# 43
昨日の昼に部屋へと戻り、それから僕はいつも通りに過ごした。その間、誰かの視線を感じる事はなく、日常そのものに過ごしている。
だが、それでも、僕の心はいつもとは違っていた。
男が言った言葉が、ふと気がつけば、頭を回っている。
いつも通りの職場からの帰り道。ただの夜を歩きながら、僕はあの言葉を思い出す。
部屋に入る直前、未だに少し緊張し、僅かに後ろを振り返る。何もおかしなところはない事を確認し、ほっと小さく息をつく。その瞬間、今はいない友人の事を思い出す。
友人に、殺人という罪が着せられている。
筑波直純から聞いた時はさらりと流したが、今になって、僕はあの男にそれをきちんと否定するべきだったのかもしれないと、何故かそう思ってしまう。
だが、それは意味などないことだと、僕が一番わかっている。あの男の誤解をとっても、何かが変わるわけでもない。
今更、警察や何処かへ行き、あの事件の真相を話そうなどとは思わない。それは、友人も望んでいないだろう。
そう、彼はそんな事を、僕には望んでいない。
僕に頼んだのは、そんなことではなかった。
そんな事は、どうでも良かったのだ。
それに…。
彼は、直接は殺していないが、確かに、あの者達を殺した人間だとも言えるのだろう。
そして、それは、僕も。
僕もまた、彼らを殺した一人なのだ。
街の喧騒が遠くに聞こえる、小さな廃ビルが、僕達の溜まり場だった。いや、溜まり場というほど顔を出していたわけではないが、何となく気が向くと集まるのがそこだった。
集まったからといって何をする訳でもなく、結局直ぐに街へ繰り出すことの方が多かった。だが、そこで寝泊りをする者もいたので、行けば必ず誰かがいた。
そんな適当な場所でも決まり事はあるようで、使用者はいくつかのグループに分かれており、僕達はその真ん中といったような階級に属する高校生グループだった。グループ同士は、単なる顔を知る程度で行き来は少ない。いや、グループ内もそんな感じだっただろう。
本当に、ただ何となく集まっていただけにしか過ぎない。族でも何でもなく、学校のクラス程度の繋がりだ。だが、街中にはそんな集まりが沢山あり、僕達が特別だというわけでもなかった。
馬鹿みたいな言葉だが、安っぽい仲間、そう言う言葉が似合うものだった。
本当に、意味のない繋がりだ。その頃もそう思っていた。
だが、何故かそれが心地良くも感じたのだ。今にして思えば、そんな年頃だという一言で片付くものでしかなかったのだろうが、その時はそれが僕の掛け替えのない日常だった。
あの日も、そう。
何となくそこに行き、少し待っていてくれと言う友人に頷き、僕は狭い薄汚れた部屋で本を読んでいた。同じ部屋には、時々連れ立って食事に行ったり遊んだりする、同じ年代の男女が三人いた。僕が来るまでにどうやらシンナーか何かをしていたようで、妙にハイだったが、それもいつものことだった。
騒ぐ彼らから少し離れ、壁に凭れて本を読んでいると、暫くして友人が戻ってきた。
真っ直ぐと彼は僕に近付き、隣に腰を降ろした。用は終わったのかと聞くと、どちらともとれない生返事を返す。ガサゴソと動いている様子に顔を上げると、彼は小さな薬を飲み込み、膝を抱えて顔を伏せた。
友人はいつの頃からか錠剤を口にするようになっていた。僕は精神安定剤だと信じて疑わなかった。いや、初めは確かにそうだったはずだ。だが、あの時はそうではなかったのを、僕は後になって知る。
一体いつからドラッグに手を出していたのか。僕は友人の変化に全く気付いていなかった。
体を丸めて座る友人に、僕は大丈夫かと問いかけた。
――ん、平気…。それよりさ、翔。ちょっと、肩貸せよ。
そう言い、僕の右肩に頭を置くように、友人は体重を預けてきた。それはいつもの事で、僕はそれ以上問う事はせず、その重みを受けながら再び視線を本へと戻した。
いつも元気に笑っている。そんな印象が強い友人だが、よくその顔に影を落としていた。そんな時は、笑って誤魔化すか、じっと一人で耐えるか。彼はいつでも、どんな事でも、自分一人で乗り切ろうとしていた。
だから。あの時のように、時折僕に甘えるのを、側に居る僕だからこそ、彼がそれを出来るのだと思っていた。僕は少しは役に立っているのだと思っていた。だから僕は、それ以上手を差し出す事はしなかった。
ただ、苦しむ友人の側にいただけだった。それで十分なんだと、それを彼も望んでいるのだと思っていた。だが、強引にでも、僕はもう少し手を伸ばしても良かったのかもしれない。
彼が必要とする時に側にいる。それが彼にとってのベストな友人なのだと、僕はその時思っていた。半身にかかる重みに、僕はそんな錯覚をしていたのだ。
彼を救いきれない弱い自分を見ないために、僕は自分自身を誤魔化していたのだ。そう思い込む事によって。
部屋では相変わらず、三人が騒いでいた。
そして。
気付けば、そのうちの一人がモデルガンを手にしていた。凄いなとか、どれくらいの威力があるのだとか、玩具じゃないのかとか、大きな声でそれを囲むようにして座り騒いでいた。
煩いなと向けた僕の視線に反応するかのように、右半身に掛かっていた重みと温もりが消えた。後に残ったのは、微かな痺れだけだった。
友人が立ち上がり、彼らの方に近付いていった。そこで、同じように輪の中に加わり、騒ぎ始める。
落ち着いたのだろうと、僕は彼の背中を眺め、再び本を読み始めた。だが、聞こえて来る会話に、直ぐに中断する事となる。
――…これ本物? マジかよ。
――玩具みたいだね、何か。こっちの方が。
そう言いながら、真っ黒な爪をした指で床に置かれた新たな銃に触れながら、ユウと呼ばれている少女があどけない声でそう言った。ラリっているのか、少し舌ったらずな子供のような口調だった。
彼らの隙間から見えるそれは、聞こえて来る言葉で本物の銃だと知れるが、僕にも信じられなかった。何故そんなものがここにあるのか。その疑問は、友人の口から知れた。彼が持って来たのだ。
――本物だ。ほら、弾もある。六つだけだけど。
無造作に取り上げ、手馴れたように銃弾を全て取り出し床に並べる。
友人が手にした銃は回転式のもので、昔見たアニメのキャラクターが持っていたような、掌よりもひとまわり大きい程度の小さなものだった。
ハイになっていた彼らは、見慣れないものに興奮したのか、更に騒ぎ出した。
髪を短く刈った、改造されているらしいモデルガンを持ってきていた男が、銃弾の無い本物の銃を手に持ち、銃口を米神に押し当て引き金を引いた。
――バア〜ン、なんてな。
ふざけた少年に馬鹿だと笑いが起きる。そして。
その笑いを、友人は悪夢へと変えた。
――良いなそれ。やろうぜ、ロシアンルーレット。
少年の手から銃を受け取り弾をひとつ詰め込むと、友人は掌を使いシャッと銃倉を回した。まるで、ドラマや映画の一部のように、違和感なくそれは日常にとける。少女が自分もしてみたいと、真似をした。
僕は目の前の状況についていけず、ただその光景を少し離れた場所で見ていた。
――マジかよ、マコト。
――マジだよ。何で? 面白くないか?
――あはは、いいじゃん。やろうやろう。誰からするの?
――言い出した俺からしようか。
そう言い、友人は立ち上がると、先程の少年と同じように米神に銃を突きつけた。そして、躊躇うことなく指を動かす。カチンと部屋に音が響いた。
――ほら、次。やれよ。
腰を降ろし、隣の少年に銃を渡す。
受け取った少年は立ち上がり、引き攣った笑いを見せた。
――ちょ、な、マジするのかよ。もし弾が出たらどうするんだよ。
――負けだろう、それは。
――ね、負けたらなにするの?
――馬鹿だな、お前。負けって事は死ぬんじゃねーのかよ、何にも出来ないじゃん。
――それって、何か、やり逃げ?
そうなるのかもな、と笑いが起きる。そして、早くしろよ、と銃を手にした少年を促した。
――やっぱ、俺…。
――もう、カズ、早くしてよ。大丈夫だって。マコトはやったんだから、ほら。
ゆっくりと銃を上げていく少年を見ながら急かした少女は、ふと思い出したように振り返り、僕を見た。腰をあげ、少し覚束ない足で近付いてくる。
――ね、ホシもそんなところで本なんて読んでないでさ、一緒に遊ぼうよ。
状況に付いていけずに、何も答えられない僕の変わりに、友人が声をかけてきた。
――ユウ、放っておけよ。翔はこんな遊びはしないんだよ。
――え〜、だって、ねえ?
僕に首を傾げる少女は、事の重大さに気付いていそうになかった。そして、他の者達も。声をかけてきた友人も、楽しげな笑いを顔にのせていた。
――おい、いい加減にしろよ。カズ。
――コ、コウジ…?
声に視線を走らせると、銃を持ち震える少年に、もう一人の少年がモデルガンを向け、引くに退けなくなった仲間を脅していた。
――後があるんだ、しらけさせるなよ。さっさとしなきゃ撃つぞ。
少年は銃口を向けられた恐怖に、顔を青くし、更に震えた。
――やれよ。
友人が笑いながら、そう言った。
一体、それはどちらに向けて言われたものなのだろうか。
仲間に銃を向ける少年へか。それとも、自らの頭に銃口を当てる少年へなのか。
今となっては、わからない。
2003/04/12