# 41
「知っているだろう、天川は銃の密売を生業にしている。表向きは貿易商だが、昔からそうしてきた一族だ。あの後、天川の周りは少し大変だった。警察もかなり尻尾を掴もうと躍起になっていたようだが、結局は何も出てこず。ま、当たり前だがな」
男は当然のように、そんな言葉を口に乗せた。だが、それは僕にすれば、初耳のことだった。
あの友人の父親が、ヤクザに顔がきくような商売をしていることは何となく知ってはいたが、はっきりとしたことは知らなかった。僕も聞く事はなかったし、友人も口にする事はなかった。
銃器の密売人。だから、この男、筑波直純と天川が繋がりを持っているのだろう。広くはない、狭い世界だ。それとも、これは仕組まれた事なのだろうか。
「天川は今その仕事を手伝っている。だが、商才はあまりないな。天川氏ほど上手くはない。いや、元々やる気もあまりないのだろう。あいつの場合は、ただ親父に逆らえないといった感じだ。昔からそうだ。
あの事件後、天川氏の前で次男の話はタブーとなった。そして、弟に目をかけていた天川でさえそれに従った。だから、気にはしていたがお前の事を追わなかったんだろう。佐久間も動いてはいなかったようだな」
天川を昔から知るという目の前の男に、本当にこれは偶然なのだろうかと、僕は目を伏せた。偶然にしては、出来すぎている。
過去を蘇らせるきっかけになったのは、あの頃は関係のなかったこの男。この男が、僕が勤める店に現れ、全てが動き始めた。この男の関係で、店にやってきた佐久間さん。彼に連れられて来た天川。その天川と仕事の取引が昔からあり、佐久間さんを含めて彼らの事を良く知っているような、筑波直純。
描かれる線は、全てが必然だと言うように、綺麗に僕達を繋げている。
思い描いたその図式を消すよう、僕はゆっくりと目を開けた。磨かれた黒いテーブルに、男の顔が映っていた。
「そして、忘れた頃にこれだ。あの天川でも意地になるだろう。尤も、そうなるように、佐久間が何か計算をしているんだろうがな。
天川よりも、佐久間の方が厄介だ」
本当にわかっているのか、と男は僕を見た。
そんな事は、わかっている。言われなくとも、わかっている。だが、僕にとって重要なのは、あくまでも天川だ。だから、そんなことは関係ないのだ、全く。
それよりも、筑波直純もまた、仕事の関係者だとはいえ、よく彼らの事を知っているなと感心する。それだけ付き合いが長いのだろう。嫌だと言いながらも、よく佐久間さんをわかっているようだ。
そう、この男は佐久間さんを厭う。だが、僕はそうではなく、天川が好きではない。
導き出したその違いは、意見を食い違わせるものでしかない。
【あなたは、昨夜の事は天川さんがやったと、本当にそう思っているんですか?】
「ああ、そうだな。関係はしているかもしれないが、黒幕は佐久間だろう。あいつが一人で動いたのかもしれない」
【僕は、そうは思わない】
「…どういうことだ?」
男は意外そうに目を少し見開く。だが、言葉通りのままだ。
【僕は佐久間さんが動くなんて、考えられない】
僕の言葉に、未だにそんな事を言っているのかと、男は溜息を吐いた。
「なら、天川か? ないとは言い切れないだろうが、天川は一人では動かない。あいつの後ろには常に父親か、佐久間がいる」
【天川さんかどうかは、わからない。けれど、佐久間さんではないと僕は思う】
「何故だ」
【わかりません。それに、僕には犯人など、どうでもいい。誰でもいいです、そんなものは】
調べたいのなら、勝手にすればいい。別に止めはしない。だが、僕はその結果に興味はない。そう主張し、昨夜の件を自分の中で処理した僕に、「何故なんだ」と男は頭を振った。
「運が良かっただけだぞ、その程度で済んだのは。死んでいたかもしれないんだぞ」
確かにそれは男の言う通りだろう。だが、だからと言って真実を突き止めたくなるわけではない。
「また同じ事が起こるかもしれないんだ」
それより先に目を摘もうと言いたいのだろう。だが、僕はそうは思わない。
泣き寝入りでも何でもなく、あれは日常に起こった突発的な出来事だ。穏やかな生活をしている僕には、それが再びやってくるなど考えられず、そうだと男に言われても何かをしようとは思わない。男がいる世界とは違う。
僕は日常を過ごしたい。やってくる何かに対して待ち構える事も、こちらから攻撃する事も、僕にとっては非日常であって、そんな場所に身を置きたくはない。逃げているととられても、考えが浅はかだと詰られても、僕はそうしたいのだ。大層に事を荒立てても、僕の気が滅入るだけでしかない。
自分の中でも、こうした感情をはっきりとは整理も出来ず、まして誰かに伝えられるほどの形にもなっておらず、僕はただこう記した。
【何かが起こる時は、それは必ず起こるものです。たとえ、どんなに身構えていても】
「……」
【あなたは、心配しすぎだ。昨夜のことに限らず、危険などその辺に沢山ある。僕はたまたまそれに触れただけなんだ。もしかしたら、回避できたかもしれない事なんですから】
そう、この世の中でみれば、暴行を受けた事など珍しくとも何ともない。男が心配するように、誰かがはっきりと僕の死を目的に起こした行動ならば、そうは言えないだろう。だが、それは憶測でしかない。
何より、僕はこの犯人が天川司ならば、僕は死ぬ事はないと思う。今後も何かを仕掛けられても、そうなりはしないだろう。あの男は、人を殺せるほど、強くはない。逆に、佐久間さんならば人の死に何も感じず、笑顔で殺すだろう。
しかし、それもあり得そうにない。佐久間さんは、僕にはそこまでの関心を向けはしない。彼が僕を構うのは、天川司が僕を気にしているから。そして、筑波直純が僕と接触を持つからだ。それ以外のものはない。だから、僕は彼に殺される事はないだろう。
尤も、それに近い危険はあるのかもしれないが。
死んでしまっては、役に立たない、遊べない。だが、どんな形でさえ、とりあえず生きていれば利用出来るということを、佐久間さんは、多分、知っている。あの時にそれを学んだはずだ。
犯人があの二人であろうと、全く関係のない人物であろうと、昨夜の事は消えるわけではないが、ただ僕の体に傷が残ったというだけのもでしかないのも事実。
そう、それだけにしたいのだ、僕は。
目の前の男に、これ以上関わらないで欲しいと思う。それこそ天川との関係にこの男は関係ないのだ、放っておいて欲しい。
だから僕は、ただ、首を振る。もう、終わった事だと。
「……お前は、考えが甘すぎる。それとも、死にたいのか?」
真剣な男の目に、僕は片方の口元だけを上げて笑った。
「冗談じゃないんだぞ。天川も佐久間も、簡単にそれが出来る人間だ」
その言葉に、僕は笑ったまま男を指さした。あなたもそうなのかと。
「……だとしたら何だ。あいつらを殺れと言うのか?」
まさか、と僕は肩を竦める。勝手にやり合うのを止めはしないが、僕を巻き込んで欲しくない。
その時、ふとある事を思いつき、僕はペンを走らせた。
【僕に彼らの危険が及ばないようにすることは出来ますよ】
僕が心配なのか、この態度が苛つくのか、それともあの二人を嫌いなのか、潰したいと思っているのか。何故か自分のように真剣に怒る男に、僕はその方法を示す。
【条件はふたつ。ひとつは、あなたと僕との接点を消す】
「……」
【もうひとつは、佐久間さんと天川さんが関係を切る。そうすれば、僕に害は無いでしょう】
「……無理だ」
男はたっぷりと間を置いた後、低い声で言った。
どちらの条件が無理なのか、どう無理なのかは明確には言わず、そのまま眉を寄せ口を閉じる。
【これ以外に方法はありません。無理だというのなら、このまま何もしない方がいい】
「…だから、何故そうなるんだ」
【簡単な事ですよ。
僕がそれを望んでいるからです】
そう、結局はそう言うことなのだ。
面倒は確かに嫌いだ。今の穏やかな日々を失う気はない。
だから僕は、この場所で居続ける。
それだけのことだ。
2003/04/05