかった。それ以上に、心が震えていた。
 先程、一歩一歩ゆっくりと上った階段を、転がるようにして駆け降りる。眠っている住人の事など、気遣う余裕はない。はしゃぐ子供のように数段飛ばしで階段を降りる。足に来る衝撃が重かった。
 だが、僕は転ぶ事も立ち止まる事もせず、一気に下まで降り、そして走った。

 帰って来た時と変わらない、夜がある。その中を、夢中で走った。
 何も考えずに、ただ、衝動的に足を進めた。
 表通りまで来、太い道を挟んだ向うに、晧々と明かりが点るファミレスを見つけた時、漸くあの場から逃げたいと、逃げなければと躍起になっている自分に気付いた。そう、あそこにいてはならないのだと。
 明るい光に攣られ、目の奥にちらつく先程の男の片手を振り払うように頭を振りながら、僕は道路を渡ろうとした。
 車の音は聞こえなかった。だから、問題ないと思ったのだ。
 だが。

 それはただ、僕の耳が音を捉えていなかっただけだった。

 踏み出した一歩。
 次の瞬間、辺りは真っ白になった。

2003/03/18
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