# 40

 眩しさに惹かれる様に瞼をあげると、世界は真っ白でしかなく、直にそれを閉ざす事となった。瞼の裏にチカチカと光が瞬く。僕は無意識に体の向きを変え、今度はゆっくりと目をあけた。目の前には青い海があった。
 何度か瞬きをしながら捉えた視覚には、濃い青のシーツが広がっていた。知らないものだ。そこで漸く、自分が目を覚ましたことに気付く。だが、まだ頭がぼんやりとする。
 少し痛む体を起こし、僕は自分が寝ていた部屋を見渡した。
 そう広くはないが、ベッド以外の物が殆どない殺風景な部屋は、狭いとも感じない。青い海が広がるようなベッド以外には、色らしい色がない。少し灰色がかった壁に、その色と同じクローゼットに、何処かへと続く扉。足元の絨毯は壁より少しだけ濃い灰色だ。シンプルと言うよりも、やはり殺風景な部屋だ。
 一体ここはどこだろう。そう思った時、控えめなノックがあがり、扉が開いた。
「…起きていたのか」
 顔を出したのは、筑波直純だった。ネクタイはしていないが、きちんとスーツを着、髪もセットしている。昨日の服のままで寝ぼけている僕とは大違いの格好だ。
「朝の10時だ。まだ寝るのか?」
 その問いに、僕が軽く頭を振りベッドを降りると、筑波直純は大きく扉を開け姿を消した。それを追いかけるよう、僕も部屋を後にする。
 朝はそう弱いわけではなく、睡眠も短いもので充分な僕だが、今朝は起き上がってもなお、ぼんやりとする。それだけの事があったのだ、当たり前だろう。まだ体は休息を欲しているようだ。だが、これ以上ここで眠りたくはない。
 あのまま車で眠ってしまったのだと今更ながらに気付き、不甲斐ない自分に軽い溜息を僕は落とした。一体、何をしているのだろうか、僕は。
 寝かされていたのは客間なのだろう。扉の外は廊下になっており、男に続いて角を曲がると、その先にリビングがあった。中に入るとソファに座るよう示されたので、それに従い腰を降ろす。冬の太陽の光が当たっていたそこは、とても暖かかった。
 ここは筑波直純の部屋なのだろう。人の車で眠りこけた僕も僕だが、そのまま連れ帰るとは何を考えているのだろうかと、僕は温かくて気持ちがいいソファの上で目を閉じ、再び溜息を吐いた。
 だが、本当に気持ちが良く、気を抜くと眠ってしまいそうで、僕は直ぐに目を開け軽く体を動かした。回した肩や腹に痛みが走ったが、動けないことはない。逆に、その痛みにより、頭が少しすっきりとした。
「コーヒーだ」
 キッチンから戻ってきた筑波直純は、大きなマグカップを二つテーブルに置き、一つを僕に差し出した。鼻を刺激するその香りに、僕は自分がある事に気付いた。当たり前だ、胃の中のものは全て昨夜吐き出してしまったので空っぽなのだから。
 男は向かいのソファに座り、熱いそれを一口啜った。それを真似るように、僕も口をつける。苦い味が口内に広がり、熱い液体が喉を通った。ただそれだけのことなのに、何故か少し安心した。
「傷は、痛むか?」
 その問いかけに首を振りながら、ほんの少し飲んだだけのコーヒーをテーブルに戻し、僕はリビングを眺めた。先程の部屋とは違い、シンプルな落ち着いたデザインで調えられている。扉の側には、僕のコートが掛けられていた。この男が僕を世話したのだろうか。
 ここは? そう問うように、僕は人差し指を下に向けた手を振り、軽く首を傾げた。
「俺の部屋だ。お前が車で寝たから、連れてきた」
 それは、そうだろう。だが、何故それでも起こすか、僕の部屋に送ってくれるかしないのか。僕は軽く眉を寄せる。
「話があった。だから、こちらの方が便利だった。それに、お前の部屋には今、人を入れている。別に怪しいものじゃない。単なる清掃屋みたいなものだ」
 壁の血なんて、残っていたら気味が悪いだろう。男はそう言い、コーヒーを啜った。
 清掃屋ではなく、みたいなものだという曖昧な表現が少し気にかかったが、詳しく知らない方がいい気がして、僕はあえて聞き返しはしなかった。ただ、何故男が成り行きとはいえ僕の面倒をみているのか、そのおかしさに呆れることにした。
 その理由は僕とは違うところにあるとしても、それでもやはり、この男は相当なお人好しだと言えるのだろう。単なる知り合いだけの関係で、こんなに他人の面倒をみるヤクザが何処にいるだろうか。
「もう、飲まないのか?」
 男に促され、テーブルに置いたコーヒーを再び口に運ぶ。
 やはり、僕には少し、それは苦かった。


 状況を整理させるというのか、寝ぼけている頭を覚醒させるというのか。数分の間、僕は褐色の液体を体に送り込んだ。苦い刺激に、細胞が目覚めていく。
 空いたカップを持ちキッチンへと行った筑波直純は、今度は紙とペンを持って戻ってきた。それを僕に差し出し、再びソファに座わりながら言った。
「保志、昨夜の事だが。実行した男達は知らないらしいが、他に心当たりはあるんじゃないのか?」
 単刀直入に聞く男に、僕は首を振った。やはり、話とは昨夜のことらしい。
 だが、僕はあの事件よりも知りたい事がある。
【それよりも、僕はあなたがそれにどう関係しているか、知りたい】
 僕と男の間にある、低い黒いテーブルの上で、僕は文字を書いた。それを、男は器用に上下逆さから読む。
「…俺は、関係などしていないが」
【岡山はなぜあそこにいたんですか】
 僕の問いに、答える気は無いのかと思うほどの沈黙を置き、男は口を開いた。
「…お前の事を、天川との関係を調べた」
 やはり、そう言うことなのか。予想はしていたので動じる事はないが、それでも落ちそうになった溜息を飲み込み、僕はそのまま男を見つめた。
「だから俺は危ないと思い、岡山に見張らせた」
 いつからかと問うと、自宅まで行かせたのは昨日が初めてだと言う。それは嘘だ。岡山は僕の日頃の行動を知っていた。どちらかが嘘をついているのならば、それは間違いなくこの男の方だ。だが、それを議論しても、どうにもなりはしない。
「勝手に尾行をつけたのは、確かに悪かった。だが、間違っていたとは思わない」
 現に事件は起こったと、男はどこか自分の行動を正当化するよう強気にそう言い、そして軽く眉を寄せた。
「しかし、昨夜は役にはたたなかったがな…」
 反省しているような表情に、けれども、そんなことはないと僕は頭を振る事は出来ない。そもそも、悔やむ場所が間違っている。男にすれば確かにそうなのだろうが、僕にすれば、尾行をつけたことをもっと反省してもらいたいものだ。
 僕は守って欲しいなど、思ってもいないし、逆にこの男には出てきて欲しくないくらいなのだから。
【何か、思い違いをしていませんか。昨夜の事は、天川さんと関係があるとは決まっていない。たまたま起こったことでしょう、多分】
「いや、天川だ」
 断言する男に僕は肩を竦めて笑った。
【僕にはその発想が、わからない。天川さんと僕の関係を知ったからといって、それでどうして僕が危険になると思うんですかね】
 惚けた答えをする僕を、男は眉間に皺を刻み、見据えた。
「天川には、佐久間がついている。知っているだろう、お前も。そう呑気に構えてはいられないぞ。
 …天川が死んだ弟を大切にしていたのは有名な話だ。佐久間に飼いならされてはいるが、あいつでも兄貴なんだろうな」
 その弟とお前の関係を見れば、こうなる事は簡単に予想出来ることだと、筑波直純は淡々と言った。

 わかりきった事だという男に、何を言ってもはじまらないのだろう。それ以外に信じはしない。そう、僕の言葉に耳など貸さないだろう。
 だが、それでも僕は、言わずにはいられなかった。
【あなたは、何を知っているんですか?】
「何を?」
【僕が危険になるような、天川さんの関係とは? 調べたものはなんですか?】
 僕の問いに、男は言葉を詰まらせた。何を言っているんだと僕を見、直ぐに何を考えているのかと眉を寄せる。
【教えて欲しい】
 僕の言葉に、筑波直純は溜息を吐き言葉を紡いだ。
「丁度8年前だな、事件が起きたのは。未成年者による殺人事件だ。普段から溜まり場となっていた小さな廃ビルの部屋の中で、改造されたモデルガンと本物の拳銃により3人の少年と1人の少女が死んだ。警察の調べでは、3人が殺され、1人が自殺との結果になったらしいが、100パーセントとは言い切れないらしい。何せ目撃者が1人いたことはいたが、調書を取れずに姿を隠されてしまったのだからな。 天川の弟、天川誠はその自殺した奴で、一人の少年を殺した事になっている。そして…」
 そこでひとつ息を吐き、筑波直純は僕を真っ直ぐと見据えて言った。
「お前が、その唯一の目撃者なんだな、保志」

 僕は男の言葉と、真っ直ぐと向かってくる視線を、何の思いもなく見返した。
 男の言葉は、殆ど正しいが、一つだけ違う。

 天川誠は、僕の友人は、誰かを殺してはいない。
 彼が殺したのは、自分だけだ。

2003/04/05
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