# 49

「僕は、医者だけどね、決して聖職者というわけではなく、人間としてはまだまだなものだよ。でも、それでも人の生死に多く関わっているからね、僕は僕なりに色々思うこともあるんだ」
 佐久間さんは、僕の友人が眠る墓を見下ろしながら、そう言った。
「友達でも、家族でも、ただの知り合いでもなんでもね、自分と同じ人間が死ぬという事は、確かに辛い事だよ。だが、そんな現実を知らない方が幸せだとは、僕は思わない」
 眼鏡の奥の目を細めながら語る彼の言葉は、風に乗り僕の耳に届く。
 平日の昼下りの公園墓地には余り人影はなく、まして十字架が刻まれた墓が置かれるこの一帯は、僕と佐久間さんしかいない。さすがにこの墓地の中で走り回り遊ぶ子供の姿もないので、佐久間さんの声は何にも汚される事はなく、僕の中に入り込む。
 だが、それはどこか味気のない、色のないものだった。少なくとも、僕にとっては。
「寂しくて辛くて苦しいのもわかるけれど、亡くなった者を生きていた頃のようにずっと思い続けるのは、僕は無理な事だと思っている。
 いや、それを否定しているわけじゃないんだよ。ただ、それは出来ないことなんだと思うんだよ、僕は。
 亡くなった者の事はね、思い出として、胸に置くのが一番だと思うんだ」
 僕に振り向き、佐久間さんは軽く笑いを見せた。顔にかかる長めの髪が風に流れ、その表情を少し隠す。
 佐久間さんはその髪を片手で掻きあげて抑え、再び墓石に視線を戻した。
 この人は一体、何を思うのだろうか。少年の墓の前で、心に何を浮かべるのだろうか。訊いてみたい気がし、けれども無意味な事だと直ぐに僕はそれを消し去る。
 僕自身、彼のように死んだ者をどう扱うかなど、詳しく考えたことはない。思い出すも忘れるも何も、ただ僕の頭がそうなのだからそれ以外の何物でもないと、全てを受け入れてきた。長い間思い出さなかったとしても、まだ忘れていないのだと気付くだけだし、思い続けるための努力をしようなどとも思わない。
 僕は生きているのだ。だから、そう。悲しみも苦しみも薄れるのが当然だと思っている。佐久間さんのように考えているわけではないが、彼の言葉には賛成だ。僕もそう思う。
 だが、あの男は、それが出来なのだろう。
 その僕の思いを読んだかのように、佐久間さんは男の名前を口にした。
「司は、それが出来ないんだよ。そして、苦しんでいる」
 まるで、僕にではなく、足元で眠るあの少年に言い聞かせるように、佐久間さんは言葉を紡いだ。
「僕は、思い出とするのは、決して悪いことじゃないと思う。それは、忘れると言う事とは別次元だからね。でも、そう考えられないんだろうね、司は。薄れていく記憶が、怖くて仕方がないようだ。でも、止められない。だからこそ、どうしていいのかわからず、過去に、記憶にしがみ付く。
 悪循環だというのは、冷たすぎるだろうか…。でも、彼の姿は僕にはそう見えるよ」
 自分で自分を苦しめている馬鹿だよ、あいつは。
 軽く笑った中に、物悲しさが混じっている。
「何かあった時に、そう言えば彼とこうして過ごしたなとか、こうして墓参りに来た時に、話し掛けるとか。共通の知り合いと思い出話をするとか…、そんなことでいいと思うんだ、僕は。それが、一番だとね。
 泣くのは悪いことじゃない。けれど、それで救われないのなら、やはり良くもない。もっと、思い出して嘆くばかりじゃなく、笑うことも必要なんだよ。残った者はね」
 上手く言えないな、やっぱり、難しい事だよ。言葉に出来るほど、僕はまだわかりきっているわけじゃないからかな。
 佐久間さんは軽く首を振りながらそう言い、「でもね…」と僕を見た。
「僕は、君と司がそんな関係になればいいと思ったんだ。彼の事を話せる関係に。そうすれば、もっと楽になれると思ったんだ。
 だが、司はまだ、そんな風にはなれないみたいだ…」
 僕は君に、そんな期待を抱いていたんだ。なんて、無責任なんだろうね。
 その佐久間さんの声に、何処からか聞こえる小鳥の声が重なる。
「自分には出来ないから、君に彼を救ってもらえないかと思ったんだ。だから、司を店に連れて行ったんだ」
 なるほど。そんな解釈も出来るのかと、僕は妙に感心した。どこからどう見ても、やけ気味な天川に遊び道具を与えようとしただけにしか見えないと思ったのだが、佐久間さんはもっと色々と考えているらしい。
 その事実に、僕は少し、楽しくなる。一体、これからどうしようと思っているのだろう。
 あの友人ならば、その考えを全て見通すことが出来たのかもしれないが、生憎僕にはそんな能力はない。ただ、待つのみだ。
「司は、とても不器用だ。純粋とは聞こえがいいだろうが、多分、そうなんだよ。だからこそ、見ていて痛いんだろうね」
 僕の事を何処まで見越しているのだろうか。佐久間さんは何も応えない僕を気にすることもなく、言葉を続ける。これは茶番か、それとも必要なものなのか。僕にはわからず、やはり流れに身を乗せるしかない。
「保志くん。君はどうなんなんだろう。彼を失って、辛かったのは君も同じだろう。そうして声まで失って、君はどうやって生きてきたの? 悲しみを忘れたの? それとも、乗り切ったの?」
 司にも、それが出来るるだろうか。君のように、今を生きられないだろうか。
 佐久間さんはそう言いながら、僕から視線を外し、冬の空を見上げた。
「司は、未だに、あの頃を生きているんだよ。彼がいた時間を。けれど、実際には、その姿がないんだ。どうして、何故居ないのかと、その問いばかりを繰り返している。歯痒くて、辛くて、全てに目をつぶって生きているんだよ。子供のように、何も見たくはないと」
 半分以上真実だろう、それは。だが、全てに目を瞑っているわけではない。天川は、この男、佐久間秀だけは見続けている。それこそ、視界の中に親が居なければ不安がる子供のように、佐久間さんに縋りついているのだ。
「僕も、彼の事はよく知っていた。司と違い表情が豊かで、とても可愛かった。だから、僕も、悲しかったよ。
 でも、今は少し、憎いかもしれない。どうして、司を放って逝ってしまったんだろう。こんな風に司がなるとは、思っていなかったのかな」
 兄思いだった彼のことだ、あんな司を見ることになるのなら、別の未来を選んだだろう。司も、今の自分を彼が見たら悲しむだろうとわかっているのだろうに、ただ悔やんでばかり。悲しいものだね、お互いを思いあっている兄弟だったのに。
 その言葉は、何処までが本心で、何処までが僕に聞かせるための戯言なのかわからない。だが、そんなことどうだって良かった。
 僕はただ下を向き、そのまま膝を折り、祈るように顔を伏せた手の下で笑いをかみ殺した。勝手に上がる口角が抑えられない。
 この友人は、全てをわかっていただろう。そう、この未来をわかっていたはずだ。
 好きだからこそ、あの兄が大切だからこそ、自ら死を選んだのだ。
 あの兄を誰にも渡さないために。
 自分に縛り付けるために、彼は命を差し出した。


――でもさ、俺はそれでも、やっぱりあいつが好きなんだ。誰にも渡したくないんだ。だから、こうするしかないんだ。

 単純に、負けるからと、その絶望で死を選んだわけではない。むしろ、その逆だ。
 兄を恨んでもいたのだろう。だから、あの選択を選んだ。苦しませる事で、自分をあの男の胸に刻みつけたのだ。
 そして、そうすることで、この男の手に全てが落ちる事を回避した。佐久間さんにも踏み込めない境地を、あの友人は手にした。
 そう、究極の答えを、まだ幼かったあの少年は見つけ、それを実行したのだ。

 天川が自分の死に捕らわれると、彼は信じた。それほどまでに愛していた。
 そして、愛されている自覚もあったのだろう。ただの幻想ではない、確かなものが。
 友人が想いを抱いた男、天川司。

 だが、やはり。
 僕は好きじゃないよ、誠。
 あの男は、好きじゃない。

 顔を上げ、墓石を見ながら、僕は心でそう呼びかけた。
 だが、友人の不機嫌な答えは返らない。

 ただ、北風にユリの花が大きく揺れただけだった。



 その後、佐久間さんに車でアパートまで送ってもらい、僕は丸一日振りに部屋に帰った。
 仕事に行く用意をしながら、ふと後部座席に放ったマフラーを、そのまま彼の車の中に忘れてしまった事に気付く。携帯を取り出し、今日は無理だろうがメールで知らせておこうと、メモリを呼び出す。
 だが、何となく佐久間さんとの繋がりを今は実感したくはない気がして、僕は携帯を仕舞った。

 僕に聞かせるために語った佐久間さんの言葉は、計算されたものだったのだろう。筑波直純が危惧するように、彼は僕を駒のひとつにしたいのかもしれない。
 そう、それも良いだろう。だが、僕は大人しく駒になる事はない。
 全てを知っているというわけではない。だが、あの友人を知っているから、僕は佐久間さんに良いように使われるだけでは終わらないだろう。
 あの時も、そして、今も。
 振り回されるのは、あの男、天川だ。
 そして。
 痛い目を見るのは、佐久間さんなのだ。それに変わりはない。

2003/04/19
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